第13話誘惑
愛美の心は、だんだんと逃げたい気持ちが大きくなってきた。
悲しみさえなくなれば、マイナスの心に惑わされて練習が疎かになることもない。
そもそも、何故、努力しているのに、妬まれて妨害されないといけないのだろう。
そんな理不尽な世の中に、心を痛めているなんて勿体ない。
そんな葛藤に、追い討ちをかけるように、マッドは優しく愛美の肩を抱き、耳元で囁く。
「あなたはいつも頑張っている。逃げてもいいんだよ」
マッドは、再び懐中時計を手にして、愛美の目の前でゆらゆらと動かし始めた。
愛美は力がだんだん抜けていき、マッドに身を支えられる形になった。
すると、さきほどの紫色の光とは違い、黒紫色の光が愛美の瞳に映り、虚ろな表情へと変わっていく。
愛美は光に心を奪われるような、無気力にマッドにもたれかかる。
「それでいい、悲しい感情を感情全てを無くしてしまえばいい」
愛美の脳裏では見たことのない森の景色が映し出されていた。
そこには、黒い翼を持つ人と白色のドレスに身を包んだ二人が、見つめあっていた。
幸せそうな二人なのに、どこか愛美は切なくなった。
この二人を知ってる。
どこであったのだろう、愛美はもっと、二人に近づきたくなった。
しかし、そんな二人を見ている愛美の視界が歪み始めた。
あの、二人の姿が消えてしまった。
迷子のように、辺りを見渡しても、何も見えない。そんな、愛美に低い声で語られる。
『禁断の果実などたべるからいけないのだ、感情なんてお前たちに必要ない』
その言葉に、愛美は我に返り、光から目を逸らした。すると、光は消えマッドは悔しそうに一瞬表情を歪ませた。
我に返った愛美は、呼吸すら忘れていたように、突然息苦しさを感じてしゃがみこみ、必死で息を整えた。
やっと、整い始めた呼吸。
しかし、いつもの自分とは何か違う、そんな違和感を感じた。
「悲しみだけは取り除けたみたいですね」
マッドは怪しげに微笑むと、愛美を優しく椅子に座らせた。
「またいつでもあなたのいらない感情を取り除いてあげますよ」
そういって、マッドは愛美を顧みることなく、去っていった。
その去りゆく背中を愛美はどこか懐かしいような、複雑な気持ちで見送った。
悲しみを取り除いた?
今の自分は、本当に悲しみを感じないのだろうか。そんな、いらないと思っていた感情がなかなったと思うと、不安になってきた。
本当に、自分に不都合な感情は無くしていいのだろうか。
愛美は落ち着きを取り戻しながらも、不安を拭えぬまま、友達であるカヤの病院へと向かった。
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