第10話

 次の月曜日、教室に入ると小佐田さんは相変わらずちょっと口を尖らせたまま、不機嫌そうに手元の本に視線を落としていた。

 わたしはその姿を見るとすぐに透さんたちの話を思い出した。ぴょんちゃんたちに声を掛けながら、はてどうするべきかと考える。声をかけるべきか、放っておくか。

 透さんがわざわざわたしをお茶に誘ったのは、もしかしたら小佐田さんのことについて話したかったからなのかもしれない。透さんが言うからには、警告のような意味があったのではないだろうか。いずれ面倒ごとに直面するから気を付けろ、と。

 どの道面倒であるのなら、放置していてもわたしの方から動いても変わらない気もするが、心の準備というものもあるし、事前に教えてもらえるのはありがたい。それに、あらかじめ対処して原因をつぶしておくという手も取れる。そうするためには、小佐田さんと接触するほかないのだけれど。

 でも、見よ、あのぴりぴりという擬音が聞こえてきそうなあの女の顔を。

 話しかけたくない、話しかけられたくない。朝から誰とも言葉も視線も交わさない。小佐田は心の壁が分厚いだけで、社交性はそこそこあるはずなのに。整った作り笑顔でにこっとしておくのがヤツの処世術のはずなのに。

 これから何があるにせよ、今の小佐田と関わっていいことなんてないだろう。あるいは透さんの言っていた迷惑よりも多大な迷惑を被る可能性もある。

 よし、放置で。

 方針が決まった。

 でも、どうやら見逃してはもらえないらしい。

 昼休憩の最中、みんなと仲良く笑いさざめいていたわたしの隣に小佐田さんが立った。見上げると声も出さずに親指で戸口を指す。ちょっと来いよ、みたいな感じ。無表情でとっても怖い。

「えっ、大丈夫なの?」

 一足先に行ってしまった小佐田さんの背中を見送りつつみんこが囁いた。

「さ、さあ……」

 わたしは苦笑いで立ち上がる。別に言うことを聞いてやる必要もないのだが、あんまり無視しているととんでもないことをしでかしそうで怖い。なにせ小佐田だ。わたしを襲った女だ。

「ケンカとかじゃないから、心配しないで」

 まあ透さんから一食分の袖の下をもらっていることだし、話くらいは聞いてやらんでもない。

 教室を出ると少し先で小佐田さんが待っていた。わたしが追いつくと唇を歪めて、陰口?と言った。

「え?」

「すぐに来なかったから」

 そしてふんと顔を背ける。わたしは言葉を失った。小佐田さんはもっと余裕があって、落ち着いていて、こんなに被害妄想みたいなことを口走る人じゃなかったはずだ。とは言え大切な友人たちのことをバカにされて黙ってはいられない。

「小佐田さんだって、みんながそういうことする子じゃないの知ってるじゃん」

 わたしが強い口調で言うと、小佐田さんも自分が失礼なことを言ったと気づいたのだろう、数度瞬きして背を向けた。

「ごめん」

 ポツリと言った小佐田さんからはさっきまでの迫力が嘘のように消えて、枯れかけのススキのように折れそうに見えた。

 小佐田さんは昼休みの弛緩した空気の中を早足で歩いて行く。たじろいでいて出遅れたわたしは、ちょっと小走りになってそれを追う。

「待って。どこ行くの?」

「静かに話ができるとこ」

 玄関で靴を履き替えて外に出た。冷たい秋風が吹き抜けて、わたしは思わず身体を抱きしめる。その手をはぎ取るようにして、小佐田さんが無理やり掴んで引き寄せた。

 小佐田さんの手は冷たかった。そう言えばあの日も、夏だというのに彼女の手はひやりとして肌に心地よかった。わたしの手を包むように握る。寒さ対策にはちっともなりやしない。でも、奥底には確かなぬくもりがある。

 目と目が交差する。

 なんとなく、小佐田さんがわたしになにをしたいのか分かってしまった。鼓動が聞こえる。身体の奥がじわりと熱くなる。

 わたしは上ずった声で言った。

「ど、どうしたの。……急に」

 別に、と小佐田さんは視線を逸らした。

「今日、なんか見られてる気がしたから」

 小佐田さんは裏口から学校を出た。良くないことだ。でもわたしは何も言わずに従った。職員室から見えないようにルートを選んで歩く。

「どこ行くの?」

 わたしはもう一度尋ねた。

「わたしの家」

 今度はちゃんと答えてくれた。わたしが抵抗しないから安心しているのかもしれない。

「お父さんたちは?」

「今はいない」

「お兄さんは……」

「学校。ばあちゃんとじいちゃんは公民館の旅行で帰ってこない」

「なら、二人きりだね」

「うん……、そう」

 小佐田さんの手がわたしの手をぎゅっと握りなおす。わたしのよりもちょっとだけ小さくて、細いけど、男の子の手みたいに筋張っているわけじゃない、丸みのある手だった。

 どうしてわたしなの、放課後まで待てなかったの、女の子が好きなの、何に傷ついているの、わたしには何ができる?

 いろいろに訊きたいことはあったけれど、胸にしまい込む。どうせ訊いたところでまともには答えてくれないだろうし、話したくなったら話してくれればいいと思う。どうせこれから行われることは、彼女はわたしを抱きたいし、わたしはそれで気持ちよくなれて、誰も損はしないのだ。

 小佐田さんは無言でわたしを部屋の中に招き入れた。寝乱れたベッドの上にわたしを引き倒す。わたしの上に馬乗りになって、ちぎるような勢いで、セーラー服のフロントボタンが外された。

「ちょ、ちょっと落ち着いて。怖いよ」

 放っておくと服なんてちぎって捨てられそうな勢いだったから、わたしは慌てて小佐田さんの両手を掴んで押さえた。

 でもそれが、小佐田さんには拒絶と感じられたらしい。

 小佐田さんは信じられないというように目を見開いた。そして胸が痛くなるくらいに悲しい顔をして、嫌なの?と呟いた。

「三崎さんまでわたしのこと、嫌いだって言うの?」

 小佐田さんは涙を堪えようとするかのように唇を噛んで、けれどこらえきれずに、大粒の涙が頬を零れた。喉の奥から嗚咽がこぼれる。

 わたしは何が起こったのか把握できていなかったから、ただ呆気にとられて、美しい顔が歪んでいくのを眺めていた。美人はどんな顔しても美人だなぁ、なんて、小佐田さんに知られたら殴られそうなことを考えていた。

 でもじきに小佐田さんから、うう~っと子どもみたいな泣き声が聞こえてきたから、流石にそれどころじゃなくなった。

 わたしはおろおろと慌てて慰める。

「ごっ、ごめん、ごめん。怖くない。怖くないし好きにしていいから。嫌でもないし。むしろしてほしいっていうか。だから泣かないで!」

「嘘じゃん。だってわたしとなんて話したくなさそうだったし。前はわたしのことばっか見てたくせに、最近全然、興味なさそうだし!」

 駄々っ子のような言葉に、ちょっと笑っちゃった。真っ直ぐにわたしを求めた言葉だったから、拍子抜けしたというか、照れ臭かったのもあると思う。

 小佐田さんはすかさず泣き止んで、わたしをじろりと睨みつけた。涙でいっぱいの瞳を見なければウソ泣きだったのかと思ってしまいそうな切り替えの早さだ。

「……笑った」

「あ、ごめん」

「なんで笑ったの」

「えー……、と」

 わたしは困って明後日の方向を向いた。それから隙ありと小佐田さんの首元に両手を回す。勢いよく引き寄せたら、わたしの胸に突っ込んで潰れたような悲鳴を上げた。大丈夫だろうか、鼻とか。

「よく分かんないけど、どうぞ、どうぞ。いくらでも触っていいよ」

 なし崩しに抱かせて、慰めてしまえ。

「そんな、叩き売りみたいにさ。わたし、雰囲気作りとかも大事だと思う」

 小佐田さんはぐすっと鼻を啜りながら言った。ちょっとだけ気持ちを立て直せたらしい。わたしの甘い誘惑が効いたようだ。

 小佐田さんはぐずりながらもわたしの身体をまさぐった。制服、しわになっちゃうな、とか思いながら、わたしは小佐田さんにしたいようにさせている。

 正直、気持ちいいとかはない。連れ出された時にはあった下心みたいなのは、小佐田さんが泣き出した衝撃でどこかへ飛んで行ってしまった。でも甘えられていることに悪い気はしない。むしろ甘える相手に選ばれた優越感みたいなものがある。

 見ればベッドのすぐ下には、いつも小佐田さんと一緒に寝ているはずのイルカと恐竜のぬいぐるみが落ちていた。トリケラトプスくんと目が合う。ごめんね、お前たちのご主人様は、今日はわたしに任せておきなさいな、なんてね。

 スカートのポケットに突っ込んでいたスマホが振動した。みこちんかな?授業始まっちゃうよ!みたいな。そう言えば小佐田さんに連れ出されて心配させてしまっているだろうから、一言返してあげた方がいいかもしれない。

 ちょっといい、とスマホを手に取ろうとして小佐田さんの身体に手を掛けたら、わたしの胸に顔を埋めてぐすんぐすんくんかとやっていた小佐田さんが、わたしとスマホどっちが大事なの、みたいな目で見てきた。はいはい、他ならないあなたですよ。って、あ。鼻水ついてる……。まあ……、いいか。

 わたしは諦めて上体に込めた力を抜いた。ベッドに身体を沈める。顔を横に向けるとマットレスから甘い匂いが立ち上る。

 小佐田さんは一旦身体を起こして、わたしに服を脱ぐよう要求してきた。わたしは脱ぎかけて、ふと修学旅行のお風呂でのことを思い出した。

 あの時わたしは気心知れた五人組の中に独り入る羽目になった小佐田さんに気を遣っていた。じきにわたしを抱き捨てていくようなヤツだと知っていれば、要らない気づかいはしなかったのに。

「脱ぐとこ、あんまり見られたくないかな」

 ちょっと恥じらって言ってみたけれど、小佐田さんはすっかり忘れてしまっているらしい。怪訝な表情で、さっさと脱ぎな、とあごで指図する。追いはぎみたいだな。

 でも、小佐田さんの部屋で、小佐田さんがいつも使っているベッドの上で、ストリップを強要されている自分に気が付くと、ちょっと気分が乗ってきた。飛んで行った下心がようやく戻ってきたらしい。小佐田さん自身はちっとも脱ぐ気配がないのもいい。

「……下も?」

「嫌ならいい」

「脱げって言ってほしい」

「さっさと脱げ」

 わたしは靴下だけになった姿で身体を横たえる。わたしの身体を、じっと小佐田さんが観察している。窓から差し込む薄ぼんやりとした光が照らしている。

 身体中がじんと痺れて、感じているのが分かる。流石に恥ずかしくて、身体が震えてくる。それを勘違いして、寒い?と小佐田さんが布団をかけてくれた。

 ……ありがとう。

「なんで恨めしそうに見るのよ」

 小佐田さんは顔を顰めて、制服とスカートだけ脱ぎ捨てるとわたしの隣に身体を滑り込ませた。彼女の手と足がわたしの身体に絡んで、抱き枕みたいに引き寄せる。わたしも同じように足を絡めて抱きしめてあげた。寒いのは小佐田さんの方なのかもしれないと思ったからだ。

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