2-8 バカとバカ
エマが遅れ馳せながら食堂に来て、食事が始まった。オレのところにはナナさんから話を聞いたらしいハルさんが来る。
「なんで今日は起こしてくれないのー、ザンダン」
ハルさんに小突かれて、オレは少しドキッとする──が、今までに、彼女に声が聞こえていたような様子はなかった。多分、ちょっとした気まぐれだ。
食事が終わって、ようやくエマがオレを回収する。彼女はオレを掴むと一目散に部屋へ戻った。
「どうだった、ザンダン!」
オレをベッドの上に置くと、彼女もベッドに飛び乗って、そう訊く。
「……エマ。心して聞いてくれ」
オレは意を決して口を開く。エマは息を呑んだ。
「──あの人、アリアのことが大好きすぎる……ッ!」
「え? ──え!?」
○
オレはアーストールさん、またゾースシールさんが、どんなことを言っていた、どんな人間だったかを報告した。エマは、例のなかなかサマになった腕組みをし、
「まあ、信じて、いいのかも知れない」
と引き下がる。
「オレも同意。きっと大丈夫だよ、アリアは」
「うん……」しかしエマは、浮かない顔で。
それは当然だ。問題はまだ残っているのだった。結婚を受け入れた
「エマ、今日は武術のお披露目があるんだろ? 王子が言ってた、見に行こう」
オレはそう言ったが、彼女は、「わたし……武術はあまり……」と乗り気ではないようだ。
「いいじゃん、グィーテさんも出るんだろ?」
「え?」
「え?」
エマは──目を丸くする。「あの人は──出ないはずだけれど。披露するのはリオフラン武術だから──って、言っても分からないのか」彼女は呟き、「グィーテさんが出ると、誰に聞いたの?」とオレに訊いた。
「えっと……これも、王子が」シャードさんが抜け出していたと、言わない方がいい気がした。しかし結果として、エマに若干の疑念を抱かせることになる。「ふうん……とにかく。グィーテさんの杖術は、あの人の出身国の国技、だったかな。今日は、リオフラン武芸、大別して剣術・槍術・弓術の披露だよ」
「じゃあ……グィーテさんが来るっていうのは」
「来ることは来ると思うよ。奥さんの応援にね」
──奥さん?
それは──あの、グィーテさんの顔面に蹴りを入れ──その後、お姫様だっこをされていた女性か。
「
「──まあいいじゃん、とにかく行こう。別に詳しくはないけどさ」
オレは明るく言う。これはまず、エマを、元気づけるため。オレは言いながら──シャードさんのことを考える。王子とグィーテさんを、引き合わせると言っていた。また問題を起こさなければいいが──と。
オレは、久方振りの──オレを引っ張る、
「エマ!」
オレはすぐさま叫ぶ。エマはベッドから降りる途中で、びっくりして床に落ちるが、すぐに立ち上がって、「ザンダン?」と返事をする。
しかしそのほんの少しの差で。オレはどこかへ引っ張り去られ──
──窓越しに、外を見ていた。見えているのは、城の前であるようだ。城からは出ていないようだから、オレが移ったのは、アリアのザンダン──と思ったが、オレがこの世界に戻ってきてからのアリアを思い出す。彼女はオレのことを、『
「──
オレの頭が、きゅーっと歪められていく。誰かに後ろから掴まれているのだ。アリアはこんなことはしない。今の声は──
「──シャードさん」
「あ?」
彼は──オレを持ち上げ、顔を見合わせる。
いつになく鋭い目つき。その感情は、怒り、なのか。それとも──
「喋る訳ねえ。喋る訳ねえんだよ!」
彼はオレを、床に叩きつける。痛くはないが、視界の上が右で下が前で、こんがらがりながら床に転がり、仰向けの状態で止まった。
「き、急に離すな!」
オレは思わず叫ぶ。
声が聞こえているのか聞こえていないのか、シャードさんは、床に落としたオレに近づいて、オレを拾い上げた。
「…………」
「……あの」
シャードさんはオレを持ったまま──部屋を出る。扉の前には、シュロウさんが立っていた。どうやら、シャードさんの部屋だったらしい。しかしオレが入っているのは、アリアの持っていた『ザンダン』のはず。サイズ感が同じくらいだし、瞼がない。シャードさんが、アリアと全く同じ型の『ザンダン』を購入したとは──今までの態度からして、考えにくい。
「アヴ、アリアはどこにいる」
シャードさんは召使に尋ねる。
「先程、剣技の披露が始まったようでしたが。王太子殿下とご一緒に観られているのではないのですか」
「王太子殿下とご一緒に観られているんだったら最初から訊かねえよ」シャードさんは舌打ちして、廊下を歩いていく。途中右に曲がり階段を上がり、ある部屋の前に着く。扉の前には誰もいない。彼は再び舌打ちをすると身を翻し階段を二段飛ばしで下りる。
「ちょ、あの、オレの声、聞こえるん、ですか?」
オレは大きく振られる腕に揺られながらそう尋ねた。シャードさんは、階段を下り終え、廊下の端まで走ると、近くの階段を上り始める。無反応なため、聞こえていないのだと思ったら、
「アリアがいそうな場所が思いつくんだったら喋れ。でなきゃ黙ってろ」
彼は冷たく、言い切った。
オレは揺られながら、なんとなく知っている範囲でこの城の内部を思い描く。「……だけどあんたの方が、この城のことも、妹のことも、オレよりも分かってるんじゃ──」
「分かってんだったらッ!」
彼は踊り場で立ち止まる。
「だったらとっくに見つけられてんだよ。オレには──もうあいつのことが、分かんねえんだ!」
「…………」
それは、心の底からの、叫びだった。
蔑ろにした挙句、分からなくなって。
無視をした結果、見つけられなくて。
それはオレと
「──だからって」
だから、それが何だと言うのだろう。
「諦めるつもりかよ、まさか! 気づいたんだったら、これからだろうが! 気づかないバカより気づいて改善しない方がバカなんだ、バカ!」
「そうやって観念でしかものを語れねえ奴もバカだろうが」彼は返す。「改善っつっても、もう遅いんだよ! このまま王子が国に帰って、一年後にはアリアはグーヴに行っちまう。気づくのが遅かったら、改善も何もねえんだよ!」
「だから──諦めるなっつってんだよ!」オレは叫ぶ。「気づくのが遅かったなんて言い訳だろうが! 今日はもう終わったのか? 王子はもう帰ったのか? アリアに、言いたいことがあったんじゃねえのか!」
「──ッ、だったら──」
「──だったら考えろ! オレはアリアの所在なんて知らない、でもお前は、知らないにせよ、これまでの積み重ねが、あるだろ! オレがアリアと過ごした時間の、何十倍、何千倍の積み重ねが!」
アリアは、彼のことを評して、言った。
『いい人』。
その言葉は、一体どれだけの積み重ねがあって、結晶したのか。オレには分からない、しかし、彼には分かるはずで。分かるべきで。
「──ッ!」
シャードさんは、オレを強く握り直し──走り出した。その足取りに、迷いはないように感じた。
オレたちは、最上階の大広間に辿り着く。
そのテラスのフェンスに寄りかかり、彼女は下の様子を眺めていた。
「「アリアッ!」」
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