第5話

 2


 月曜日、重い身体をひきずって学校に行くと、小佐田さんはわたしと顔を合わせても気まずそうなそぶりさえ見せなかった。思った通り、何事もなかったかのようにあっさりと視線を逸らす。わたしなんて日曜日も丸々火消しに忙しかったから、意識してしまってすぐに顔が赤らむのに。

 わたしはもしかして、他人より性欲が強いのだろうか。そんな考えに頭を悩ませている。

 これまでひとりでしたことさえなかったのに、小佐田さんに仄めかされただけで燃え上がって、抗えなくなった。背中を撫でられただけで、力が萎えて動けなくなった。

 わたしは何度目かの深いため息を吐く。どうしてこんな突拍子もないことで悩まなきゃいけないんだろう。小佐田さんに避けられて悩んでいた頃が懐かしい。本当ならその悩みも消えて、中間試験が残る程度になるはずだったのに。

 わたしの頭の中は彼女のことでいっぱいで、授業中にもほら、気づいたら斜め前の方の席で授業を熱心に聞いている小佐田さんを眺めている。

 わたしの様子がおかしいのはみんなにもすぐにばれた。ぴょんちゃんにまで心配そうな顔で、悩み事?話を聞くくらいならわたしにもできるからね、などと言われてしまった。

 もちろん、小佐田さんとアレなことをしてしまいました、自分が女の子が好きな人だったのかと思って悩んでいます、なんて言えやしない。

 わたしがもの言いたげに見ていることは小佐田さんも分かっていたと思うけど、小佐田さんは華麗なスルースキルで見て見ぬふりをして、たまに話をすることがあってもおくびにも出さない柔らか笑顔で対応されてしまった。

 もしかして小佐田さんにとってはああいうことをするのってフツーのことで、本当になんにも思っていないのかもしれない。わたし以外の人ともこれまで何回もああしてきたのかも。

 そんな風に考えるとちょっと安心した。考えてみれば小佐田さんは結構どぎついことを言っていたし、慣れたことだったんじゃないだろうか。わたしもそんなに重く考える必要なんてなかったのかも。進んでる~、って感じで。

 いやいや、それはそれで問題なのでは。あんなこと。女の子同士だからって、あんなこと。気軽にしていいわけないわ!

 とは言え、自分が小佐田さんにとって今まで食い散らかしてきた憐れな犠牲者の一人にすぎないと考えてみれば、これからの方針が分かりやすくなる。

 これからわたしは小佐田さんと適度に距離を保ち、あのことは他言無用にしてなかったようにしておけばいいのだ。わたしも忘れてしまえば悩み事も解消。あとは小佐田さんだけの問題で、ぽいっと捨てておけばいい。

 小佐田さんのことは嫌いじゃないけど、恋愛感情があるわけじゃない。いきなり手を出してきたくらいだから、小佐田さんだってわたしにそこまでこだわっているわけじゃないだろう。

 本当に好きだったら、わたしならもっと足場を固める。その上で、感情的な繋がりを作ってから攻める。だって相手がどう思っているのかなんて分からない。他人に拒絶されるのは怖い。ましてそれが大切な相手からならなおさら。

 きっとそういう経験が乏しそうで、抵抗してこなさそうな奴として、わたしが選ばれただけなのだ。

 ……って、なにそれ。誰がちょろくて性欲強いって!

 頭の中で形成された、性に奔放で自分勝手な小佐田さんに対して、だんだん怒りが募ってきた。これからは呼び捨てにしてやろう。

 わたしは悪い顔でわたしを誘うあの日の小佐田さんを思い浮かべて、傲岸に見下ろしてやった。小佐田。お前は小佐田で十分だ。



 勉強以外の考え事が多くて、さっぱりテスト勉強などできなかった。それだけのせいというわけでもないのだけど、テストはぼろぼろだった。

 比較的得意な理科社会はともかく、数学と英語は散々だった。総合点ではやのぴーにも負けて、快哉を叫ぶ彼女の傍らで、わたしは机に突っ伏した。

 いつもの五人組の中で最下位。ぴょんちゃんはいつも通りどの教科も高得点だったし、みこちんもみんこも、まあこんなものかな、みたいにすました顔をしている。

 親にも怒られた。リビングの机に答案用紙が並べられて、それを両親と三人で囲んだ。お父さんは腕組みをして苦笑いをしていて、お母さんに、笑ってないで何か言ってやって、と怒られていた。わたしが原因で叱責される父を見るのは大変居心地が悪かった。

 小佐田。お前さえいなければ!

 わたしは内心に怒りをたぎらせた。逆恨みだ。分かってる。けど、この間のことだって勉強会だと言うから準備して行った。なのにぺらぺらと参考書をめくる程度で、結局あの有様。せめてテストが終わってからにしてほしかった。もう一週間くらい我慢できなかったんだろうか。

 当の小佐田は帰ってきた答案を興味なさそうに冷めたつらで眺めて、さっさと机の中に仕舞っていた。何点取ったのかは分からないけど、きっといつものように高得点であらせられたのでございましょうね。

 心の上澄みでいくら気炎を吐いたところで、実のところ、わたしは彼女のことを嫌いになることはできないでいた。

 確かにあの日のことも、あれ以来用済みみたいにしてわたしのことを無視し続けていることも気に入らなかったけれど、わたしも流されてしまったのだからお互い様、と言うべきか分からないが、そんなようなものだ。自分を差し置いて彼女のことを糾弾できない。

 もしもわたしが小佐田さんのことを許せなくて仕方ないなら、いくらでもあることないことうそぶいて立場を危うくさせることはできるだろう。あの日のことはわたしにとっても弱みだから、わたしが噛んでいることを悟らせないようにしなくてはならないが。でもその程度のリスク、本当に嫌いなら平気で甘受する。

 それをしないということは、わたしは心のどこかで小佐田を憎からず思っているということだ。そんなの認められない!だってあんなことをされて嫌いにならなかったら、わたしも同じ穴のムジナということになる。

 わたしは彼女を嫌いになろうと努めた。

 わざと目を合わせた後でふんっと顔を背けてみたり、小佐田さんが近づいてきたら、あっち行こ、と避けてみたり。そして、そういうたくらみが一切彼女の顔を歪ませるに至っていないことを確認して、あー、もう!とじだんだを踏むのだ。

 わたしの友人たちはそんなわたしを見ては苦笑いして、そんなに気になるなら呼んできてあげようか、とか、いい加減にして素直になりなよ、とか的外れなことを言った。

「わたしはあいつが嫌いなの。なんかいっつもすました顔しちゃってさ。話しかけたら薄ら笑顔張り付けて、気味悪い。誰にでも態度変わらないし。なんか授業とか真面目に受けてるし。そんな殊勝な人間じゃないでしょうに」

 わたしが憤慨して言ったら、みんなは顔を見合わせて、代表してみこちんが首を傾げて言った。

「どんななの?」

「それは……」

 うっとわたしは言葉に詰まった。思い出すのはわたしの耳もとで、見ながらするの、気持ちいいよ、と言った声、綺麗な顔を歪ませた野卑な笑顔、わたしを掴まえる腕の力強さ。

 わたしはいっぺんに顔を赤らめてしまって、大層みんなを不審がらせた。

「と、とにかく。嫌いなだけだから、あんまり気を遣わなくていいってこと」

 わたしは少々強引に結論を出して逃げ出した。とりあえず最後の要望については分かってくれたみたいで、仲を取り持とうとしたり余計な口出しをしたりすることはなくなった。

 おかげでわたしは、今日も一人で小佐田を睨みつけている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る