第80話 逃走開始

 翌日。俺はケンと一緒に、都心方面へ向かう電車に乗っていた。


 当然俺の目的は、深層機関イクテシアから脱走するという少女の逃走を助ける事。しかし、ケンにその事を伝えられるはずは無く、今一緒に乗っているのは別の理由。それは、帰省中の身で家を離れるためのもっともらしい口実作りの協力だ。


 両親とののかには『昨日帰って来る途中にばったり出会った同級生達と遊びに行く約束をした』と言って家を出た。中学時代の俺にケン以外の友達がいるわけないので、もちろんこれは噓。信憑性を持たせるためにケンと駅へ向かったものの、他の人なんて集まっていない。


 そしてケンだが、彼には『管理局の天刺あまざしさんから緊急の呼び出しがあった』と噓を吐いて協力してもらった。

 管理局、特に天刺さんとは『ゴーストタウン』対策本部として繋がりがあるので、ケンにもさほど違和感は抱かれなかっただろう。直接会って伝えるべき重要な事がある、という設定で説明すると、ケンは何も疑わず協力してくれた。


「悪いなケン、こんな噓に付き合わせて時間奪っちまって」

「気にすんなよ。おばさん達を心配させたくないって流輝るきの気持ちは分かるからよ。テロ事件なんかあった後だし、管理局から呼び出されたなんて言ったら不安にさせちまうからな」

「ありがとう。お礼は必ずするよ」


 結局両方とも噓なので、ケンにも申し訳ないと思っている。だが二重の噓のおかげで、誰にも余計な心配をさせず目的地付近までたどり着く事が出来た。


「んじゃ、俺は適当に時間潰しとくから、終わったら連絡くれな」

「ああ。なるべく早く戻って来る」


 駅を出てすぐにケンと別れる。ケンには大事な用なので一人で来るよう言われていると伝えたので、ここからは単独行動だ。

 昨晩『ゴーストタウン』の霊から受け取ったメッセージを開き、そこに添付されている地図を目に焼き付ける。イクテシアの施設は地下にあり、今回は地上への出入り口付近で待機せよという指示だ。


「今は九時半……少し余裕があるけど、警戒しておくか」


 脱走した直後に見知らぬ人物が待ち構えていたら敵かと思われて逃げられるかもしれないので、出入り口とは少し離れた所に待機し、機を見て接触する形を取る事にした。

 近くにちょっとした広場があったので、待ち合わせを装ってベンチに座る。


 今日は休日であり、駅から離れても人通りは多かった。子連れの大人。大学生グループ。サラリーマン。中には能力者らしき人も多い。


「この人たちは皆、深層機関なんてモノ知らないんだよな……少し前の俺みたいに」


 社会の裏で特殊能力を解明しようと研究する組織。法で禁じられた非人道的な実験を繰り返し、それを国は隠し続けている。『ゴーストタウン』はいずれ全てを暴いて、襲撃という形でその仕組みそのものを終わらせるつもりだ。


 だけどもし。

 破壊するのではなく、事実をそのまま世に知らしめたらどうなるのだろう。


 この国の実態。能力研究の真実。

 それを包み隠さず暴露したら、手っ取り早く全てを終わらせられるんじゃないか……?


「……駄目だ駄目だ、今は目の前の事に集中しろ。失敗したら脱走する子は死ぬんだぞ」


 余計な考えを振り払い、確認がてら『ゴーストタウン』からのメッセージを再確認する。

 メッセージの後半には脱走の補助に使えそうなイクテシアの情報が綴られている。これが全部、手元にあるのを知られた時点で『消される』レベルの機密情報だと考えると途端に怖くなるが、もう後戻りは出来ない。俺は俺にできる事をやるだけだ。


「深層機関イクテシア、本部は地下にあるのか。研究コンセプトは『特殊能力の範囲の観測とその拡張』ね……能力の拡張って何だ?」


 そんな俺の独り言は、突如として響いた爆発音にかき消された。

 直後に広がる、どよめきと悲鳴。

 音のした方を見ると、明らかにただ事じゃないと分かる黒い煙が立ち昇っていた。


「まさか、もう脱走者が!?」


 時刻はまだ九時四十六分。『ゴーストタウン』が入手した情報より早い。

 だがそもそも、生死を賭ける事になるかもしれない大脱出を律儀に時間通り進めるとも限らない。少女は既に脱走していて、イクテシアの追っ手と交戦中なのかも。


 とにかく考えるのは後だ。手遅れになる前に、俺は爆発のあった場所へ向かって走り出した。





     *     *     *





「博士、大丈夫かなぁ。上手く合流できるといいけど」


 薄いピンク色の病衣を着た少女は、人通りの多い道を裸足で歩いていた。道行く人々がチラチラと彼女へ視線を向けているのは、桃色の髪が珍しいからではなく、たった今病院を抜け出して来たかのような格好が目を引くからだ。


「すごい視線を感じる……やっぱり私って、外の世界でも変に見えるのかな……」


 だが、本人は注目されている事に気付きながら、その理由が服装にあるとは思っていなかった。六年もの間イクテシアに囚われていた為に、自分は他人と違う異端者であるという自己評価が刷り込まれているのだ。

 実際は服装さえ気を付ければ、どこにでもいる普通の女子高生にしか見えないのだが。


「まあいいや。とにかく急がないと」


 イクテシアを共に抜け出した博士とは一度別れ、別の場所で集まる事になっている。まずはその集合場所まで無事にたどり着かなければ。


 桃色の少女は真夏のコンクリートを裸足でぺたぺた歩く。その足が、ふと止まった。

 小さな違和感を感じ取り、顔に焦りが浮かぶ。勢いよく周囲を見渡すにつれて、焦りがどんどん大きくなっていた。


 そして、ある一点にを見つけた。


「……っ!?」


 咄嗟に後ろへ跳び退る。前方から伸びた赤い閃光が地面を焼き焦がし、一瞬前まで少女がいた地点を一文字に深く抉っていた。

 突如として街中で放たれた光線に周囲の通行人がざわめく。ただ一人、桃色の少女だけは、即座に体を反転させて走り出していた。


「何で……! 何でもう来てるの!?」


 背後から続けざまに赤い光線が放たれる。少女が躱す度に光線はビルの壁や地面を撫で、平和だった街を破壊していく。路上駐車されている自動車が攻撃を受けて爆発し、人々の悲鳴が一気に溢れた。


「このままじゃ駄目だ! 人の少ない所に逃げないと被害が……」


 走る少女を追い越した光線が走行中のバスのタイヤを貫き、派手に横転したバスが勢いのままこちらへ滑った。

 咄嗟に後ろへ下がってギリギリの所で回避したが、またも放たれる光線でバスは大爆発。目の前で衝撃波を浴びた少女は吹き飛ばされ、背中から倒れた。


 回送中の無人バスだったから良かったものの、乗客が乗っていたら確実に死人が出ていただろう。一切の躊躇も無く人々を巻き込もうとする襲撃者へ恐怖と怒りを覚える。それと同時に、脱走計画が始まった瞬間から崩れてしまった事への絶望も心に広がる。必死に歯を食いしばるも、感情はぐちゃぐちゃだった。


「俺は貴様を破壊してでも回収するよう命令されている」


 なんとか立ち上がった少女へ、一人の男が言葉を投げかけた。赤い髪を逆立たせた筋肉質の男だった。

 皆がこの場から離れる中、その男は避難する人の流れに逆らうように桃色の少女へとゆっくり近づいて来ている。


「貴様が今ここで降伏すれば、その必要もなくなるがな」


 彼は右手を前に突きだしながら、低く冷淡な声で告げる。少女は彼を睨みながら身構える。


「貴様らの脱走は既に発覚している。別行動をしている内部協力者も捕らえられているだろう。抵抗は無意味だ」

「どうしてこんなひどい事が出来るの? 人が死ぬかもしれないのに!」

「それが命令だからだ。これ以上死人を増やしたくなければ、大人しく組織に戻る事だな」

「……っ」


 男は表情を一切変えず、右手を少女へ向けている。

 これ以上逃げ続けるなら、いつか本当に人が死んでしまうかもしれない。自分一人のために、無関係の人が大勢死ぬ。


(……でも、せっかく外に出れたんだ。ここで終わりたくない!)


 少女は男を睨み返す。

 たとえどんな脅しをかけられようとも、組織イクテシアには戻らない。それが彼女の答えだった。


「やはり、従うつもりはなさそうだな」


 敵対心をむき出しにした彼女の瞳を見て、男は表情を変えず右手に力を込める。


「なら、足を砕いてでも連れ帰るまでだ」


 右手のひらと五本の指先に赤い光が灯る。外壁を容易く抉り、車両をも貫いたレーザーが少女へ放たれる――

 その直前に、男の視界が白い煙に覆われた。


「ぐっ……」


 立ち込める白煙に顔をしかめる男には何が起きているのか分からないようだったが、男から離れていた少女には、黒い髪の少年がこちらに駆け寄りながら男へ向かって消火器を噴射しているのが見えた。見えたのだが、突然の出来事で、驚いたまま立ちすくんでいた。


「ああクソ、もう無くなった! 逃げるぞ!」

「えっ!?」


 少年は空になった消火器を捨て、少女の手を取って走り出した。少女も慌てて足を動かす。

 ちらりと背後を振り返ると、立ち込める消火剤から姿を現した男と目が合った。素早く右手を突き出し、今度こそ閃光が解き放たれた。


「俺の後ろに!」


 またも少年が動く。少女を庇うように前に出た彼は、男の手のひらと指先、計六か所から放たれる赤い光線を一身に浴びた。

 彼が無能力者である事は黒い髪が示している。光線を防ぐどころか生き延びる術など無い。


 彼の全身が焼き焦げて吹き飛ばされる光景を想像した少女は、思わず目を伏せた。だが次に感じたのは、飛び散る返り血の感触と少年の悲鳴ではなく、自分の手を掴む人間の手の温もりだった。


「走って!」

「えっ……? え!?」


 目を開けると、少年が再び自分を引っ張っていた。少女に当たらないよう全身で攻撃を受け止めていたというのに、その体にはかすり傷ひとつ見当たらない。混乱する少女は、ひとまず彼に連れられるがままビルとビルの隙間にある路地へと逃げ込んだ。



「やはり外部の協力者がいたか。それにあの少年は例の……」


 現場に一人残された赤髪の男性は、少年と少女が逃げた路地へ視線を向けるだけで追いかけようとはしない。


「……まあいい。軽く追い詰めて、他の協力者もあぶり出してやろう」


 小さく呟く男性の周囲には、どこからともなく数体のドローンが集まっていた。





     *     *     *





 接敵地点から少し離れた所で、ようやく俺たちは立ち止まった。息を整えながら背後を確認する。


「逃げ切れた……いや、追って来てないのか?」


 凄まじい破壊力のレーザーを放つ能力者。あれがイクテシアの追っ手か。深層機関絡みなせいで管理局が来ないからって無茶苦茶な攻撃だ。

 いつもの特訓のおかげで攻撃を真正面から受け止めるのには慣れたものだが、顔面にひとつ当たった時はさすがにビクッとした。

 けれどひとまず、危機は脱したはずだ。どういう訳か追って来る気配は無いし。


「予定より早まったけど、まずは『ゴーストタウン』に連絡……ってあいつスマートバンド持ってないんだった! なんかの霊で現場見てるかな」

「あ、あのー」


 と、一人でもたもたしてると、恐る恐るといった様子で病衣を着た脱走者の少女が近付いて来た。


「あ、ゴメン。いきなり引っ張って来て戸惑ってるよな。とりあえず俺は味方だから安心してくれ」

「……あの男の攻撃を防いだのって、もしかして特殊能力?」

「え? そうだけど……ああそっか、この髪か。珍しいだろうけど、俺能力者なんだよ」

「黒髪の、能力者」


 俺の素性などではなく真っ先に能力の事を聞かれるのは予想外だったが、味方だと信じてもらえるよう正直に答えた。


「もしかして、あなたが――」


 すると彼女は、ハッとしたように顔を上げる。初めて面と向かい合った少女の顔には、驚きと共に微かな安堵が浮かんでいるように見えた。まるで一つの希望を見つけたような、そんな顔をしていた。


「――あなたが、?」

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