1-3 寂しくなったら
「──ということは、あなたの意識が留まっている人形、
それはそうだ。オレにとっては、人形である現在の状態でオレとしての意識がある、ことは事実。しかしその証明を、どう説明すればいいのか。──まず、何を話すにせよ、この世界についてほぼ何も知らないことに気づく。
「えっと、今年は何年?」
「八九六年、だよ」
オレがまず尋ねると、そう答えが返ってくる。
それは──勿論、西暦ではないだろう。西暦だったら、流石に文明が進みすぎである。今のところオレがこの世界に抱いているイメージは、いわゆる中世ヨーロッパ、パンがないとケーキを食べる時代。西暦だと18世紀頃か。西暦800年代といえば日本でいうと平安時代、近い出来事は
エマはこの国を、リオフラン
さて、オレは高校で世界史を習っているが、リオフランという国は聞いたことがない。よって過去にタイムリープした訳ではないことは、西暦ではないことを含めて確実だ。……いや、
「オレは、実は違う世界から来たんだ」
「え?」
アリアは目を丸くする。
「オレは本当は人間で、なぜか意識だけこの人形に移ってる。俺が別の世界から来た証明は――」
オレが、この世界にない、オレのいた世界のものを説明する。
これは彼女にとって、とりあえず幻想でない証明には、なる。
「たとえば、アリア……さんの本棚にはたくさん、本が入ってるだろ?」オレは部屋にある大きな本棚を見遣る。立派な装丁の本が十冊程、置いてあった。「オレの世界では、あの量の情報を、一枚の
「…………」
アリアは天井を見上げ、何か思案しているようだ。一気に話し過ぎたかと思いつつも、オレは続ける。「その板には情報を溜めていけるんだ。あの本棚いっぱい、いやそれ以上の情報を蓄積できて、それをいつでも……」
「ザンダン」
アリアは話を遮りオレの、いやこの人形の名を呼んだ。
「はい」
「──そちらの世界では、あなたは何歳?」
「……今年で十七歳」
アリアは顔を──ようやく戻し。
「同い年だね」
そう言って、笑った。
「……うん」
「呼び捨てでいいよ、ザンダン。よかった……あなたが実在していて」アリアは続けて言う。「これも含めて、私の妄想でないことを願うけれど。まず私の主観としては──安心できた。エマには、このことを言った?」
「まだ、だけど」彼女はまず、オレが話せることにほとんど疑問は持たなかったからである。
「まあ、追い追いでいいか、あの子には」アリアは──オレの手を掴むと、突然立ち上がる。オレは上方向へ跳んだ。アリアの顔より高い位置まで持ち上げられ、彼女と目が合う。
「よろしく、ザンダン!」
「うん、よろしく」
……ザンダンという名は、訂正してほしいが。
結局なぜ、この世界に『残弾を数えるしゅーちゃん』のグッズがあるのかは分からない。夢の中では整合性がないことも普通に起きるが、それに疑念を挟むことはない──疑いが生まれるのは、明晰夢の始まりか、目が覚める直前だ。
と、突然、オレはアリアの手から落っこちる。彼女が手を離したようだった。
幸い痛覚がなかったため、視界ががくがくと揺れるに留まったが──顔が上の状態で着地できたので、アリアの顔を見ることができた。
彼女は、紅い顔を、両手で押さえている。
「……? どうかした?」
「い、いや──同い年の男の子と話す機会が今までなくて──その、意識したら、少し緊張してきた」
オレを見下ろし、そう言う。オレもなんとなく、気恥ずかしくなる。
「ああ、ごめんなさい、落としてしまって」
アリアがオレを再び持ち上げる──気まずい雰囲気の中、コンコンと部屋の扉がノックされる。アリアはビクッと体を震わせる。オレも心境は同じだったが、体に反映はされないようだった。
「アリア様、失礼いたします」戸を開け入ってきたのは、いかにも先生という感じの、初老の女性だった。
「こ、こんにちは、先生。よろしくお願いします」アリアは慌ててオレを机の隅の方に移動させ、オレのいた場所にはノートを並べる。家庭教師はスタスタと近づいてきた。エマの場合は、あの召使さんが教育も担当していると言っていたな──その時、再び、
オレは──なんとか、声を絞り出す。
「アリア!」
「──!」彼女はオレの声に気づく。
「エマの方に──行かなきゃならないみたいだ。また、今度」
「……!」アリアは小さく、オレに向けて手を振る。
オレの意識は飛ばされて。
○
「ザ・ン・ダ・ンー! いい加減起きてよー!」
意識が戻った瞬間、甲高い声が頭に響く。
「エマ!」
オレは負けじと大声を出す。彼女は、オレが帰ってきたことに気づくと、「ザンダン!」とオレを高く持ち上げる。丁度、先程アリアがしたように。「突然、眠ってしまうから、驚いたでしょう!」
「いや、それが実は……」
「え?」
オレはこれまでの出来事をまとめて話す。オレが別の世界から来たことは、アリアの指示通り、まだ伏せておいた。
「──へえ。それで、どのような条件で行き来ができるの? 今すぐ姉上のほうへ行ける?」
「それが、移動する時は、何か強大な力に、無理矢理引かれる感じで。だから、エマたち持ち主側に、鍵があると思うんだけど」
エマは腕組みをする。顔にはまだ幼さが残るが、なかなかサマにはなっていた。「わたしは、あなたがこちらに戻ってきた時、何度もあなたの名を呼んでいたけれど──それは、ザンダンが姉上の部屋に行った直後から、頻繁にだった。今、こちらに移れたこととは、関係ないかな」
それは──ひとつの仮説には、なるだろう。今度アリアの方へ行った時、あるいは彼女がこちらへ来た時、詳しく訊くことにする。二人の行動で、共通している部分があれば、それが条件の候補となる。
「……そういえば、オレは、『
「──ザンダンは、本当に、何も知らないねえ?」
エマは首を傾げ。
「『ザンダン』というのは、今、この国で流行している、人形だよ。見た目としては、黒髪短髪、服は半袖半裾、何らかの武器を持っているという三要素は固定されていて、これを満たしていればそれは『ザンダン』ということになる」
それは、丁度現実世界の
「分からない」エマは首を振る。「多分、下町で流行りだしたと思うけれど。それにしても、銃を意匠に選ぶのはいささか物騒だと指摘されているね」
確かにそうだ。子供向けの玩具で銃とは、情操教育上よろしくないだろう。オレは例の動画、その切り抜きを思い出す。『
そして──それなら、新たな疑問が生まれる。
「ということは、オレ──『ザンダン』の人形は、この国のいろんなところにいるってことだよな?」
「ええ。国外での状況は、どうか知らないけれど」
「つまり。今後、
エマは息を飲む。そういうことだ。何もこの場所だけにオレが縛られる謂われはない。条件を満たしさえすれば──その条件に、『この城内』とか『王家』とかいうものがあれば別だが、作為がない限りその可能性は低いだろう──オレはどこにでも現れる。だからその原理はできるだけ早く見つけたい、アリアにも忘れず共有しよう──と。
再び、例の強大な力が、オレを引っ張る。
「あー、エマ。また、どこかに行かなきゃならないみたいだ。アリアのところじゃないかも……って」オレは表情は変わっていないかも知れないが、それでも彼女に笑いかける。「なんで、そんなに悲しそうな顔してんだ」
「だって……この先、二度と条件を満たせなかったら!? 二度とお話しできなかったら……寂しいよ」
涙を浮かべる彼女は、まだ幼くて。
アリアが優しく接する保護対象で。
一期一会なんて境地には達せない、そんなエマを安心させるために、オレも言葉を掛ける。
「エマ」
「……うん」
「寂しくなったら、オレを呼べ。必ず、どこにいても、駆けつけるから」
「──うん」
エマは気丈に、笑顔を見せた。
それを最後に視界は暗転する。
「──ザンダン」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます