1-9 拠りどころ
「エマ様、大丈夫ですか?」エマの泣き声を聞いた召使が、扉から顔を出しそう尋ねる。「……えーと。姉妹喧嘩ですか?」
「大丈夫、ハル、ありがとう」エマは涙をハンカチで拭きながら答える。召使は首を傾げるが、顔を戻し扉を閉める。エマは──改めて、オレを見る。
「──ザンダン」
「おう」
「よかった……いなくならなくて。昨日は、本当の、本当に、もう会えないと思った」
「それは、本当にごめん」オレは謝る。オレも、あのタイミングでは元の世界に戻りたくなかった。しかし、それではなぜあのタイミングだったのかという疑問は残る。
「ねえザンダン、昨日の話の続きをしない?」
アリアが後ろから声を掛けてきた。昨日の話。そうだった。その話を、しようと思っていたんだ──グィーテさんの人形という、例ができた訳だし。
「オレの人形の──大きさを、変えれば、動けるようになるんじゃないかって話を、昨日アリアとしてたんだ。今日の朝、グィーテさんのお子さんの人形に移ったんだけど──その時は、動けたんだ」
それを聞くと、エマはキラリと目を輝かせ、「う、動くことができるの!?」と喰い気味に訊く。
「だから、大きめの『ザンダン』を、探してみようかと思ったのだけれど」
「ハル?」
エマは、自らの専属召使の名を呼ぶ。呼ばれたハルさんは、「はいはーい」と扉を開けて室内へ。
「頼んでいたものを見せて頂戴」エマが言うと、ハルさんは──ポケットから、何かを取り出す。「ハイ、どうぞエマ様」彼女はそう言って、小さなノートをエマに渡した。
「それは?」オレとアリアは、エマが渡されたものを覗き込む。ページには、何やらたくさんの文字が並んでいた。
「ハルに、街に行っていろいろな『ザンダン』を調べてきてもらっていたのです」
「がんばってきました」ハルさんは少し誇らしげに言った。
「大きいものも、多いようです。あ、グィーテ先生の人形は、どのくらいの大きさだったのですか?」
「ええと、このくらいだね」アリアはオレを右手で持つと、空いている左手でオレの周りをぐるっとなぞる。丁度、グィーテさんの人形くらいに。「二キュートルくらいだった」
「それなら、ハルが同じくらいのものをいくつか見つけています」エマはぱらぱらページをめくる。「大きさは、ほんの握り拳程から、三キュートル程まで。ひ、ひとつ買ってみますか?」
「え、エマ?」
「ハル! 実際に見てみたい、車を用意して!」
「了解です!」
「エマ、落ち着いて! ハルも行かないで」アリアは興奮する二人をなんとか落ち着かせる。エマはすぐにハッと我に返り、
「す……すみません、姉上。少々、
「え? 行かないんですか?」
「エマ、結論を急ぐ必要はないよ──それから、他の『ザンダン』のありかを、あまりザンダンに教えないこと。今度こそ、ザンダンに会えなくなるかも知れない」
エマは──途端、また泣き出しそうになる。
「でもザンダンが移動する条件を、まだ教えていなかったよね?」アリアは慌てて言葉を続けた。「ザンダン、こっちの『ザンダン』に来て。ザンダン、ザーンダン」
「来られたけど、また三回呼んだな」
オレはアリアの手の中でそう言う。
「そ、それは言わなくていいじゃない!」
「……姉上? あ、まさかもう移動しているのですか!」エマは自分の『ザンダン』を揺らす。「おーい。ザンダン!」
「大丈夫、呼べば戻って来られるから」
オレはエマの方へ戻るなり言った。
「姉上、それで条件というのは?」
「確定ではないけれど──」エマに、アリアはざっと説明した。「──とはいえ、どこに行ったのか、分からない状況にはしたくないでしょう。だから、そのノートの話は、ザンダンの前では、しないこと」
「はい、姉上」エマは素直に返事をする。
「それでは、理論を検討していきましょうか。大きさは、関係あるのかどうか──私は、ずっと瞬きが気になっているのだけれど」
「瞬き? ああ、姉上の人形、まぶたがないのですね」エマはオレの右目に指を突っ込んでくる。そしてまぶたを上げ下げした。「これは、こうして着いています。買った時から」
「エマ、痛くないけどやめて?」
オレが言うと、エマは指を引っ込めた。
「ザンダン、グィーテ先生の人形には、まぶたは? 着いていた?」
アリアが尋ねる。さて、どうだったか。瞬きなど、普段意識してやることは滅多にない。現代人はスマートフォンやPCなどの画面を凝視し過ぎて、瞬きの回数が減っているとは聞いたことがあるが、オレ自身は別に元の世界でドライアイの症状はなかったし、視力は裸眼で1.0くらいで眼鏡もコンタクトレンズも使用していない。要するに瞬くべくして瞬いている、というつもりは全くない。眼球の表面が乾かないよう、体が反射でするのが瞬きであり、エマの人形において瞬きができるとは言ったが厳密にはまぶたを閉じることができる、だ。
それでグィーテさんの人形だが、そういえばあった。五感を確認したのだった。嗅覚視覚触覚聴覚味覚。味覚はまだ一度も試したことがないが、口にものを突っ込まれても困るので保留でいいだろう。朝に突っ込まれた杖は味がしなかったが。今のところ、嗅覚と聴覚は共通してある。視覚も同様だが、まぶたの有無がある。触覚及び痛覚は、グィーテさんの人形にしかなかった。そうだ、それを報告していなかった。
「エマ。オレ、触覚がないんだけどそれもアリアに伝えて」
「触覚がない? そうだったの?」
「触覚がないの? 触覚も、ある場合とない場合があるってこと?」
「うん、グィーテさんの人形でだけ、触覚と痛覚があった」
「先生のでだけだそうです」
「ということは」アリアは腕組みをする。年齢相応に、綺麗な形だった。「やはり人形が大きくなるにつれ、できることが増えていく、ということなのかも知れない。先生の人形には、関節らしい関節はなかったけれど動けていたし。感覚器官も、大きい程、発達していくと考えられる」アリアはオレの顔を覗き込む。「ザンダン、まぶた以外の部位は、全く動かせそうにないの? この腕を肘の辺りで折ったら動かせるようにならない?」
「こ、怖いです姉上……」
全くだ。それだったら、新たに大きい人形を買ってきてほしい。いや、でもそうしたら移動条件が複雑化するかも知れないか。一人の所有者に対して、行き先が複数ある状態になる。
「お二人、いつ昼食になさいますか?」
そこで、ハルさんがやって来てそう二人に訊いた。
「後で──いえ、さっと食べてしまいますか、姉上?」
「──ええ、ハル、食べやすいものを──ああ、ジセに言いに行かなければ。行きましょうハル」
はーい、とハルさんはのんびりついていった。あの人が来ると、それまで単調に流れていた時が歪んでいく感覚を覚える。
しばらくして、二人は戻ってきて、エマの部屋で軽い昼食と共に議論が再開する。
最終的な結論としては、新たな『ザンダン』はひとまず買わないこととして、現在手持ちの二体+グィーテさんの一体で実験をしていくこととなった。
○
「……ザンダン、ザンダン──ザンダン」
アリアは自分の部屋に戻るということで帰っていったが、その態度がなんとなく気になったオレは、そちらへ行くことを考えてみると、すぐアリアの元へ行けた。彼女はまだ、廊下を移動中である。オレは行きと同じく、ポーチの中にいた。
「エマを──護ってあげてね」
その言葉に、オレは声を発するタイミングを失う。
「物理的には、今のところ無理だから──精神的に。あの子の、拠りどころになってあげて」
それは、オレがいることを知っての言葉なのだろうか。アリアはそれ以降は何も言わなかった。オレは、何も返せず、エマの方へ戻る瞬間を待つ。
「──ザンダン、分かった?」
「──ああ、悪い、ぼーっとしてた。何だっけ」
「もう、ザンダンが聞きたいって言ったのでしょう、『ザンダン』の人気の理由を」
そうだったかも知れない。元の世界ではオレは単なるフリー素材だった。人気の理由は、面白いから。それだけだ。
しかしこちらの世界で、オレの存在意義があるならば。たとえば、エマを護ることだったら。そのために全力を賭したいと、オレは思う。
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