4-2 engagement


 ナナさんが来たらオレをエマのところに連れていってもらおうと思ったのだが、先に来たのはアリアだった。

「ハル、いつ復帰できそう?」

「み、三日の内には何とか。そ、それよりアリア様、ザンダンが――」

「ザンダン!?」彼女はハルさんの枕元のオレを掴んで持ち上げる。「……ああ、これはエマのか」そう言って、一度だけオレを抱き締め、元の場所に戻す。

「は、ハルさん、エマのところに連れてってほしいって伝えて」

「アリア様、ザンダンがエマ様のところに連れていってほしいと言っております」ハルさんの言葉に――アリアは、顔を曇らせる。

「今は、止した方がいいと思う。そっとしておいてあげて」

「え?」「何か、あったのですか?」

 ハルさんがオレの代わりに訊く。

「父上が病に伏されたことを知って――寝込んでしまったの。あの子、繊細なところがあるから――五年前かな、大叔父上が亡くなった時も、しばらく部屋から出てこられなかった」

「そういえば――」ハルさんもその時のことを思い出したようだ。オレは勿論知らないが――人の死を、若い内から十分に受け止められる者など、そうはいない。当然といえば、当然の反応だ。ただ、とはいえ何もせず、ここでハルさんの相手をずっとしているというのもアレなので、オレは何か手伝おうと決意する。

「ハルさん、アリアに何か手伝えることはないかって訊いて」

「アリア様、ザンダンが何かやることはないかと言っております」

 アリアはそれを聞くと、「――」と言いかけたが首をぶんぶん振り。「なら、銃器関連法の内容を、まあハルと、練っておいて。明後日に民に問う予定なのだけれど、忙しくて誰も手が回っていなくて。頼める?」

 今、最初に何を言おうとしたのか分からなかったが、オレは、「分かった」と言う。ハルさんが、「了解だそうです」とアリアに伝えた。

「ハル、ザンダンをよろしくね」

 アリアは言って、部屋から出ていった。



「ハルさん」

「なに?」次の日。ナナさんに、国民投票のための資料をもらって、しばらく考えていたが、昨夜のアリアの言葉がずっと気になっていた。確か、『兄上』、と。シャードなのか、ガルイスさんなのか――どちらにせよ、何かが起こっているらしい。

「ガルイスさんって病室に来た?」

「んー、来てくれてないねえ。わたしが寝ている間のことは、分からないけど」

「ここから連れ出してくれない?」

「え? 駆け落ちってコト?」彼女は頓狂な返しをする。

「違うよ。城内の様子を見回りたい――えっと、それくらいはできるよね?」

「できる――けど、執事とかおじーちゃんとかに見つかったら仕事もらうと思うなあ、動けるなら働けって」

「――ガルイスさんのとこに行こうと思ったんだけど」

「連れてってあげる!」

 ハルさんはガバッと布団をどける。やる気になったようだ。ありがたい。ありがたいが――下心満載、というか。

「今度は、抱きついてもらえないだろうけど」

「いや、わたしはそんな浅ましい人間ではないから! ガルイスくんを少しでも手伝えたらと思っただけで」

「さいですか」

 オレは持ち上げられ、病室を出た。



 まずどこに行くのかと思ったら――最上階の、大広間だった。先週の議論はここでやった。そういう場なのだろうと、大人しく運ばれる。

「失礼しまーす」

 先週は勢いよく開け放った扉を、今日は大人しく押す。オレたちは部屋の中を覗いた。そこにいたのは――女性が一人。それだけであった。彼女は何か文章を書いているようだった。

「ハルさん、あの人は――」オレの言葉が終わらない内に、彼女は扉を閉め、大広間を後にしようとする。「え?」

「他のところ行こうか」「いや、部屋に人が」「知らないと思うよ、あの方も」「って――」口振りからして目上か? 確かに使用人には見えなかったが――それにしては、態度が悪い。執事に続いて、あの人まで苦手というのだろうか。それとも。



 背後の扉が開く。大広間から――例の女性が出てきたようだ。ハルさんは振り向く。そこで改めて、オレはその人の姿を見ることができた。暗めのブロンドの短髪。品のある白のドレス。横に流した前髪の奥に、柔らかい瞳が見えるが、全体としては無表情。月並みな表現をするなら、いいトコのお嬢様。



「ハルレアさん」



 その女性は口を開く。

「……はい」

 ハルさんは返す。

「王太子殿下ならば、少し席を外されています。室内でお待ちになってください」

 女性は、ハルさんに対しても、丁寧な言葉遣いで話す。対して、

「いえ、その前に済ませなければならない仕事を思い出しました。失礼させていただきます」

 早口でそう言い、足早に立ち去るハルさん。

 移動している間、遠くで扉が開き、また閉まる音がした。



「ハルさん、結局あの人は?」

 病室まで戻ってきて、彼女はベッドに腰掛ける。久々の運動で、息が上がっているようだ。オレと同じく、長らくベッド上での生活だからか。少し落ち着いてから、彼女は話し出す。

「……あの方は、シーチェリナ様。えっと、その――なの」

「ん?」王太子妃。王太子の、きさき。王太子の、妻。王太子というのは――



「が、ガルイスさんの――」



 ハルさんは曖昧に頷く。要は、単なる嫉妬だった。




     ○




「ああ、サルトル家の娘だな。慣例的に、王のきさきは分家から娶ることになっている。母上は隣国から嫁いでこられたのだがな」

 病室に遊びに来たシャードに、王太子妃の話を聞く。ハルさんはずっと枕で両耳を塞いでいた。

「まあ兄上が決められたコトではねえからな。ハルレアがもう少し早く仕掛けてたら、可能性はあったかも知れねえのに」

「な、何の話ですか!」

 ハルさんが耳から枕を外して言う。普通に聞こえていたようだった。だったら隠す意味はないだろう。

「何のって、小さい頃はよく寝言で言ってたじゃねえか、『ガルイ――』」

「その件に関しては何回も何回も執事に説かれました!」ハルさんは宣言する。「わたしの幼き乙女心はそれで粉々なんですよう。シャード様まで敵方に回らないでください」

 ……よく分からないが、それが彼女の執事嫌いの理由ということか。というか、二人がこれほど親しげなことに驚いた。そういえば、撃たれたハルさんを運ぶ時、シャードが何か言っていたことを思い出す。ガルイスとシャードさんは確か四歳差だから、ガルイスさんとハルさんが幼馴染なら、シャードともそうだと言えるだろう。

「そうそう、シーチェは俺たちより若いんだよ、アリアの一個下。ハルレアはそんな年下の子に嫉妬してるんだぜ、受けるだろ」シャードはオレにそう伝える。オレにはなんとも判断しがたかったが、ハルさんは、「い、言わなくていいコトをおおお」と遂にシャードに掴みかかる。

「は、ハルさん、それより銃規制の法律案! まとめろってアリアに――」

「あっ」ハルさんはシャードの胸倉に掛けた手を止め、彼に正面から向き直る。「シャード様、わたしたちは銃器関連法の推敲作業を――ひきゃあっ!」

 シャードはガラ空きだったハルさんの脇腹をくすぐる。「おい細いぞ、もっと喰え」「ひゅ、あ、ひゃあっ」ハルさんは身をよじって抵抗する。シャードがぱっと手を離すと、ハルさんはベッドに倒れ込んだ。

「そんなのオレが昨日終わらせたよ。お前は大人しく寝てろ」

 シャードは言って、立ち上がる。昨日、終わらせた――その情報がアリアに届いていないということは、まだ城内は混乱状態にあるのか。流石に、最終的にはどうにかなると思うが――これほどに不安定なことが国民に、そして近隣の国に伝わっているとしたら。

「き、傷に……響いた……」

 ハルさんはそう悶える。

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