第75話 譲れない道がある

 正門を出て、俺は全速力で走っていた。

 早朝のランニングがてら学園最寄りのコンビニへ、とあるおにぎりを買いに行っているのだ。と言うか、今日に限ってはこっちの買い物こそ本命。


 情報によると、今日から毎日数量限定で天然生鮭が入った海鮮おにぎりが発売されるとの事。遺伝子組み換えの養殖鮭でも鮭味の肉でも無い、正真正銘の天然鮭。今となっては珍しい今回の品に、俺のようなおにぎり好きだけじゃなく一部の生魚愛好家も狙っている。


 対象のコンビニの品出し時間は把握している。このまま走って行けば、着く頃には半分は残っているはず。うかうかしてると朝のピークに巻き込まれておしまいだ。絶対に手に入れて見せる!!


「着いた!」


 無事に、品出し直後にして混雑前の絶妙なタイミングに間に合う事が出来た。毎日の運動によって着実に持久力が付いている己の体を褒めたくなる。待っていろ俺の体。今に一個五百円の高級おにぎりを胃袋に届けて――


「あれ、無い……」


 おにぎりコーナーには、あるはずの天然生鮭おにぎりが存在していなかった。それだけじゃなく、梅やシーチキンマヨネーズなど人気のおにぎりも品出し直後にしてはあり得ないほど減っている。周りを見てみると、同じく総菜や弁当も数を減らしていた。これはまさか……。


「今日に限って、通常より早く品出しをしたとでも言うのか……!?」


 驚きの余り口元を押さえて立ち尽くした。

 なんて事だ……おにぎり好きとしては発売日から食べたかったが、その夢も儚く散った。


「明日まで我慢かぁ」


 がっくりと肩を落とし、せっかくだからと残っていた普通の焼き鮭おにぎりを買った。

 遺伝子組み換えだって本物と遜色ない味だし。全然代わりは務まるし。遺伝子操作した人間も本物と何も変わらないとか何かの番組で言ってたし、鮭だって変わらないはずだし……。


「おっ、ルッキーじゃねぇか!」


 コンビニを出た直後、刈り上げ頭のヤンキーに絡まれた……じゃない、こいつは呼詠こよみひびき。プリズム・ツリーの一員だ。会うのは二度目だが、ガタイの良い高身長と両耳のピアスを見れば、やっぱり喧嘩とかしてそうなチャラい大学生だと勘違いしてしまう容姿だ。


「こんな所で会うなんて奇遇……って、何でそんな暗い顔してんだ?」

「いや別に。買おうとしてた商品を逃しただけだよ」

「そりゃ残念だったな。まあ、朝から辛気臭い顔してっと幸運が逃げるぜ?」


 呼詠は俺の肩をバシバシ叩いて励ましてくれた。第一印象は怖いヤンキーだけど、彼の中身は陽気でフレンドリーなお兄さんだ。


「ほら、これ食って元気出せ。俺もさっきそこで朝メシを調達して来たんだけどよ、美味そうなモン見つけたんだよ」


 そうして手に下げていた袋から取り出されたのは、まさに俺が狙っていた天然生鮭おにぎりだった。


「呼詠、これ買えたのか!?」

「ん? ああ、最後の二個だったけどな。こんな朝早くから売り切れ寸前だなんて凄い人気なんだろうな」

「も、貰ってもいいの……?」

「おう、ちょうど二個買ったしな。てかもしや、これがお前のお目当てだったり……するっぽいなどう見ても」


 呼詠の大きな手に乗る黄金おにぎりに思わず釘付けになっていた俺を見て、彼は面白そうに笑いながらそれを差し出した。


「ありがとう呼詠。この恩は絶対に忘れない」

「んな大袈裟な。それより、良ければ一緒に食わねぇか? せっかくだから話したい事もあるしよ」

「もちろん。喜んでお供するよ」


 呼詠に案内されてやって来たのは、五分ほど歩いた所にある誰もいない小さな公園。まるでビル街とビル街の間にひっそりと存在するかのように、かなり昔から放置されてるであろう滑り台とベンチくらいしか無い寂れた公園だった。人がいないせいか、日陰に入れば夏の暑さが随分マシになって来る。


「学園の近くにこんな所あったんだ……知らなかったな」

「こういう隠れた名所みてえな所を探すの好きなんだよ。ここは落ち着きたい時なんかによく来るお気に入りスポットだ」


 木製のベンチに二人で腰掛け、風に揺れる木々のざわめきを聞きながらおにぎりを頬張る。呼詠のおかげで口にする事が出来た天然生鮭おにぎりは想像以上の美味しさだった。外の落ち着いた景色を見ながら食べているのも、おにぎりの美味しさを引き立たせているだろう。朝からとても満たされた気分だった。


「んでルッキー、最近どうよ」

「何その久しぶりに会った親戚みたいな質問」


 あっという間に食べ終わった呼詠は、ゴミを袋に入れながら訊ねて来る。


彩月さいづき夕神ゆうか、だっけ? 深層機関に捕まってるっつーお前のダチ」

「……!!」

「いきなりあんな事言われちゃ誰でも混乱するだろうけどよ、そろそろ気持ちの整理も出来た頃だと思ってな」

「それで朝ご飯に誘ってくれたのか……」

「あそこで会ったのは完全に偶然だけどな」


 呼詠は俺を心配してくれてたのか。『ゴーストタウン』に彩月の名前を出されて衝撃を受けたのは俺だけだったっぽいが、そんな俺に対して何も感じていなかった訳では無いらしい。


「……今の状況について理解は出来たよ。ただ、正直まだ納得は出来てない」


 おにぎりの包装をくしゃりと握りながら、俺は答える。


「誰かと一緒にいる時はできる限り考えないようにしてるけど、一人になるとどうしてもあの夜に知った事が蘇って、頭の中がこんがらがるんだ。いままで普通に接してた友達が実は実験に使われていて、そんな目に遭っている能力者がたくさんいるんだって知らされて。助けるべきなのは分かってるんだけど……どうしても割り切れない」

「ああー、ソラっちと揉めてたやつな」


 俺達が初めて顔を合わせた夜の事を思い出す呼詠の言葉に、頷く。

 深層機関は、社会の裏に存在する国家直属の研究組織。それを暴力でもって崩壊させる事が本当に正しい手段なのかどうか、その答えを巡って、俺と奇類くるいは少し言い合いになった。


「俺が言うのもなんだけど、ソラっちにはソラっちの想いがあって、結果的にルッキーと衝突しちまったって事は分かってほしい」

「もちろん、それは分かってるつもりだ。大人達に利用されている能力者達を助けようとするあいつの気持ちは、本物だって思うしな」


 あれだけ揉めておいて今更だが、俺も奇類の言い分には一理あると思ってる。あの時は真っ向から否定したけれど、後になって考えてみたんだ。

 もしもこの先、彩月を使って行われるサイクキアの研究を知った時、その内容があまりに許せない事だったら。俺は『襲撃なんて褒められた手段じゃない』と悠長な事を言っていられる自信が無い。あの時奇類に向かって出した言葉を、もう一度心から言える気がしない。


「プリズム・ツリーは、ただの寄せ集めじゃねえ」


 俯く俺へ、呼詠はそう切り出した。


「『ゴーストタウン』の基準にゃ戦いに使える能力者ってのもあるだろうけど、皆が深層機関の真実を知って、戦いたいと望んだ奴らで出来てるんだ」

「皆は襲撃に賛成って事か?」

「そう断言はしねぇよ。ただ、譲れない信念があるのは確かだ」


 いつもの陽気な雰囲気ではなく、彼は真面目な顔で語る。


「俺の弟はな、無能力者の集団に襲われたんだ」

「えっ……?」

「弟は能力者なんだけどな、俺とは違って戦闘向きじゃない能力だったんだ。そんで、無能力者の不良共が遊び感覚で行う『能力者狩り』の標的にされたんだ」


 能力者狩り……そんなもの、聞いた事も無かった。弱い能力者を狙って暴力を振るうなんて、そんな残虐な行為が存在するのか。


「だから俺は、能力者ってだけで他人に虐げられるようなこの世界を変えたいと思ってるんだ」

「世界を変える、か……壮大だな」

「ソラっちも、ちょいと違うが似たような事を言ってたぜ。あいつのダチは過去に、能力者である事を理由にいじめられてたらしい。そんで今は、他人の都合で日常を踏みにじられる能力者を一人でも多く救いたいって言ってたぜ」

「奇類にもそんな事が……」


 ――能力者ってだけで人生を台無しにされてる人がいるってのに我が身可愛さに尻込みするような半端な野郎は、アタシがぶん殴って追い出してやる。


 あの夜に至近距離で聞いた彼女の言葉には、言葉にできない重みがあった。

 呼詠も奇類も、それぞれ『能力者である』事を理由にした理不尽を目の当たりにし、自分の思う正義の道を見つけているんだ。


「クロとかぎりんは自分の事を話したがらないから分からねぇけど……まあ二人も半端な気持ちでついて来てるわけじゃあねぇはずだぜ。そんで俺は、お前もお前なりの覚悟を背負う事が出来ると信じてる」

「俺が……?」

「ああ。自信持て」


 ドン! と、呼詠は隣に座る俺の背中を強く叩いた。


「助けを求めてる人がいて、助けたいと思ってる。その時点でお前は良い奴だ。ダチを救うために真剣に悩めるお前は、きっと自分の道を見つけられる。この俺が断言してやる」


 そう言って、彼は歯を見せて力強く笑った。


 プリズム・ツリーの皆はそれぞれ、譲れない想いを胸に抱いている。奇類も呼詠も黒影くろかげも、たぶん鍵霧かぎりも。『ゴーストタウン』なんて、俺達よりも先を見ている事だろう。

 俺もいつか、それくらい大きな覚悟が見つかるだろうか。彩月を助けたいという俺の意思は、それに並ぶほどの決意と言えるのだろうか。


 今の俺には、まだ分からなかった。

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