1-7 再会
「グィーテ・ミスエルです」
家を出て、しばらくするとそんな声が聞こえた。続いて「お通り下さい」という声。どうやら城に着いたらしい。オレはなんとかバッグの留め具を外して、外を見ようとする。
「ザンダン」グィーテさんはすぐそれに気づく。オレは渋々バッグの中へ戻り、「もう城ですか?」と尋ねる。
「はい。ただし、アリア様のところへ行くのは後回しとなります」
「え?」
「今日は、ガルイス様の家庭教師として来たのですから、当然です」
グィーテさんはそう言う。なんだか騙された気分だ。それにしても
ガルイス
ということはその人が、暫定長男であり──第一王子、王位継承順位一位。国王にはエマという幼い子供がいるし、見た目もさほど老いてはいなかった。そんなにすぐの即位とはならないだろうが──何事もなくこの国の歴史が続いていけば、いずれ王となる人間。
そんな人に会いに行かなければならないらしい。グィーテさんの仕事中は、バッグの中にずっと隠れていようと決める。昨日のアリアへの授業が二時間くらいだったから、今日もそのくらいだろう。しばらくして、グィーテさんが止まり。
「ペース殿。ただいま参上いたしました」
との声が聞こえた。ペース殿? 再び新登場。今度は、全く聞いたことのない名前だった。
「こんにちは。どうぞお入りください」ペース殿と思われる男性の声がする。お入りください、ということはもう部屋の前に着いたということか。そして、扉の前に控えているということは──第一王子の、専属召使だ。
それにしても、声が若い。アリアの召使は四十代くらいだったが、エマの召使も若かったと思い出す。そちらは、若いというかまだ成人前なのかとさえ思ったが。
とんとん、と二回連続で、何かを叩く鈍い音。これは、昨日アリアの部屋にて見た、グィーテさん流の敬礼だろう。その音の後、コンコン、とまた二回連続の軽い音。こちらはノック音だ。
「失礼します」
扉が開く。バッグが揺れる。
「ああ、掛けてくれ」
グィーテさんの柔らかな声と打って変わって──重く低い声。その声に応じるように、バッグが地面に置かれる。オレは、息を殺して成り行きを大人しく聴くことにする──
「グィーテ。その人形は?」
ぞくぅっ、と背筋が撫で回される感覚。なぜバレたのだろうと視線を動かすと──銃身が、バッグの口を突き抜けていた。なぜこの銃はこんなに細長いのだろう。
グィーテさんは──バッグの口を開け、オレの頭をがっしり掴み、持ち上げる。そしてオレの顔を、まっすぐ、王子に向かせた。
「息子が、『
第一王子。その顔は──鋭利な刃物を連想させるようだった。鋭い目。長い睫毛。通った鼻梁。固く結ばれた口元。前髪は左側で分けられ、ウェーブがかかりながら後ろ髪と共に流されている。オレを見下ろし、何も言わずじっとオレと目を合わせる。
というかさらっと適当なことを言ったな、グィーテさんは……確かに、オレが歌って踊れる人形だと知られれば、面倒な話になるだろう。ある意味で彼は、オレを護ってくれたのだ。
グィーテさんは、オレをバッグにしまう。それを受けて王子は興味を失ったように、オレから視線を外し、机の上のペンを持った──
──オレの目は。その時、机の上の、
オレはバッグの中に戻される。
「では始めましょう。昨日、アリア様に銃の歴史について講義したのですが、イパタダ人の遺跡における銃の痕跡を憶えていらっしゃいますか?」
「イパタダ遺跡、第2番から6番洞窟。銃弾と思しき金属片が約2000発、見つかったが、銃身は見つかっていない。銃弾だと判明した根拠は空気抵抗を軽減するためのその独特の構造。第2番内に記された碑文が銃の使用を多少は裏づけた。というところか」
「素晴らしいです。こちらにその碑文の写しがあります──」
そんな風に、話は進んでいくが、この世界の者ではないオレにとっては、あまり興味の湧かない内容だった。
○
「──ええ、格の変化が一見特殊で、規則性がないように思われるかも知れませんが、実際は完璧なまでに仕組まれている文法体系なのです」
「あなたにこの手のことを話させると、相変わらず歯止めが効かなくなるな」
「見苦しいところをお見せいたしました。では、本日はこれまでといたしましょう。失礼いたします」
再び二度、鈍い音が聞こえた。敬礼の音だ。バッグが持ち上がる。お帰りのようである。
「失礼いたします」
扉が開き、閉まる音がした。
「ありがとうございました、ミスエル殿」ペースさんとかいう召使の声が聞こえた。「こちらこそ。失礼いたします」グィーテさんは召使にも丁寧にそう言い、歩き出した。
「……今度こそ、アリア──様の、ところに?」
オレは恐る恐る小声で尋ねてみた。グィーテさんは、
「はい」
と。
「ただし。繰り返しますが、私の許可なく動かない。話さない。いいですね」
「あー、そのことなんですけど」
「?」グィーテさんは立ち止まった。
「オレの声、この人形だとアリア様に聞こえないかも知れないですよ」
「──根拠は?」
オレは──話してしまうことにした。オレが、異なる『ザンダン』の人形間を移動できること。ただし、その条件は不明だということ。今まで、エマとアリアの人形にそれぞれ憑依したこと。エマの人形に入っていた時は、オレの声が、アリアに聞こえなかったこと。
オレが別の世界から来たことは伏せておいた。そもそも、まだこの世界が夢なのかどうか、判明していない──あ、でも痛覚があるのだったか。ということは、現実か?
グィーテさんは、オレの話を聞き終えると、はぁー、と溜息を吐き。
「そういう重要な話は、先にするべきものではないのか?」と言う。「最初にそう言えば、アリア様に訊いてその話の真偽を確かめるだけだというのに……無駄な労力をかけさせて」
それは──そうかも知れなかった。
「アリア様は賢い方ですから、彼女が『ザンダン』との会話歴があると言うなら、あなたへの疑いは捨てましょう。動いて話せる理屈は解明する必要がありますが──」
グィーテさんは歩いていく。確かにその手順がよかったかも知れない。動いて話せる理屈は、オレの方が教えてほしいくらいだが──と、彼は足を止めた。
「ハロルバロル殿、アリア様に昨日の授業のことで面会をしたいのですがよろしいでしょうか」
グィーテさんはまたそうやって適当なことを言う。ハロルバロルとは──第一王子のところでの様子からして、アリアの召使の、あの中年男性の名だろう。召使は何も言わなかったが、グィーテさんは例の礼をする。許可してもらえたようだ。
コンコン、と扉をノックする。「アリア様、グィーテです」
中から、「お入り下さい」という声が聞こえた。グィーテさんは扉を開ける。「失礼いたします」
「どうしたのですか先生、今日は授業日ではない筈ですが」
懐かしいアリアの声だった。いや、昨日別れてから、まだ一日と経っていないが。
「アリア様に訊きたいことがあります」グィーテさんは早速切り出す。「アリア様──昨日、ベッドの上に『ザンダン』を置かれていましたね。あれは、今どちらに」
「あ、ええと」足音。「棚に、飾っていました。その──」
「
アリアの緊張が伝わってきた。グィーテさんは言葉を続ける。
「
「な、何か──いえ、何を、知っているんですか?」
アリアは興奮気味にそう尋ねる。
グィーテさんは、「ザンダン?」と。
その合図で、オレはバッグから顔を出す。
アリアと目が合った。オレは手を振ってみる。
彼女は──オレに向かって走ってきて。オレを持ち上げ──抱き締めた。
「ザンダン!」
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