第125話 背景を見つめ直して
第一グラウンドが障害物競走で盛り上がっている真っ最中。
校舎裏などの人が集まりやすい暗がりだけでなく、たまに授業をサボる生徒が隠れていたりする空き教室や、体育祭である今日は使われていない授業教室など、不良生徒が隠れられそうな場所をしらみつぶしに巡回している。
(体育祭を破壊する、ですか……。大層な宣戦布告をした割に、今に至るまで一切動きが見えませんね。ただのイタズラだったんでしょうか)
今日は外部からの観客も多く、その分人間の警備員やドローン等のカメラによる監視の目も強化されている。風紀委員とはいえいち生徒であり体育祭の選手でもある七実酉が、本来ここまでパトロールを頑張る必要も無いのだ。
(……いえ、委員長が必ず尻尾を出すと仰ったんです。あの方の勘がそう言っているのなら、私が考える必要はありません)
しかし、七実酉は歩き続ける。
体育祭を成功させるため。風紀委員会副委員長としての使命を果たすため。そして何より、風紀委員長――
「ここもまだ、見ていませんでしたね」
本校舎と部室棟を一通り見て回った七実酉は、次に特殊体育館の前まで来ていた。
ここは普通の体育館と違い、特殊能力に関係した授業に使われる体育館。入学直後に能波測定を行ったのもここだ。
倉庫には能力を鍛えるための道具や実技試験の機器など高価な機材が保管されている為、通常の体育館と違って生徒に一般開放されない事が多い。無論、不良のたまり場にもなり得る場所だ。
「チェックの必要あり、ですね」
風紀委員として登録されている生徒の端末では、こういった普通の生徒では入れない場所の鍵を開ける事だってできる。風紀委員会が持つ大きな特権の一つだ。
扉の横にあるパネルに学園端末をかざす七実酉。しかしパネルには、鍵が開いている事を示す掛け金の浮いた南京錠のマークが表示されている。
(誰かが中に……)
いつでも戦えるように神経を研ぎ澄ませ、七実酉は扉を勢いよくスライドした。
「ひっ!?」
夏の日差しを溜めこんで地獄のように蒸し暑くなっている特殊体育館の中央で、星天学園の体操服を着た小柄な女子生徒が驚いたようにこちらを振り返った。
「……
「ふ、副委員長、でしたか……」
七実酉より先に鍵を開けて中に入っていたのは同じ風紀委員だった。彼女は胸に手を当てて、ほっと息を吐いていた。
ふと、もう少し網重と話をしたらどうだという
「どうしてここに? いくら風紀委員でも、ここに理由なく立ち入るのは褒められた事じゃないですけど」
靴を脱いで体育館内に入り、ちょうど中央辺りで突っ立っていた網重の前まで歩く。
「え、えっと……実はさっき、他校の生徒さんから、助けを求められまして」
「助け?」
「この体育館に、危ない不良が集まっている、と……」
「私達以外にはいないようですけど」
ざっと見渡してみても、それらしい人物は見当たらない。広い館内に反響するのは二人の声だけだ。
「と言うか、そんな報告は受けていないのですが。私の耳に入っていないという事は、委員長への報告もまだだという事ですよね?」
「す、すみません。今すぐに助けを待っている人がいるかも、しれないって……思ったんですけど……」
段々と消えていく網重の声を聞いて、反射的に小言が出そうになっていた口を閉じた。
助けを求める人のためにいち早く行動した彼女の考え方は、風紀委員として褒められるべき事だ。それすら責めてしまうと、本当に彼女を傷付けるだけになってしまう。
「……まあ、結局誰もいませんでしたし、報告忘れは無かった事にします」
「とりあえず戻りましょう。ここ死ぬほど暑いですし」
「は、はい」
こんな場所に呼んだのは他校の生徒らしいので、一度話しかけられただけの網重は顔や特徴も覚えていないだろう。イタズラを罰する事は出来なさそうだ。
「……いや」
と、七実酉は立ち止まり、後ろを歩く網重を手で制した。
「どうやら本当だったみたいですね。危ない不良が集まっているというのは」
「えっ……!?」
視線の先は、体育館の出入り口。グラウンドから響く歓声と眩しい日差しを遮るようにして、そこに立ち塞がる人影があった。
半開きの扉からぞろぞろと入って来たのは、十人ほどの高校生達。星天学園の制服を着た者も何人かいた。
「何だよ、一人じゃねーじゃん」
「大丈夫だろ。どうせあの緑髪の方も大した奴じゃない」
立ち入りが許されていない体育館内に、靴も脱がずに上がり込む集団。体操服を着ていない人は恐らく他校の生徒だろう。面倒事の予感に、網重はうっすらと渋面を浮かべる。
「網重さん。ひとつ聞きますけど、あなたを呼んだという他校の生徒さんはあの中にいますか? いますよね?」
「は、はい、あの赤いシャツの……」
「はぁ……やっぱりですか」
七実酉は網重が示した赤シャツの少年を睨みつけ、そして視線を集団の中心にいる背の高い男へ向けた。鎖のような金属製のブレスレットが目立つファンキーな男だ。
見るからにあちこちの不良を集めましたといった様子の集団を観察すると、皆が彼に合わせて動いている事がすぐに分かった。赤シャツの少年はただの取り巻きで、ブレスレット男こそがリーダー的ポジションにいるのだろう。
「わざわざ風紀委員を呼び出して、何が目的ですか?」
「俺達はなぁ、テメェらに復讐しに来たんだよ!!」
答えたのは中心の男ではなく、その近くにいた星天学園生だった。
「あなたには聞いてないんですけど」
「黙れ! テメェら風紀委員会のせいで、俺達がどれだけ肩身の狭い想いをしてるか知ってるか!? 一度間違いを犯しただけでずっと目をつけられてんだ!」
「逆恨みにも程がありますよ。あなた達が風紀を乱すような事をしたのがいけないんじゃないですか」
「いつもそうやって上から目線で物を言いやがる! 憂さ晴らしに後輩殴って何が悪いんだ!」
「そうだそうだ! オレは自販機で遊んで壊しただけで反省室行きだったんだぞ!」
「当たり前では?」
「うるせぇ! 俺なんて――」
星天学園の体操服を着た不良達は口々に風紀委員会に捕まった時の話を喚き散らすが、七実酉は心底どうでもよさそうな顔で受け流すだけだった。
「とにかく! 俺達は風紀委員会に恨みがあんだよ! だから学園の外にいる強い奴らを呼べる今日、テメェらに復讐してやろうと思ったのさ!」
「そうですか。まあ途中から何となく分かってましたけど」
「俺達は知ってるぜ……泣く子も黙る風紀委員会と言っても、喧嘩が強いのは殲滅委員長とかいう戦闘担当の男子と風紀委員長だけだってな! そこで怯えてるどう見ても雑魚の一年に加えて、能力すら大して知られちゃいねえ副委員長なんざ敵じゃねえんだ!」
どうやら彼らは、偶然にも皆が七実酉以外の風紀委員に捕まった不良達らしい。能力の詳細が広まっていない事を実力が噂されていない事とイコールと捉え、七実酉を舐めているようだ。
網重をここに誘導したのも、か弱い一年生を人質にとって風紀委員会に喧嘩を売るためだろうか。強気でいきり立つ割にやり方が姑息で、七実酉は失笑すら出なかった。
「で、誰からかかって来るんですか」
逆恨みからなる幼稚な御託に飽きてきた七実酉は、呆れた顔で不良集団を見渡す。
「早くしてください、私にはまだ仕事がたくさん残ってるんですから。迅速に反省室へ投げ込んで差し上げますよ」
「おいおい、コワい事を言うなぁ、おチビさんよ」
「誰が何ですってあばら骨裂きますよ?」
安い挑発を飛ばしたのは、今まで取り巻き達の騒ぎを傍観していたブレスレット男。副委員長の静かな怒りに、彼は笑みを浮かべる。
「コイツらの目的は復讐かもしれねえが、俺様の目的は戦いだ。俺様はもっともっと強い奴と戦いたい。だからコイツらの話に乗って、粒ぞろいって噂のこの学園に来てやったんだよ。ウチの学校じゃ能力者の質が低いんでな」
「はぁ、ただの戦闘狂ですか。この手のおバカさんは
「ここには、
一歩前に出たブレスレット男は、歯を見せて薄気味悪く笑っていた。
「岸華壱糸――
「……!」
聴覚を塗りつぶすような破砕音が、地中から響く。
彼らの足元がひび割れ、体育館の床が下からあっさりと突き破られた。見えないチカラで引っ張られたのは、骨組みとして床下に敷かれていたであろう鉄骨だった。
「俺様はアイツくらい有名な強者じゃねえと満足できねえんだよ。格下しか見えない日常は退屈だからなァ」
体育館の床を易々と砕いて鉄骨を引っこ抜いてみせた男は、その力を誇示するかのように威張る。
しかし、七実酉は一切動じていなかった。それどころか、より冷静になったようにも見える。
「……委員長のその名を知っているとは。あなたはそれなりに根深い不良なのですね」
「ああそうさ。そう言うお前はアイツの腰巾着なんだってな? さっさと助けを呼びなよ」
ブレスレット男が手を持ち上げると、途中で折れ曲がって地上に出ていた鉄骨が完全に破断し、彼の周囲に浮かび上がった。その内のひとつが、ねじ切られた矛先を七実酉へと向ける。
「じゃねえと……」
浮遊する鉄骨が、七実酉を目掛けて放たれた。
「ここでグチャグチャになっちまうぜぇ!?」
重く硬い物同士をぶつけ合わせるような鈍い音が、全員の耳に響く。それを、鉄骨が地面に落ちる音が上書きした。
七実酉の足元に、ぱたぱたと数滴の血が落ちる。
「委員長の
しかしそれは、鉄骨が直撃した七実酉の頭が裂けて出た血ではない。
高速で飛ばされた鉄骨を
「それを決めるのはあなたではありません」
この程度の痛みでは、眉一つ動かない。
手の甲にできたその傷も、数度瞬きをしているうちに塞がっていた。
「な、七実酉、先輩……」
「網重さんはじっとしていてください。彼らは危ないですよ」
「でも……」
「私なら大丈夫です。増援も必要ありません。あんな小汚い人を委員長の前にお出しする訳にはいきませんので」
怯えて全身を震わせる後輩を背に庇うように、七実酉は大きく前に出た。
「何だよ、抵抗できるのかお前」
「言ったでしょう、全員反省室送りだと。他校の生徒だろうと例外は無いですよ」
七実酉の表情と声から、最低限の礼儀として残っていた温度が消える。
欠片ばかり残っていた最後の温情を砕くように、七実酉は拳を強く握って構えた。
「委員長の敵は私の敵です。あの方に群がる羽虫は、全て私が払います」
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