第八章 成すべき事、成すべき者
第118話 体育祭、開会!
九月も終わりに近づく今日。
雲一つない青空から降り注ぐ陽の光は強く、まだまだ夏の暑さが引く様子は無い。
『それではこれより、第三十二回
格式ばった開会式が終わり、熱の入った放送部員の声が敷地全域に響き渡る。
学園の外からやって来た沢山の観客は拍手や歓声で開会を喜び、とあるお坊ちゃんによって学園中に施された装飾ホログラムが、至る所で学園を体育祭仕様に塗り替える。
ついに、俺達の体育祭が始まった。
「おっしゃお前ら! 学年一位目指すぞ!!」
「ファイトォォォ!!」
暑くて眩しい、まさに運動日和なグラウンドには、さらに気温を上昇させる熱気が渦巻いていた。冷静に準備を始めるクラスよりも、円陣を組んで一体感を見せつけるかのように気合いを入れるクラスの方が多い。ウチの二年B組も後者だった。
「今年は人が多いんだ! たくさんの人に、俺達の力を見せてやろうぜ!!」
我がB組を導くのは、なんと俺が実行委員になる要因となった奴の一人、
俺は実行委員会の仕事に加えて怪我のせいであまり練習に合流できなかったが、彼を中心にクラスのみんなが練習に励んでいたのを知っている。
「それに今年は
「まさに百人力ですね! 期待してますよ彩月さん!」
「もちろん! ボクがいるからには優勝に決まってるね!!」
彼女に緊張やプレッシャーというものは毛ほども効かないらしい。運動ができなさそうな小柄な体躯と裏腹に、堂々としたその立ち姿は頼もしい限りだ。
彩月の実力を知らない者はいないクラスの中で、彼女は普通なら切り札的扱いを受ける運動部エースの男子ら以上に期待を寄せられている。何ならその運動部員まで彼女を頼りにしている始末。
いつもは周りから浮きまくっている彩月すらクラスの輪に入れてしまうのが、体育祭のお祭りムードというやつなのだろう。
「
「お、おう! 任せろよ」
そして、そんな彩月に鍛えられている俺も期待されているみたいだ。どこまで結果を残せるか分からないけど、もちろん負ける気などないので頑張るつもりだ。
『それでは、第一種目の参加選手は第三グラウンドへ移動を始めてくださーい!』
放送部のアナウンスに従って、開会式の会場である第一グラウンドに散らばってやいのやいのしていた生徒達は各々のクラスのテントへと動き出す。
「これだよこれ! このワクワク感! 体育祭はこうでなくっちゃ!」
盛り上がったスタートを切れて、彩月はご満悦な様子。無邪気に目を輝かせるその顔を見れば、釣られて笑みが零れる。
「ボク達、今日の為にたくさん準備したもんね!」
「ああ。だからこそしっかり成功させないと……ってあれは」
移動中、視界の端で小さな深緑を捉えた。
足を止めて見てみれば、
そして遅れて、彼女の後ろに男子生徒が一人いる事に気付く。彼も風紀委員会の腕章を着けていた。
彩月の肩を叩くと、すぐに七実酉に気付いたようだ。
俺達には大事な仕事がある。浮かれていた心にその事を改めて刻み直し、俺達は七実酉のもとへ向かった。
「パトロール、もう始めるのか?」
「はい。ルートは今朝の打ち合わせ通りに」
やはり開会を迎えても、七実酉の表情になんら変化はない。こいつに限って体育祭に浮足立つなんて事はないだろうと思ってたけどな。彩月とは別ベクトルで、緊張とは無縁そうだ。
「あなた達には風紀委員と二人組で巡回してもらいます。万が一の事があった場合、あなた達だけじゃ不安でしかありませんし」
「少しは信じてくれてもいいのにな」
と茶々を入れつつも、その提案は素直にありがたい。幾度となく不良をねじ伏せて更生させてきた経験者と一緒の方が心強いのは確かだ。
「タイミングが合わず、まだ他のメンバーを紹介していませんでしたよね。彼が芹田君のペアです」
そう言って、七実酉の視線は少し後ろに立っていた男子へ。
彼は腕を組んだまま俺と彩月を順番に眺める。少し長めの前髪で右目が隠れているが、俺達を観察する左目は気難しそうに引き締まっていた。
「えっと……俺はB組の芹田
じっと見つめるだけだったので俺から手を差し出してみたが、友好的に握り返してくれることはなかった。
「風紀委員会殲滅委員長、
「そ、そっか。隣のクラ……ちょっと待って何かヘンなの混ざってたよな? 殲滅委員長って何だよ!?」
「俺の役職だ」
「そんな物騒な役職があってたまるか」
真顔で何を言ってるんだ彼は。まさかイタい子か……と思った所で、ふと思い出した。
「そう言えば初めて犯行予告の話を聞かされた時も、サイコメトラーの風紀委員が『尋問委員長』だかなんだか言ってたような……」
「風紀委員にはひとり一つ、委員長より肩書が与えられるんです。副委員長の私は例外ですが」
「へ、へぇ……変わった文化をお持ちで」
「会計や広報など一人一人に役割がある生徒会に対抗意識を燃やした委員長によって考案された決まりなんですよ。もう一度言いますが、委員長が考えた事ですから」
「はいはい」
つまり日本語に訳すと『委員長の決定にケチをつけるな』って言いたいわけね。先輩の反生徒会っぷりも相当だな……。
まあ、物々しい肩書も風紀委員会のイメージに合ってると言えば合ってるし、ケチをつけるつもりはない。正直ちょっとカッコイイと思ってしまった自分もいるし。
「まあ二つ名は置いといて、よろしくな、井楽左」
「……」
もう一度手を伸ばしてみたが、彼は組んだ腕を解かずに俺を鋭く見つめるばかりだった。先行きが不安だ。
「あれ、着麻君が流輝君と一緒に行くとして、ボクのペアは?」
そして、周囲を見渡す彩月。
そうだ。七実酉の言葉が正しいなら、彩月にも風紀委員のペアがいるはずである。だけど、ここには四人以外誰も……。
「いますよ。彼の後ろに」
七実酉が井楽左の背後に手を伸ばしたかと思うと、「うぇあっ」という微かなうめき声と共に小さな女の子が引っ張り出されてきた。彼女の左腕にも『風紀委員』の文字が浮かんでいる。
どうやら、もう一人の風紀委員はずっと井楽左の後ろに隠れていたらしい。
「二人に自己紹介してください」
「え、あ、あの……あみ、
彼女の声は段々と尻すぼみになっていき、最後の方は俺達に届く事なく消えていった。どうやらかなり人見知りみたいだ。七実酉に片腕をがっちり掴まれているが、体の半分は未だ井楽左の後ろに隠れたままだし。
「キミがペアだね! ボクは彩月
「ひぃっ、よよ、よろひくです……」
彩月が一歩近づくと、半分ではなく全部が井楽左に隠れてしまった。
そんな井楽左以外の全方位に怯える網重を見て、七実酉は隠しもせずため息をついた。
「網重さん、せめて自己紹介くらいきちんとしてください。学年は下ですけど現役風紀委員として、二人に教える立場でないといけないんですよ?」
「ああ、すみませ、ん……」
「それに今年の体育祭は、外部から多くの人が来ています。風紀委員会の威厳を損ね、あまつさえ委員長の顔に泥を塗るような真似だけは決してしないように――」
「おい、副委員長」
もはや聞き慣れた七実酉の毒舌を中断させたのは井楽左だった。彼は後ろに隠れた網重を庇うように立つ。
七実酉との身長差で自然と彼女を見下ろす形になり、ナイフのような鋭い眼差しもあって威圧的に感じられる。
「リリは必要最低限の自己紹介をこなしたはずだ。その上お前が言ったように、彼女はこの場で唯一の一年生。そして今日は体育祭という大きなイベントだ。いつも以上に緊張して当たり前だろ。少しは言い過ぎだと思わないのか?」
「むしろ体育祭だからこそ気を引き締めてほしいと言ってるのですよ。失敗は許されないのですから」
刺すような視線を受けてなお、仏頂面を崩さずに七実酉も言い返す。しかし井楽左も鋭さでは負けていない。火花が見えそうな視線の鍔迫り合いだ。
「誰もがお前のように完璧だと思うなよ。彼女は彼女なりに頑張っているんだ」
「またそれですか……幼馴染だか知りませんけど、身内が甘やかしてばかりだから彼女が風紀委員らしくならないんですよ」
「風紀委員らしくだと? それはお前が勝手に」
「ストップストップ! 二人ともやめてくれ!」
ヒートアップ寸前の二人の間に物理的に割り込んで、無理やりにでも引き離した。
「いきなり風紀委員同士で仲間割れしないでくれよ。部外者の俺と彩月が気まずくてしょうがない」
「うんうん。仲良く協力しないと駄目だよ。体育祭はもう始まってるんだからね」
「……まあ、無意味な争いをしている暇がないのは確かですね」
井楽左から視線を離して、七実酉は喉まで出かかっていただろう追撃の言葉をため息に変えた。
「では、顔合わせも済みましたし、予定通り巡回をお願いします。件の予告犯以外にも片付けるべき不良はいるはずですので、気を引き締めて臨んでください」
「まっかせて! 悪い人は全部倒しちゃうから!」
「その戦いを待ち望む目はやめろ彩月。治安維持だぞ、治安維持」
「何かあれば、ペアの風紀委員か私に連絡をください。問題だけは起こさないでくださいよ……?」
ワクワクニコニコしている彩月からできれば目を離したくないといった様子の七実酉だったが、最後に釘を刺して去って行った。
残された四人のうち二人の風紀委員はどちらも喋ろうとしない。喧嘩しなくても結局気まずいじゃねえか。どうしてくれるんだ副委員長。
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