第9話
3
小佐田さんは最近機嫌が悪い。以前はいつも、わたくしには関係ありませんことよ、みたいな顔をして、感情の無い笑みを浮かべて教室の景色を眺めていたものだったけれど、このところその目の奥に苛立ちが垣間見える気がする。今日なんて唇を尖らせて、頬杖をついて座っている。分かりやすく不機嫌だ。
こういう不機嫌な奴に関わり合いになっていいことなんて何もない。よく一緒にいる子たちだって、今日は触れちゃいけない日だと思ったのか、小佐田さんとは距離を置いている。
夏はとうに過ぎ去り、もう秋も終わりに差し掛かっている。空は澄んだ色をして街路樹の枯葉色を透かして映え、しばらく前までは真昼にもなればぽかぽかとちょうどいい暖かさだったものだけれど、もうコートの一つもないと肌寒いくらいになった。朝に家を出ると寒さで吐息は白く、指は凍えそうだ。じきに霜でも降るだろう。
休日にちょっと漫画の新刊を買いに書店まで自転車を走らせた時、透さんとばったり会った。透さんは見るものもなさそうにぶらぶらと雑誌コーナーの前を歩いていて、わたしとふと目が合うとにっこりと笑って手を挙げた。
「あれ、三崎さん。久しぶり」
「あ、はい。お久しぶりです。お変わりなさそうで」
「おかげさまで。今日はなに……って、買い物だよね、そりゃあ」
透さんはわたしの手元の包みに視線を向けてから苦笑いした。
「なにナンパしてんだよ」
聞き覚えのある声が聞こえてきて、透さんの肩をぽんと叩く。透さんは苦笑いをしかめて、ちげーよ、と睨んだ。
松木悟です、と彼は名乗った。透さんの彼氏だ。小佐田さんの家に行った時にちらっと顔を見たことがある。
悟さんはわたしが自己紹介すると、一瞬だけぴくっと変な顔をした。それを見て嫌な予感がする。透さんに聞こえていたってことは、悟さんにだって聞こえていたはずで、あの日小佐田さんと一緒にいた子だと思い出してしまったのかもしれない。忘れておいてくれればよかったのに……。
「まあ、いいや。久々に会ったし、良かったらちょっとナンパされてよ」
透さんはわたしを連れて近くのファストフードショップに入った。
「なにがいい?」
「えっ。い、いえ。自分で払います!」
恐縮して言ったら、透さんはひらひらと手を振った。
「俺が無理やり連れて来たんだから、金くらい払わせてよ」
「やったね、ありがとうございます!」
「おめーは自分で払え」
二人はとても仲がよさそうだ。みこちんたちと一緒にいる時みたいな雰囲気。恋人同士とはちょっと違う。でもいつでもどこでもそういう雰囲気をまき散らしてるわけないよね。仲睦まじくてなにより。
大学入試については詳しくないけれど、初めの試験まではあと二月程度だそうだ。二人とも最近はあまり羽目を外して遊ぶこともないみたいで、今日はたまたま息抜きに来たのだという。
「大事な時間にわたしなんて混ぜてもらっていいんですか?」
尋ねたら、悟さんはきょとんとしてすぐに笑い飛ばした。
「どうせ来年から嫌でもこいつと一緒なんだ。女の子がいたほうが潤いがあっていいよ」
「同意だが、こっちのセリフだよ」
透さんはじっとりとした目で悟さんを睨みつける。悟さんは余裕の目で受け止めて、なにか目くばせした。すると透さんはなにかが通じたみたいで、はぁっとため息を吐く。
きゃーっ、てなった。
いいなぁ、信頼し合う二人。漫画の中の主人公たちみたいだ。ちなみにわたしのバッグの中の包みにはそういう漫画が入っている。
ちょっと勇気を出して、二人のなれそめを訊いてみた。目を見合わせた後、悟さんが答えてくれた。透さんはちょっと居心地悪そうに、唇を尖らせながら明後日の方向を見ている。照れているのかな。可愛い。
「中学の時、こいつには好きな奴がいたんだ」
「へえ、悟さん以外にですか?」
「ああ、信じられねぇだろ。俺以外にだ」
うっせえ、と透さんが呻いた。
「俺と透は中学で会ったんだけどな、どういうきっかけか覚えてないくらい自然に仲良くなってさ。結構何でも言い合える仲だと思ってたんだけどな~。でも、恋愛相談だけはしてくんなくて。俺はそれが不満だったわけ。それで無理やり口を割らせた」
「な、ひでえだろ。親しき仲にも礼儀があって、礼儀の中には他人の秘密には踏み込まないってのも入ってると思うんだが」
わたしが苦笑いするのを尻目に、まあいいじゃねぇか、と悟さんが言う。そのおかげで今、こういうことになってるんだから、と。自信満々な態度だ。それを裏付けるものが二人の間にはあるということだろう。
「で、なんだかんだあって俺は失恋して、今に至る」
透さんが話を引き継いで強制終了させてしまった。
「おいおい、端折り過ぎだろ」
「またの機会にな。お前の話は長いんだ」
透さんは顔を赤らめたまま、唇を結ぶ。これ以上は譲らんとでも言いたげな態度だ。ひとしきりからかって満足したのだろう、悟さんもにやにやしながらそれを見て、ごめんね、次だって、とわたしに手を合わせた。
「いえ、ありがとうございます。恥ずかしがる透さんが見られて、とても面白かったです。透さん、わたしと話すときはいっつも余裕のある大人っぽい感じだったので」
くすくすと笑いながら言ったら、透さんは不本意そうな顔をして悟さんを肘で小突いていた。お前のせいだぞ、とか言って。カッコつけてやんの、と悟さんが笑う。
そうしてしばしの間、わたしは二人と会話を楽しんだ。拉致された時にはどうしようかと思ったけれど、すんなり馴染めて緊張もすぐに解けた。透さんには夏の間に仲良くしてもらっていたから慣れたものだし、悟さんも常にわたしが置いてきぼりにならないように気を配ってくれていた。なんだか接待された感じがして気分がいい。
別れ際に小佐田さんの話題が出た。
「あいつ、どうしてる?」
なんでかな、二人ともちょっと浮かない顔をしていた。
「えっと……。ふ、普通ですよ。いつもと変わらずです」
「そうか」
「あ、でも。なんか、本調子じゃないって言うか、ちょっと怒ってるっていうか、不機嫌っていうか、そんな感じです」
「落ち込んでたりしない?」
悟さんが尋ねる。わたしは首を傾げた。
「どうでしょう……。えっと、なにかあったんですか?」
逆に尋ねると二人は顔を見合わせて、同じように困った顔で曖昧に笑った。
「まあ……、知らないならいいんだ。いや、良くないか?未沙にその気があるなら、話してくれると思うけど。うん、でも……」
歯切れ悪く言った後、透さんは申し訳なさそうな顔で、迷惑をかけるね、と言った。
えっ、迷惑?フツーに嫌です。とかわたしが言い出す前に、透さんはくびすを返して去って行った。またね、と悟さんも困ったように笑いながらその後を追う。
残されたわたしは訳も分からずに手を振り返した。また知らない間に、小佐田さんの事情に巻き込まれているらしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます