第109話 彼岸の毒

「というか、話が逸れに逸れまくってます」


 タブレット端末で口元を隠しながら咳払いをして、生真面目な七実酉ななみどり副委員長は話を終わらせた。


「用が済んだのなら帰らせてもいいんじゃないですか、委員長。私達にはまだ夏休み中に終わらせる仕事が残ってます」

「おっとそうだね。長話しちゃったかな」


 彩月さいづきの頭から手を放した岸華きしばな先輩は、再び自分の席である事務用デスクに戻る。

 ずっとその横に立っている七実酉の視線が俺達を捉えた。


「改めて確認します。あなた達の仕事は、体育祭実行委員会の護衛と周辺の警戒、及び不審人物の確保と風紀委員会への連行です。予告文を送りつけて来た犯人が単独か集団かも定かではない現状、この件は他言無用です。よろしいですね? 私としては不本意ですが委員長による指名なので返事はイエスしか受け付けません。よろしいですね?」

「質問の意味無いだろそれ……もちろんやるよ」

「ボクもよろしいよ!」


 俺と彩月の返事を聞いて、正面に座る岸華先輩はニコリと微笑んだ。


「最後に何か質問はあるかな? バッジを登録すれば委員会内のメッセージアプリも使えるけど、まあせっかくだし直接聞きたい事とか」

「そうですね……あ、じゃあひとついいですか」

「ん? 何かな芹田せりだ君」


 実行委員会が狙われるかもしれないと話を聞いた時に、ひとつのアイデアが浮かんだのだ。

 正確には、どうしてそうしないんだろうという疑問にも近いが。


「この犯行予告が実現するとすれば、学校行事を揺るがす大きな事態じゃないですか。生徒会にも協力してもらった方が良いんじゃないですか?」

「生徒会か……」


 生徒間のいざこざに対応したり風紀違反を罰したりするのが風紀委員会の仕事だが、この件は犯人の取る手段によっては学園中に損害が出るだろう。そうなったら、生徒を代表して教師陣と連携を取る生徒会の出番となるはずだ。

 そう思っての提案だったんだが、岸華先輩の反応は薄い。反対に七実酉は、初めてその仏頂面が崩れ、驚いたように目を見開いていた。


「実は今年の実行委員長、生徒会の会計なんですよ。さすがに生徒会が犯人ではないでしょうし、たちばな先輩から話を通してもらったらより確実にむもがっ!!」


 超スピードで目の前に現れた七実酉にいきなり口元を押さえつけられた。

 鈍く光る紅紫色マゼンタの瞳が残す一直線の光跡が、彼女の移動がテレポートの類ではなく、部屋の端から入り口前までの数メートルを一瞬で詰めて来た事を物語っていた。

 ちなみに口をそっと押えてるのではなく顔の下半分を鷲掴みにされてる感じで、何と言うか凄く痛いです。


「……い、今の発言を訂正してください……!」

「??」


 だが、俺が何か抗議の声を上げる暇は無かった。

 今まで真顔でグサグサ刺してきた七実酉が、額に汗を浮かべて慌てていたのだ。それに対する驚きで言葉を失った。


「あなたは知らないでしょうけど、委員長は生徒会を目の仇にしてるんですよ……」


 顔を近付けて。俺と彩月にだけ聞こえるようなボリュームの声は、若干震えていた。


「特に生徒会長とは死ぬほど馬が合わないんです……そんなヤツの手を借りるなんて提案したらあなた、最悪明日が来ないですよ」

「さ、さすがに言い過ぎじゃ……」

「……五十四回です」


 少し低い所から俺を見上げて、七実酉はぽつりと零す。


「岸華委員長と生徒会長が顔を合わせる度に勃発する戦闘によって発生する、致命傷レベルの攻撃の数です。分かりますか? 風紀委員会わたしたち生徒会むこうが毎度全力で止めなければ、両者とも軽く平均二十七回は死んでるんですよ……!!」


 彼女は真剣だった。冷や汗を垂らし、僅かだが風紀委員長への『恐れ』を見せていた。あの委員長全肯定マシーンが、だ。


「……っ!?」


 七実酉の小さな体などで隠れるはずも無かった。彼女の頭上を通り越して真っ直ぐ俺へ向けられたのは、向かいの壁近くの事務用デスクにいる岸華先輩の声。

 風紀委員長の、のんびりとしたいつも通りの声だった。


「夏休みも働いてたせいで疲れてたのかなあ。『生徒会と協力する』とか、天地がひっくり返ってもあり得ないような事が聞こえた気がしたんだけど……?」


 冷房壊れたのかってくらい汗が出た。

 机に肘を立て、ほっそりとした指を顔の前で絡ませながら、岸華委員長はこちらの答えを待つように半眼を向けている。さっきと変わらない笑みを浮かべているものの、その目はちっとも笑っていなかった。もう光が宿ってないし、七実酉の棘が可愛く思えるくらいの『毒』が見え隠れしている。


 直立したままちらりと視線を動かすと、ちょうど彼女に背を向けている立ち位置の七実酉はもはや懇願するように「気のせいだと言え」と目で訴えてるし、隣の彩月も先輩の威圧感を前に「うわぁ」と苦笑していた。

 この場においてただ一人、発言を許された俺は必死に口を動かす。


「せ、セートカイ……? そんなの知らないっすね……」


 岸華先輩が『気のせい』という事にしたのならば、俺はひとまず許されたのだ。なら、ここは全力で『気のせい』だという事にしよう。それしかない。でないと命がない。


「この件は風紀委員会だけで解決するんでしょう……? もちろん俺も彩月もそのつもりですよ。なぁ?」

「うんうんうん」

「だよね。ごめんごめん」


 致死レベルの重圧を消して、岸華先輩はふわっと笑った。

 俺達三人は同時に安堵のため息を吐く。


「君達の前であの野郎の話なんかしなくていいよね。じゃあ、今度こそ解散でいいかな?」

「ええ、そうですね……また何かあれば連絡します」


 優しそうな岸華先輩の口から『あの野郎』が出たよ。もうそれだけで生徒会長が死ぬほど嫌いなんだと分かる。


「……委員長。ちょっとお手洗いに行くついでに二人と話して来てもいいでしょうか」

「うん。りょーかい」

「失礼します」


 極度の緊張を脱したせいかぎこちない動きのまま、七実酉は一礼して風紀委員室を出る。俺達もいそいそと後に続いた。

 俺たちの背中へ「またねー」とかけられる岸華先輩の声は、さっきのやり取りなんて存在しなかったとさえ感じてしまうほど軽いものだった。この切り替えの早さが、また怖い。


 風紀委員会が恐れられる最たる理由を、身を持って知ってしまった気がする。

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