第3話
そういうわけで土曜日、小佐田さんの家にお邪魔することになった。
他人の家に上がり込むのなんて久しぶりのことだ。小学生の頃は放課後になると家の近い友だちの家に行って遊ぶことはしょっちゅうだったけれど、いつの頃からか減ってきて、中学生になって部活加入が強制になるとなくなった。
ちなみにわたしはソフトテニス部に入っていた。一番スポ根していなさそうな運動部だったから。大してやる気もなかったから、上達はしなかった。最後の大会もさっさと負けた。
小佐田さんのお宅を訪問することはみこちんたちには言っていない。だって小佐田さんはわざわざ人に聞かれない場所に呼び出してまでわたしだけを誘ってくれたのだ。それを言いふらして関係性を歪めることはない。
それに小佐田さんがわたしだけを誘ってくれたというところが、わたしの自尊心をくすぐった。避けられていると思っていた相手にとって実はわたしだけが特別だったんだと考えれば、優越感で有頂天になり、もやもやしていた気持ちが晴れやかになる。
どうして急にと少しは気になったけれど、浮かれていたわたしは深く考えなかった。
そして土曜日、わたしは一応参考書をカバンに放り込み、ナメられないように少しおめかしをして待ち合わせ場所に出かけた。待ち合わせは学校の近くの公園。お昼を食べてから一時の約束だった。
少し早くに着いたけれど、小佐田さんはブランコに乗って、既にわたしのことを待ってくれていた。
「おはよう」
小佐田さんはわたしの姿が見えるとぴょんと跳ぶように立ち上がって手を振った。
チェックのシャツとゆったりした長めのショートパンツ。長い髪を今日は括っていなくて、軽やかな印象を受ける。
いつもと違った小佐田さんの格好に、今日は二人で遊ぶんだって実感がわいてきた。ちょっとわくわくする。みんなには悪いけど、たまにはいつものメンバーじゃないのもいいね。
小佐田さんの斜め後ろについてアスファルト舗装の道を歩いて行く。わたしたちにはそんなに共通の話題なんてないから、学校のことや、勉強のこと、友だちのことを、わたしたちの隔たりの、隙間をすり合わせるようにしてぽつぽつと話し合った。
初夏の日差しが柔らかに、でも少しだけ棘を含んで降り注いでいた。街路樹の幹に取りついた早起きのセミが控えめに存在を主張し、夏の訪れを報せている。
「日焼けしちゃう」
小佐田さんが手を空にかざして恨めしそうに見た。
「美肌、いいな」
わたしが言うと、三崎さんは小麦肌だね、と小佐田さんが振り返った。
「運動部だっけ」
「うん。文化部にしとけばよかったなって思う」
「意外」
「そう?」
「運動苦手そうなのに」
じろりと睨んだら、なんでもない、と楽しそうに目を逸らした。
小佐田さんの足はじきに新興住宅地の道から逸れて、古そうな地区の中に入っていった。時々新しい家も見えるけれど、古びて黒ずんだ柱の大きな家がいくつも建っていて、わたしは物珍しくてきょろきょろと見回している。
小佐田さんの家はそうした家の一軒だった。
コンクリートブロックの塀の間を通り抜けて引き戸の玄関から中に入ると、古い家特有の暗さと言うか、温度が急に一度下がるような感覚を覚えた。それから他人の家の、何とも言えない奇妙なにおいと。
「帰った~」
たぶん、いつもの挨拶なんだろう。小佐田さんは靴を脱ぎながら家の奥に声をかけた。間延びした素っ気ない声がいつものはきはきした彼女の物言いと違って、家族に甘えたような感じがする。
そんなことを考えていたら、振り向いた小佐田さんがわたしの顔を見て怪訝に眉をひそめた。
「なに、にやにやして。気持ち悪い」
わたしは憮然として唇を結んだ。微笑ましい気がして、ちょっと頬が緩んだだけなのに。
小佐田さんの部屋は急な階段を上った先にあった。一つ手前の部屋の前を横切ると急に障子が開いて、高校生くらいの男の子が顔を出した。
「未沙。……っと、お客さんか」
彼は驚いた表情でわたしを見て、すぐに笑顔を作った。
「こんにちは。兄の透です」
「あ、こんにちは。早月です。三崎早月」
急に年上の男の子と顔を合わせたから、わたしは緊張して頭を下げた。美人の小佐田さんのお兄さんだけあって、結構整った顔をしている。活発そうな中にも落ち着きがあって、大人の男って感じ。ちょっとどきどきしてしまう。
同級生に家族を見られてきまりが悪いのか、小佐田さんはなんだか不機嫌そうだった。
「なに、兄貴」
「いや、部屋からゲーム機取ったぞって」
ちょっと部屋の奥を見てみればもうひとり別の男の子がいて、お邪魔してまーす、とゲームのコントローラーを握ったまま手を振った。
「なにそれ。三崎さんとしようと思ってたのに。昨日からわたしが取ってたでしょ!」
「知らねーよ。こっちが先」
「いい。知らない!」
拗ねた顔をしてつかつかと隣の部屋に入っていく小佐田さんの背中を見て、わたしは目を丸くしている。内弁慶なタイプなんだ。意外。でもちょっと可愛い。
こんなことは日常茶飯事なのか、お兄さんは大して気にしていない様子で、ゆっくりして行ってくださいとわたしに笑いかけた。
部屋に入ると、小佐田さんは気を取り直すようにオーバーな身振りでわたしを座卓の前に座らせた。お茶出すね、とすぐに部屋を出て行ってしまったから、わたしはその間、しげしげと部屋の中を観察することができた。
小佐田さんの部屋は四畳半の和室だった。小佐田さんなりにちょっとでも可愛くしようとしているらしく、窓は黄色のカーテンで飾られて、きちんと整えられたベッドと、明るいブラウンの勉強机が置かれている。ベッドの枕元にはイルカと恐竜のぬいぐるみが置かれ、毎日一緒に寝ているのかしらと思うと微笑ましかった。
畳の上にはクリーム色のラグが敷かれ、その上にわたしは座っている。なんとなく正座をしていたら、くつろいでてよ、と戻ってきた小佐田さんが苦笑交じりに言った。
小佐田さんは麦茶のコップを座卓に置くと、目を三角にしてゲーム音と楽しげな歓声の聞こえてくる板の張られた壁を睨みつけた。
「ごめんね、うるさくて」
「ううん、大丈夫。賑やかな方が退屈しないし」
わたしは他意なく言ったつもりだったけれど、小佐田さんはちょっと気まずそうに視線を逸らして、やっぱりひよりさんたちも一緒が良かった?と言った。誰のことだろうと首を傾げかけて、ぴょんちゃんのことだと思い出す。
「そんなことないよ。あの四人とはさ、結構遊んでるし、いつだって喋れるから」
「ほんと?良かった」
「それよりさ、かっこいい人だね」
わたしがこそっと言うと、小佐田さんは意味が分からないとばかりに首を傾げた。
「なにが?」
「お兄さん。優しそうだし、イケメンじゃん」
小佐田さんは思い切り嫌な顔をした。
「あいつが?冗談でしょ。悟さんだったら分かるけど」
「兄貴って呼んでるんだ。お兄ちゃんじゃなくていいの?」
わたしがからかって言うと、小佐田さんはふんっと鼻を鳴らした。
「あんなの、兄貴で十分過ぎるでしょ。ゲーム機も取られたし。もうなにして遊べばいいか分かんない」
学校を離れたせいか、小佐田さんはいつもの一歩退いたような冷静で落ち着いた態度じゃなかった。たぶん自分の家にいて、お兄さんに調子を狂わされたせいだと思うけれど、素を見せてくれているようで嬉しい。
「いいじゃん、勉強するんでしょ」
わたしが言ったら、正気か、とでも言いたげな目で見られた。
「三崎さんって、案外真面目なんだ」
「今ので小佐田さんがわたしのこと、どんな風に見てるか分かった」
いつか言われた言葉を返して、二人で顔を見合わせて笑った。
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