2-9 兄と妹


「昔からそうだった、お前はこの場所が大好きで、ここから見える景色が大好きで。それでいつも、ここにいた」



 シャードさんはアリアを見据え言う。彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。その目は、どうにも憂いを帯びていて、オレは言葉に詰まる。シャードさんは続ける。

「お前は変わってなかった。少なくとも根っこでは。──こいつが、生意気にも教えてくれたんだ」

 そう言って、彼はオレを投げた。



 ──え?



 オレの──体は──大きく──弧を──描き──アリアの腕の中に、着地する。「あ、兄上、これは──」



「な、何すんだ急に!」



 オレは叫んで──アリアと、目が合った。

──」

 アリアは一瞬顔を明るくするも、すぐに口を押さえ、オレから目を逸らす。しかしそんな彼女の肩に──シャードさんが、手を置く。



「アリア」



 その声はいつになく優しくて。

 アリアは兄の顔を見る。

「お前の選択に、俺は口を出さない」彼は。「──

「え?」

 アリアは困惑する。

「お前の方から口出し無用と言うならまだしも、口を出さないなんて宣言するのは、お前のことなんてどうでもいいから相談すんなってことだろ。心配してる奴が言う言葉じゃあねえ」彼はアリアの肩から手を離すと、フェンスに凭れ、下を見る。「ほら、見てみろよ」

 アリアは先程のように、オレを腕の中に抱きながら、フェンスに近寄る。

 城の前には、たくさんの人。その人々の円の中心には、アーストールさんがいた。鎧に身を包んだ男性に、剣を教えてもらっているらしい。

「あいつは嫌になるくらい、いい奴だったぞ」

 シャードさんはそう言う。アリアは、

「……ええ」

 と返す。

 オレたちは、しばらく誰も話さず披露を眺めていた。アーストールさんは教わりながら剣を振っていた。なかなか上手い。



「──あの方は、本当に、素晴らしい方です」アリアが、口を開いた。「結婚自体に、不安はありません。ただ──無理をしていないかと言われれば、首を縦に振ることはできません」



 シャードさんは何も言わず、ただ聞いている。



「いつまでも子供ではいられない。それは当然のことですし、私は、もう脱却できていると、思い込んでいました」アリアは続ける。「結婚は、人生の大きな区切りになります。それを目の前にして──ようやく、気づいたのです。自らの幼さ、未熟さに」



 オレは何も言えず、ただ聞いている。



「私は、決意しました。大人にならなければ、いけないと。……兄上に『ザンダン』を渡したのも、その一環です」



 シャードさんは、手を伸ばし──アリアの頭に遣った。

「間違いだな、そりゃあ」彼は口を開く。「子供と大人ってのは、そうあっさり切り替えられる訳がねえ。そもそも、そんなのは徐々にでなきゃ変えられねえよ」

「はは……」

 アリアは、兄に撫でられながら笑う。

「それと、人形遊びが幼いなんて、誰が決めた。好きなだけ遊べばいいだろうが」

 そう言って、彼は手を引っ込める。アリアは改めて、オレに向き直る。

「ごめんね、ザンダン。これからも──よろしく」

 彼女は笑顔を見せる。屈託は、もはやなかった。

「兄上も、すみませんでした。ご心配をお掛けしました」アリアはシャードさんに言う。シャードさんは何も返さず、オレを、アリアの手からひょいと取り上げる。

「お前も何か言えよ、人形」

 そう言って、オレの体をぶんぶん揺らす。オレは少し躊躇った後、「まあ……ありがとう。それと、さっきは言い過ぎた」と言った。

 しかし彼は、「何か言えってば」とオレを揺らす手を止めない。聞こえていないのだろうか。しかし階段での口論は、確かに──



 ──



「あの、兄上、そろそろ──」

「え?」



「──あ?」



 オレは──シャードさんの手から離れる。放たれる、と言った方が正確かも知れない。故意か過失か、オレは吹っ飛び──を始める。シャードさんが手を伸ばすのが見えたが、届かなかったようである。オレは真っ逆さまに落ちていく──と思ったら、手に持っている銃が重いのか、俯せで落ちていく。スカイダイビングのように。

「ザンダン!」

 遠くで、アリアの声が聞こえた。オレはそれを聞きながら、城の前の、人々の輪の真ん中へと突っ込んでいく。アーストールさんの頭が目の前だ。誰も上から人形が落ちてきているなんて思ってもいない、皆、武術に夢中で──



 トッ、と。



 衝撃が──走り、オレの体は──つーっと何かを滑っていく。周囲のどよめき。オレは滑って──誰かの手元で、停止する。

「やあ」

 女性の声が聞こえた。彼女はオレを持ち上げる。その人は──グィーテさんの、奥さんだ。手に持っていたのは──グィーテさんの身長くらいありそうな、大太刀。あれに突かれ、あの上を滑って助かったのか。

 彼女はオレが落ちてきた方を見上げる。「あら」そう言って彼女は、オレの顔も上に向けた。

 アリアとシャードさんが、安心したようにこちらを見下ろしていた。

 とりあえず、万事、うまく運んだと思われた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る