1-4 辻褄
「──ザンダン、今頃エマと楽しくお喋りしているんだろうなー」
「…………あのー」
「ひゃっ!」アリアは、慌てたようにベッドから起き上がる。揺れが起きて、オレはベッドにうつ伏せに倒れた。
どうやら再び、アリアの部屋に来たようである。ベッドで休んでいるということは、家庭教師は帰ったのだろうか。僥倖だ。
「……どの下りから、聞いていたの?」
彼女は恐る恐るといった感じでそう尋ねる。オレは正直に、「『今頃、エマと楽しくお喋りしているんだろうなー』ってトコ」と答えた。
「──えっと、久、し振り」少し安心したのか、彼女はそう言って、オレを持ち上げ改めてベッドに座らせる。何かオレに聞かれたくない独り言でも呟いていたか──いや、失礼な勘繰りは止そう。「ああ。──そうだ、アリア?」オレは思い出して、彼女を呼ぶ。
「なに?」
「オレが来た直前、俺の名前呼んだ?」
オレが異なる人形間を移動する条件を、探る。他の誰かの元に行く前に、彼女と条件を見つけ出せれば、それをエマに伝えられるからだ。
「え!? ──よ、呼んだと思うけど? 呼んだというか──口に出した、かな?」
アリアはおどおどしながらそう答える。何か面と向かって言えないことでも──まさか悪口を? ほぼ初対面でこんなにすぐ嫌われるとは……少し、行動を改めるべきかも知れない。
「えーと、アリアさん」
「……あれ? 敬称?」
「エマのところにいる時、オレが移動する条件を考えてたんだけど……」
オレはあらましを説明した。『ザンダン』の人形がこの国に大量にあること。エマとアリアの間を、行き来するだけには留まらないかも知れないこと。そのために、移動の条件を考えていたこと。
「今のところ『名前を呼ぶ』ことに加え、何かが必要だと睨んでいる、と──」アリアは、自分の行動を思い返すように、左上に視線を遣る。少しオレにその視線を向けるが、すぐそっぽを向かれた。もうかなり、嫌われているのか? そこまで何かした憶えは、特にはないのだが。「ううん、考えがまとまらない……一度エマのところに──っと。十二時か。今度はあの子が、勉強の時間だ」
「あれ? 昼ご飯は?」オレは純粋な疑問を口にする。朝食は、一堂に会して食べていた筈だ。
「我が家の決まり、朝食と夕食は家族全員集まって食べる。だから昼食は各自で勝手に食べるの。今日は、父上と母上は出掛けられているし、叔父上とその息子たちは朝食後すぐに別邸に移られた。シャード兄様は、知らないけれど『別荘』と称して山で遊んでいると思う」
「……その、シャード兄様とは、仲悪いの?」
オレは訊きにくいことを訊いてしまう。しかしずっと、何となく気になっていたことだ。こういう図々しいところが、もしかすると嫌われポイントなのかと考えなくもない。
「──兄上は、いい人だよ」
優しいとも憎たらしいとも言わず、ただ寂しそうに言うアリア。訊かなければよかったと、少し思った。
さて、ということは、残っているのはアリアとエマと──
「それで、アリアは何を?」
彼女はオレの言葉を受け、「ジセ?」と誰かを呼ぶ。するとドアが開き、四十路手前くらいの男が入ってくる。
「昼食を用意して頂戴」
男は何も言わず深い礼をして去っていく。
「ハルには会ったよね? 今のは私の専属召使、ジセ・ハロルバロル。では、私は食堂に行くから──食べ物は、要らないよね?」
よほどオレの後ろに実在の人間を強く感じているのか、彼女はそう訊いた。オレは笑って、
「食べられないよ、この体じゃ。いってらっしゃい」
そう返す。アリアはそのことに気づくと、「──あ! そうだよね、うん、いってきます」部屋を出ていった。
オレは独り取り残された部屋で、いろいろなことを考える。結局、これは夢なのか? それにしては随分だらだらと続いているし、設定はどんどん深まっている。ではまさか現実──と考えたところで、オレは結局首を振る。そんな訳がない。異世界でオレが人気になっていて、しかもその人形と人形の間を、意識が行き来するなど──と思考が進んだところで、オレはようやく気づく。
この世界で、エマの人形とアリアの人形を何らかの条件下で行き来できるなら。
オレのいた世界から、この世界へと移動したのも、同じ理屈ではないだろうか。
この世界が現実だとしても、それならば一応、筋道は通っている──
畢竟、そのうち目が覚めたら夢。ずっと覚めなかったら現実。単純な話をすれば、それだけだ。そしてオレとしてはどちらでも構わない。この世界でのオレが、どんな状態なのか──いわゆる魂なのか、それとも普通に生き物なのか──は気になるが、元の実世界では、どうせからかわれてばかりだ。こちらの世界で新たな生活を始めるのも悪くない、こちらの世界では人気者らしいし。
アリアが戻ってくる。「ザンダン。今日はこれからすぐもう一人、先生が来るから、そこで待っていて。ええと」彼女はそう言いながら、机の上の整理を始める。オレは「ああ」と答えながら、腕の一本でも動かないかと力を入れてみる──そもそもその、『力を入れる』ことからできないらしい。それはこの人形の体のせいか。たとえばもっと動かしやすい構造だったら、動けるのだろうか。関節を多くしたり、可動域を広くしたり。オレはアリアに意見を尋ねようと声を上げる。「アリア」
「はい? なに?」
彼女は作業を止めて、ベッドに駆け寄ってくる。
「この体、もう少し大きかったり現実的な体型だったら、動けるようにならないかな?」
彼女は、「──ふうん?」と上半身だけシーツに突っ伏して、オレを両手で持ち上げる。「確かに。この大きさでたくさんのことができるなら、もっと大きければもっといろいろなことができる可能性はあるね。エマのザンダンと比べて、思いつく相違点はある?」
「……こっちは、まぶたがない」
ずっと、気になっていたことだ。
別に目が乾く訳ではないし、不快感があるのでもない。ただそれに気づくと、以降もなんとなく、気になり続けるというか。
「え……瞬きできないって──想像が、上手くできないけれど」
それは、オレも上手く説明はできない。
「では、それは考えておく。そうだね、確かに──」
コンコン、とノックの音。
「あっ──ザンダン、続きはまた後で──」
「失礼いたしします」
ドアを開けて入ってきたのは、身長が2mはありそうな細身の男。独特な柄のポンチョを着ていて、午前中に見た教師とは打って変わってフレンドリーな印象。
「こんにちは、先生。よろしくお願いします」アリアはすぐさま立ち上がってそう言う。
「ええ、よろしくお願いします──おや」その男性は、ベッドの上のオレと目が合い、立ち止まる。「『ザンダン』ですね。エマ様がこの間、中庭で遊ばれているのを目にしましたが、アリア様もお持ちだったとは」
「──はい。その、つい昨日、入手しました」
「私も息子にせがまれたため買い与えましたよ」男はそれだけ言って、今度こそ止まらずにアリアの机へ向かう。「では『ザンダン』に関連して、銃の歴史から本日は始めましょうか。諸説ありますが、世界最初の銃器は──」
「──つまり、イパタダ人は最も早く『拳銃』に辿り着いていた、可能性があるのです」
「確かイパタダ文明の遺跡の碑文には、それを示唆するような文言があるのですよね?」
「よくご存じですね、素晴らしいです。……それでは、本日はここまでとしましょう。失礼いたします、アリア様」彼はそう言って──右手はポンチョの中にしまい、左手は床と平行に、まっすぐ伸ばす。掌を前に向けると、パーの形で一度、グーの形で一度、自分の胸を叩き、胸の前に手がある形で止まって頭を下げる。アリアはそれに合わせて礼だけした。
男は帰っていく。
「──最後のは?」アリアが机の上を片づけ、ベッドに腰掛けたところで、オレは彼女に尋ねる。
「あの礼? あれは、グィーテ先生の故郷の、正式な作法らしいよ。それより──」
「ああ。あの人の家にも──『ザンダン』がある」
つまり、そこにも召喚され得るということだ。国全体ではどれ程の流通数なのかはまだ分からないが、とりあえず、ひとつは確実に選択肢が増えてしまった。彼の家に行ったが最後、戻ってこられなくなる可能性はゼロではない。その前に、条件を見つけなければ。
「あ……エマの方も、もう終わっている筈。あの子の部屋に行こうか」
アリアは言って、オレを持ち上げた。彼女は辺りを見回し、手頃なポーチにオレを入れる。エマの部屋に来た時に提げていたものとは、違うもののようだ。これで運ばれるらしい。オレとアリアは、部屋を出る。エマの部屋まではどのくらいなのだろうか。この家の広さはよく解っていないが、まあいくら広くとも、流石に一分かそこらで着くだろう。
オレの意識はぼーっとしてくる。視界がぼやけていく。疲れて一日を終えた後、布団に入って微睡んでいるような、あの感じ。そういえば、この体で睡眠は必要あるのだろうか、と考えながら、ゆらゆら揺られて移動する。「こんにちは、ガルイス兄様」。そんなアリアの声は、ひどく遠くに感じられた。
オレの意識は、深く沈んでいく。
○
オレは目を覚ました。
天井の蛍光灯が目に入る──
オレは瞬きをしてみる。まぶたがあった。ということはエマの──いや、しかし蛍光灯など、あの世界にあったか?
「あれ、しゅうちゃん、起きてるじゃん!」
オレは声のした方を向く。向けた? そういえば、体の感覚がある。オレの腕。オレの脚。布団とベッドの柔らかさ。そして。
「なに? 驚いたような顔して。びっくりはこっちなんだけど」
幼馴染の
ここは──元の世界か?
やはり──夢だったか?
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