1-2 姉と妹


「エマ、食卓に人形など持ってくるのではありません」



 朝食の席で、上座の女性が言う。オレはエマが着替えた後、彼女に両手で持たれ、部屋を出て階段を下り、このダイニングルームに連れてこられた。中央の長いテーブルには、奥の短辺に男性、その人の右手側の長辺には奥から女性(今エマに注意した人)、男性、顔がそっくりな二人の男性。左手側には、男性、男性、女性、そして入口からすぐの一番手前の席は空いていた。そこが、エマの席なのだろう。しかし彼女は、その席に行く前に、「ですが、母上」と。

「この人形、話すことができるのです! 素晴らしいと思いませんか?」

 あっさり、オレのことを話す。

 オレがどうやら人形になっているということは分かったが、だとしたら人形が話すと聞いて信じる者は、絶対にいないだろう。そもそもエマの話し振りからしても人形が話す事態は普通ではないようである。それを受け入れる彼女も彼女だ。

 予想通り、エマ以外の部屋にいる者の多くは戸惑いの表情を浮かべる。一番上座の男性と、母上と呼ばれた女性の右の男性は、無表情のままだった。

 他方、後者の男性の向かい、エマの席の二つ右隣の男性は──ニヤニヤと笑い。

「まだ夢の中か、エマ? 覚醒しながらそんなことを言うのはそろそろ恥ずかしい年齢だぜ」

 そう言った。エマはビクッと体を震わせる。エマの一つ右隣の女性が「兄上……」と少し諫めるような視線を向けた。エマはオレを、後ろで控えていた彼女の召使に預け、席に着く。

 そして滞りなく、朝食が進んでいく。



 朝食の最中、オレは冷静になり、現状を分析する。どうやらオレは人形になっていて、オレの家ではないどこかへ来てしまっている。

 結論。これは夢。

 夢の中では頬をつねっても痛くないとか、夢を夢と認識すると夢の中で何でもできるとかよく聞くものの、目下オレは動けないため、何も面白くない。というか何でもできるはずなのに俺は動けていない。まあ所詮、夢は脳の書架整理。朝起きれば内容をすっかり忘れている、ということは珍しくない。

 夢なら夢で、気楽に行こう──とオレは考える。オレの行動が、現実世界に何か影響を与える訳ではない。やけに建物の内装や運ばれてくる料理が細かく再現されているのは気になるが、そこはオレの想像力なのだろう。



 食事が終わり、エマがオレを回収する。食事の時間は最初いただきますから最後ごちそうさままで会話がなく、オレは食器とカトラリーがぶつかる小さな音や、咀嚼音をただずっと聞かされていた。他所よその家庭を覗き見ている罪悪感のような気持ち。

 エマの部屋に戻る。オレは彼女に頼んで、自身の姿を見せてもらうことにした。部屋の隅に置いてある大きな姿見まで運ばれる。

「どう? 見える?」

 …………。

 見えは、したものの。

 半袖半裾。ぼけっとした表情。担いでいる散弾銃。これは、明らかに。



「──しゅーちゃんオレじゃん……」



「え? それはそうだよ」エマは当然理解できるはずもなく、ベッドに腰掛け、まともなことを言うに留まる。しかし夢の中でまで、フリー素材こんなものになりたくはないのだが。「エマ、オレは一体何者なんだ? 何かの登場人物なのか?」

「ザンダンは自分のことも何も知らないねえ。あなたは──」



 コンコン、とノックがあり。

「エマ、入るよ」



 朝食の席で、エマの右隣に座っていた女性が、部屋に入ってきた。「姉上!」エマはオレを手に持ったまま、彼女に駆け寄る。視界がぐらぐらと揺れるが、気持ち悪くはない。エマの姉はオレを見遣ると、

「例のお人形と、お話ししていたんだ?」

 とエマに優しく言う。兄と違い、優しい声掛けだ。「はい、そうです。ザンダン、自己紹介して?」エマは突然オレにそう振る。ううむ、人形が喋るというのはこの世界でもふつうではないことのようなのであまり見せびらかすのもどうかと思うが──夢だし深く考えることもないだろう。

「あー、えー、オレは、ザンダン? です。よろしくー」オレはそう言い、エマはドヤ顔で姉を見るが──姉は少し困ったような顔をし。

「そうだね、喋ったね。喋った、と思うよ?」と歯切れ悪く言う。オレはエマと顔を見合わせる──厳密には、エマがオレの顔を覗き込む。

 

「あ、私はアリアです。よろしくね」なんとか取り繕う姉・アリア。「そうだエマ、これを見せに来たんだ」そう言って彼女は、あるものを肩掛けのポーチから取り出す。それは──

「ザンダンだ!」

 ザンダン──しゅーちゃん、だった。第二のオレ。今のオレより、二回りくらい小さく、アリアの手の上にちょこんと乗せられるほどのサイズ。材質は布だろうか。「最近そのお人形、お気に入りみたいだから、私も手に入れたんだ。こ、この子は、喋ることができないけれど……」

「嬉しい、姉上!」

 エマはアリアに抱きつく。オレは腕の動きに合わせぐるーっと回り、アリアの背中に激突した。アリアは、「シャード兄様の言ったことは、気にしなくていいからね」と妹の頭を撫でつつ、さりげなくフォローをする。俺は一人っ子で、たまに兄弟姉妹がいたらどんな感じなのだろうと考えることがあるが、正に、理想の姉、である。



 二人はしばらく雑談をしていたが、「これから先生がいらっしゃるから、部屋に戻るね」と言ってアリアは部屋から出ていく。

「先生って?」エマに訊くと、

「家庭教師。姉上には三人の担当がついているんだ」

「エマには?」

「十二歳までは、専属の召使が教育も担当するの」

 ──それで、あの人はずっとエマの後ろに控えていたのか。十二歳までということは、初等教育まで。中等教育からは、家庭教師がつくということか。

「ちなみに今日は午後にお勉強……」

 いきなり盛り下がるエマ。オレは慌てて、話題を変えようとする。

「そ、それよりアリアって、いい人だよな」

 と言うと、「そう! 最高の姉上だよ! ……ザンダンの声が聞こえないのは、残念だけれど」彼女は手に持っているオレを前後にがっくんがっくん揺らす。オレの首と視界はがっくんがっくんと揺れた。

 それはそうだ。というより、不思議だ。エマにだけ聞こえる、オレの声。エマの勘違いという説は、客観的には成り立つがオレの主観としてはあり得ない。現に、彼女としっかりコミュニケーションが成立している。「何か、理由、あるいは規則が、あるのかもな……」オレは呟く。その時。



 オレは、どこかへ引っ張られる感覚を味わう。それは、あまりに強い力で、抵抗もできず、オレは──



「それでね、姉上は……ザンダン、聞いている? ザンダン?」




     ○




 オレは再び目を開ける。

 目が覚めたのかと思ったが、違うようだ。エマの部屋と似ている内装。水色を基調としていて、静かで落ち着いた感がある──と、オレの前に誰かの顔が現れる。



「──ザンダン。あの子は本当に夢を見ているの……?」



 エマの姉の、アリアであった。彼女の顔と自分の体のサイズ比からして──まさか、先程彼女がエマに見せた、あの小さな人形か? アリアは、オレを両手で掴む。やはりそのようだ。どうやら、彼女の『ザンダン』に乗り移ったらしい。

 エマのザンダンと、アリアのザンダン。二つの人形の間を移動したのだ。自由に、とはいかないが。今、突然違うオレに憑依することになったのだ。どういう条件で移ったのか分からないのは、厄介だ──エマとの話が、途中だった。

 アリアはオレに顔を寄せる。青みがかった金髪が印象的で、瞳はエマと対照的に深い緑色。肌はエマと同じくすべすべで、その整った顔にオレは思わず、



「可愛いな……」



 と口にする。おっと、声に出てしまったが、どうせ聞こえないのだ、素直な感想であったため特に取り繕うことも──と考えていたら、

 目の前のアリアの顔が、恐怖と驚愕を一緒くたにしたような複雑な表情を浮かべていることに気づく。

 これは、もしかして。

「えっと、まさか聞こえてる?」

 手でも振りたい気分だったが、エマの持っている人形であった時以上に、動ける気がしなかった。サイズの問題だろうか。アリアは瞬きを数回すると、



「き……聞こえているよ?」



 顔を次第に感動に染めながらそう答える。

 きらっきらの目は、妹そっくりであった。

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