1-8 約束


「──聞こえ、ないよ、ザンダン」



 グィーテさんに今までの粗筋を説明してもらい、オレはアリアに、「アリア、久し振り」と声を掛けるが──予想通りというか、残念なことにというか、オレの声は、彼女に届かないようだった。

「そちらの人形に移ることはできないのか、ザンダン」

 グィーテさんは言うが、



「だから……そのための条件が、分かってないんですよ。移れるなら、今すぐにでも移ってやりたい」



「先生──彼は何と?」アリアがそう尋ねた。何か話していることは分かるらしい、口が動いているのは見えるから。それはつまり、少なくともオレが手を振ったのを、グィーテさんの奥さんや息子は見ていたということである。声が聞こえていたかどうかは、早めに確認しておきたい。

「『移れるなら、今すぐにでも移ってやりたい』と」

 グィーテさんは通訳をする。アリアは──笑って。

「優しいね、ザンダンは」

 しかしその笑顔は、どうにも不完全で。

 心の底から笑えていないのが、伝わってくる。グィーテさんもそれを察したようで、「ではアリア様。彼が人形間を移動する条件とやらを探りましょう」と話を進める。

「そうですね。ええと、現状では『名前を呼ぶ』ことが条件のひとつである可能性が高いです。名前を呼ぶだけでは、いけないらしいですが」そう伝え、「どう、ザンダン。何度か試してみましょうか。ザンダン、ザンダン」彼女は自分の小さな『ザンダン』の人形を手に持って、

 

 ────?



「あれ?」



 これは──まさか。



「ザンダンッ!?」アリアはバッとオレの顔を自分に向ける。その顔は、今度こそ──喜びに満ち充ちていて。



「アリアッ!」



 オレは手を──動かせないのだった、そういえば。こちらはアリアの人形。とりあえず、「ただいま」と言っておく。

「ええ。おかえりなさい」

「──アリア様。移動は成功したのですか?」グィーテさんは、オレがさっきまで入っていた人形の頬をつつく。「ザンダン? ──ザンダン」グィーテさんは、その人形の顔を握り潰す。あの中に入っていたら、多分悲鳴を上げていた。「そのようですね。しかし、今どんな条件を満たして移ったのか」グィーテさんは腕を組む。「アリア様が呼んだのは三回。三回呼ぶことが必要なのか、三回呼んでいる間に別の条件が満たされたのか、それとも呼んだのに関係なく、移動できたのか」

「先生は今、二回、ザンダンを呼ばれましたよね?」アリアは考察を引き継ぐ。「二回ではなく三回なのか、それとも別の──そうだ、ザンダンに聞けばいいですね、また話せるように、なったのだから」彼女はオレを見て、「どう、ザンダン。私があなたを呼ぶ時と、先生が呼ぶ時で、何か違う点はあった?」

 オレは少し考える。「関係ないかも知れないけど。アリアが呼んだ時は、アリアの方へ行きたいと思ってた。だけど、グィーテさんが呼んだ時は、行きたいとは思わなかった」

 アリアは──何かを閃いたように、ハッとして左上を見る。「先生。もう一度、ザンダンを呼んで下さい。ただし、『ザンダン』に危害を加えないこと。ザンダンは、大丈夫だからあちらの『ザンダン』に移りたいと思っていて」

 もう顔を潰されるのも杖で殴られるのも嫌なのだが──アリアの頼みであり、延いてはエマのためにもなることだ。オレは言われた通り、先程まで入っていた向こうの『ザンダン』に戻ることを考える。



「──ザンダン」



 ──オレは。グィーテさんの人形の中に、移っていた。オレは立ち上がってみる。

「仮説は──今のところ、当たりということですね」グィーテさんは言い。

「ザンダン、戻ってきて。ザンダン、ザンダン」アリアが言うので、オレはそちらへ戻る。

「呼ぶ回数は、関係ないってことでいいのかな? 今のところ、アリアは必ず三回呼ぶからなんとも決め難い」

 オレは気になったことを言うと──アリアは少し顔を紅くして。

「そ、そうだね。もう少し実験してみよう」そう言ってまた笑った。



 実験結果。

 名前を呼ばれた時、オレがそちらに行きたいと思っていれば移動できる。

 呼ぶ回数は関係ない。

 そして──何度移動しても、昨日何度も感じた、あの力は感じなかった。

 そのことをアリアに話してみる。

──か。それは、エマから私、の時も、私からエマ、の時も?」

 オレは──そういえば頷けなかったので、「うん」と言う。

「移動距離。慣れ。拒否反応。もしくは、まだ細かい条件があるのかも知れません」

 グィーテさんはそう言った。移動距離。確かに、具体的にどのくらいかは知らないが、エマの部屋とアリアの部屋より、アリアの人形とグィーテさんの人形の方が近い。向かう先が遠ければ遠い程、そこへ行くのに強大な力がかかる、という理屈か。ありそうではある。慣れ。これは──判別し難い。慣れたといえば慣れたが、今回は一度も、力を感じなかった。全く、だ。今日、一番初めにアリアの人形に移れた時も、いつの間にか、という感じで。では、拒否反応というのは。これは──向かう先に対して、ではないだろう。今のところ、向かう先に行きたい気持ちが、条件の一つと考えられている。つまり、移動はしたいが──留まりたくもあり。



 オレはエマを思い出す。

 彼女の涙に満ちた顔を。



「──アリア」



「なに?」

それについてはもう、後でいい。すぐ──エマのところに行かなきゃ」

 オレは言う。

「すぐ?」

「昨日、最後にアリアのところに移動した、直前。エマのところを離れる時──エマに、辛い思いをさせた。もう会えないなんて、そんなことないって、早く安心させてあげたいんだ」

「────!」アリアは、何か思い当たることがあったように、「ええ、すぐ行きましょう。先生、ありがとうございました。私たち、エマのところに行ってきます」とオレを持って立ち上がる。

 グィーテさんは、



「分かりました。では私は帰ることにしますが──アリア様。そう簡単に、その者を信じぬようにと、進言をしておきます」



 と、厳しい口調で言った。

「……はい。分かっています」

 確かに、元の世界では仕掛けもないのに人形が話したり動いたりすることなど有り得ない。そのルールは、こちらの世界でも同じらしく、それを信用しろというのは、まあ普通はムリな話だ。

 アリアにはオレが、違う世界から来たと伝えてあり、一応、信じてもらえたが──その信用を揺るがせるようなことはしないと決める。

「では、失礼いたします」グィーテさんは──敬礼をし、オレたちを見送った。




     ○




 オレはアリアのポーチに、昨日と同様に突っ込まれ、エマの部屋へと向かう。

「ザンダン、いる?」

「いるよ」

 アリアは不安なのか、定期的にそう尋ねるので、オレは毎回律儀に応じる。そういえば昨日は、なぜ移動途中に元の世界へ戻ったのだろう。そこで夢から覚めた、といえばそれだけだが、あのタイミングでなければならなかった理由はあるのだろうか──あの時、オレはエマの元に行きたかった。恐らく、あのタイミングでエマがオレを呼んでいたら、オレはすぐエマの持つ『ザンダン』へ、移動していただろう。

 しかしオレは、途中で元の世界へ戻ってしまった。

 だから今回は、とにかくエマのことを考え続ける。意識が落ちていかないように。別のところへ飛ばされないように。

そういえば、オレが行きたいと願った先にしか、行かないということは。

「オレは、現状エマ、アリア、グィーテさん、三つの人形の間だけ、行き来できるってコトかな?」

 アリアは、「……確かに。仮説が、正しければだけれど」そう慎重に言う。「──先生のところには、もしかしたら、昨日、先生が息子に挙げた話を聞いたから、それが選択肢に入ったということなのかも知れない」

 それは──そうなるだろう。ということは、これからは迂闊にどこに『ザンダン』があるとか聞いていられない。それでは行き先が増える一方だ。



「着いたよ、ザンダン」

 揺れが止まった。アリアは、「ハル。エマは中にいる?」と言った。ハルとは確か、エマの召使だ。ハルさんは、「ああ、はい。いらっしゃいますー」と答えた。何ともシリアスになれない喋り口だ。

 アリアは戸をノックし、ノブを回す。

「エマ、入るよ」

「姉上。どうされましたか?」

「少し、ね」アリアは戸を閉めた。「エマ。あなたの『ザンダン』は?」

「あ、ええと」エマの足音。「あります。ここです」

 懐かしい声だった。今すぐ向こうに移りたい。オレは気持ちを集中させる。



「『ザンダン』って、呼んでみてくれない?」 



 アリアが仕掛けた。対してエマは、

「……姉上。来ないものは来ませんよ」

 すっかり、落ち込んでいる様子だった。

「一度でいいの。ねえ、エマ?」

 エマは。




「──




 オレは。




「──ッ!」




 移動は──大成功だった。目の前には、エマの驚いた顔。

「どう!? 来ている!?」アリアはオレを持つエマの手を、更に手で包み込む。エマは、オレを見て、アリアを見て、もう一度オレを見て。



 大粒の涙を。



「ざ、ざ、ざ、ザンダああああぁああ、ああうう、えぅ」



「泣き虫だな、エマは」そういうオレも、なんだか泣きそうだった。

 この体で、泣くことが可能かどうかは、知らないが。

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