1-10 帰還
その後、
眠るのが条件ではないのかと思い、日中も時々戻ることを願ってみたが、戻れていない。まだ、この世界が夢ではないと確定していなかったが、ここまで目覚められないと、現実であるように思える。
気になるのは、現在のオレの元々の体の状態だが──まさか、あまりにも起きなくて死亡したことになっていないだろうな、と遅い危惧をする。これが夢だった場合、オレの体が死んだなら夢は終わる。葬式ではまあ焼かれるだろう。そうすれば夢を見続けることはもはやなくなる。一方、ここが現実で、元の世界とは別の世界線だとすると──元の体が焼かれた場合、オレはどうなるのだろう。この世界に留まり続けるのだろうか。その場合、このまま呼吸も食事もせず生きていくのか。そしてどうしたら死ぬのか。そもそも今の状態は、生きていると言えるのか。
こちらの世界に来て、五日目の朝。
やはり元の世界には戻れず、ハルさんが来る前にエマを起こす。オレは、どうやらエマの起きる時間にぱっちり目が覚めるようになっていて、いつも動けないながら(顔を手やら布団やらで覆われていることもしばしば)、寝ぼすけさんに呼びかける。
「エマ」
「……むー」
「エマー」
「……くー」
「エマッ!」
「…………」
これはまだ序の口だ。礼儀作法は学んだが早起きは学ばなかったらしい。決して昨夜就寝が遅かった訳ではないし、今が特別早いかというとそうではないのだが、一向に起きない。ロングスリーパーなのだろうか。オレはとにかく、彼女を起こすことに専念する。ハルさんはあと三分で来る。
「エマエマエマ、エマエマエマ、エマエマエマエマエマエマエマ!」
「……るー」
三三七拍子でも起きない。なら次は。
「赤エマ青エマ緑エマ、黒エマ白エマ黄色エマ!」
「……うー」
早口言葉でも起きない。なら次は。
「エマ様、朝ですよー」
「……すー」
ハルさんの真似しても起きない。というか声色まで真似して、恥ずかしかった。
「……起きないならアリアの方行こ」
「そ、それはダメ!」
エマはオレの言葉に跳ね起きた。はい、今日の朝の任務終了。最低な手段かも知れないが、本当にオレが朝からアリアの部屋に行けるかと問われれば多分行けない。というか行ってはいけない、とすら言える。成人間近のオレとしては、エマと一緒に寝ている状況すらギリギリである。よって何の脅しにもなっていないため、問題はない。
「エマ様、朝ですよー……あら、おはようございます」
ハルさんが扉を開け入ってくる。ベッドから降りて寝癖と格闘していたエマの姿を認めると、そう言って近づき、
「今日も起きられたんですねー、えらいえらい」
エマの頭をよしよしと撫でる。主従関係上、そういう行為はしていいのか疑問だが、まあエマはニコニコしている。
「ではでは服をお選び下さい」
「ええ」
エマは何よりもまずベッドの上のオレを布団で包んだ。毎朝こうだ。この人形にはまぶたがついているので目を瞑れば見えはしないが、これは信頼を超えた信用の問題なので、オレは抵抗しない。アリアの人形の場合はまぶたがないため、こうしなければ最低なことになるし──いや、だからアリアの部屋に朝から行く予定はないのだが。
しばらくして布団からオレは飛び出す。エマがオレにかけた布団をはがしたのだろう。布団の中だと音もよく聞こえないため周囲の状況が解らなくなる。顔面から床に落ちたオレは、エマに拾ってもらい、
「では、朝食の時間だから待っていてね」
と机の上に移動。最近はここがオレの定位置だ。二人は部屋から出ていった。
そういえば、エマの召使のハルレアさんはしょっちゅう見るし、アリアの召使のハロルバロルさんも、アリアの部屋にいる時、たまに見かけたが、長兄のは声と名前しか知らないし、シェードさんのとはまだ出会ってもいない。ちなみにアリアはなんだか召使とうまくいっていないみたいなことを言っていたが、独り言だったかも知れないので、深くは考えない。
この時間、アリアはエマと同じく食堂だし、グィーテさんトコは──わからないから、とりあえず考えるのをやめておこう。そしてそれ以外。今のところ、相手を知っていて、その人が『ザンダン』を持っていると知っている上で、そこに行きたいと強く思う、というのが条件のようである。ただ漠然と、街のどこかにあるザンダンのことを考えても、そこに行くことはできないようだ。またオレがそう考えているのと同時に、行き先の、恐らく人形の持ち主が、オレの名を呼ぶことが絶対条件。アリアのように三度も呼ぶ必要はなく、一回呼んで、そのタイミングでオレがそちらへ行きたいと思っていれば、そこへ移動できる。
ただ、未確定のことはまだ多い。まず、オレの声が聞こえる者の範囲。グィーテさんの家にはこの間以来お邪魔していないが、結局オレの声は、誰になら聞こえるのか。エマのところでもアリアのところでも、なんとなく召使がいる時は会話しないようにしている。聞こえないなら聞こえないでいいのだが、判定するためにはまず声を発しなければならない。そして万が一、聞こえた時は、一体どう弁明すればいいのだろう。
エマの人形に入っている時は、アリアに声は聞こえない。反対に、アリアの人形に入っていると、エマに声が届かない。このルールも、よく理解できていない。持ち主としか会話できないなら、グィーテさんと会話ができたことと矛盾する。あの人形はグィーテさんが息子に買ってあげたもの、つまりグィンハくんが持ち主ではないか。人形の持ち主として判定される
考えている内にエマが帰ってくるが、すぐに朝の授業を始めてしまう。今日は、喋り方の練習をしていた。発声から言葉遣いまで──ハルさんの方がむしろ、学んだ方がいいとは考えないようにする。レッスンの間は、ハルさんといえど丁寧な話し口になるのだ。
「──抑揚の位置で、どの地方の出身かおおまかに知ることができます。他の言語との関連で類推も可能です、たとえばグィーテさんの挨拶は若干前が強いですよね? あれは彼の国の言語の特徴で──」
いや、本当に同一人物だろうか。双子の妹とかそんなことはないと思うが。
双子といえば、エマたちの叔父の息子たちは双子らしい、昨日アリアにそう聞いた。初めて見た時に似ているとは思ったが、双子だとは。王位継承順がどうなっているのか気になったが、便宜的にどちらかが兄とされているのだろう。
というか、アリアとエマは、王位継承権を持っているのか、そういえば訊いたことがなかった。オレの世界では、多くの国で女性にも継承権が認められてきている。女王に現在統治されている国があると授業で教わった。ただ、こちらの世界では、認められていなそうだとなんとなく感じた。二人はきちんとした教育を受けているし、城内で特に冷遇もされていないようだが、国の、発達(発展)度合い的に。隣国へ嫁に出されることはあるのだろうか、とオレは少し考える。アリアはオレとタメだから、相手がいれば、もう結婚してもいい頃だろう。そうしたら、もう彼女とは会えなくなるだろうか。嫁いだ先に、オレは移動できるだろうか。
そもそも、オレを、『ザンダン』を持って行ってくれるだろうか。
淡い焦燥。嫌だと思った。決めるのはオレではないが、アリアも決められる立場にないかも知れない。しかし彼女は、言われれば行ってしまう、従ってしまう、それが波風が立たないと知っている。それが無難な選択だと分かっている。それで、だから、それが嫌で。
それに頭がいっぱいになって、意識が沈んでいくのに気づくのが遅れる。
「エマ──」
声が──届いていない。そう直感的に思った。元の世界に戻ってしまうのだろうか。満足に思考ができない。人形間を移動する条件は解ってきたが、世界間を移動する条件はほぼ分かっていない。次こちらに来られるのは、いつになるのか──まだまだ、二人と話したいことがたくさんある。グィーテさんとは、特にないが──まだ、早いと思った。せめて、別れの言葉を──
○
「──エマッ!」
オレは叫ぶ。白い天井。蛍光灯。
戻って──きたのだ。
病室のベッド。視界の端で、何かが動くのが見えた。オレはそちらに顔を向ける。
「──
彼女は私服だった。ベッドの横に今まで座っていたようだったが、立ち上がって。
「エマって誰?」
「……え?」
なんだか、様子がおかしい。
「ねえ」
「……いや、その」
「誰なのッ!」
呼びだしボタンをがちゃんと押してから、荷物を持って部屋を出ていく。
「ぼ、ぼへぇえ……?」オレは生きて戻ってこられたことを喜ぶ間もなく、看護師さんが来てくれるのを、悶え苦しみながら待つ。
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