第70話 世界一簡単で面倒な犯罪者との取引

 能力犯罪者終身隔離施設『白夜』。

 普通の民間人は噂でしかその存在を知らない。太平洋の底にあるとも雲の上にあるとも言われているし、小さな建物とも大きな街そのものとも言われている。要するに、信憑性の無い噂しか流れていないのだ。今や『ゴーストタウン』よりも眉唾物の都市伝説となっている。


 その実態は書いて字の如く、特殊能力を悪用した歴史的重犯罪者を死ぬまで閉じ込める最高機密の隔離施設。更生の予知が無い、あるいは二度と社会に解き放ってはいけない凶悪犯罪者などがここに収容され、そして死んでいく。ある特例措置が働かない限り永遠に太陽を拝む事は許されず、投獄されたが最後、ここが墓となり棺桶となる。


『ちなみに「白夜」ってネーミングは、収容された犯罪者には夜ですら安息の闇は訪れない、なんて意味が込められてるみたいだね。だとしたらもうひとつの「極夜」はどうなるのさ。あそこもココと同等の施設だって話だけど、年がら年中暗闇の極夜なら犯罪者は大喜びじゃないか』

「……話を逸らさないでください、れいさん」


 棺桶のような装置に固定されて直立したまま、彩月さいづき澪はとうとうと語る。ガラス越しにそれを聞いていた天刺あまざしは不満そうに、僅かに顔をしかめた。


「あなたにいくつか聞きたい事があります。答えてくれますね?」

『聞きたい事……その為に亜紅あくちゃんは僕と交渉しに来たんだね。でも、それに何の意味があるんだい?』

「意味、とは?」

『「白夜ここ」に来た時点で、書類上僕はもう死んだことになっている。それくらい知ってるさ。もはや基本的人権なんてモノが無い僕から情報を集めるなんて、頭の中を覗くなり脳みそをほじくるなりすればいいじゃないか。君に能力を奪われている以上、今の僕にはなーんの抵抗も出来ない訳だしね』

「能力を奪っている訳じゃありません。あくまで預かってるだけです」


 水色のショートボブの上から頭を掻いて、天刺は小さくため息を吐いた。


「何度も言ってますが、読心系の特殊能力澪さんの記憶を読めたら苦労しませんよ。独自で組み上げた法則による『思考の暗号化』によって、澪さんの思考を抜き取った所で意味不明な文字列しか出てこない。何を見せられたのか、記憶を直接覗いた能力者はみんな気分が悪くなって尋問どころじゃなくなる……自前の精神力一本で能力を封じるなんて、やってる事が人間じゃないんですよ」

『心外だね。今の僕は人間じゃないどころか、髪と瞳の色がヘンテコな無能力者みたいなものなのに』


 ニコニコと楽しそうに話をする澪と、どこまでも余裕そうな彼をどう切り崩したものか、と無意識に顔が険しくなる天刺。


「国の機密を知っているあなたをすぐにでも処分しようとしていた偉い人もいました。ですが、いつか有益な情報をもたらしてくれると信じたから、私が取引を持ち掛けてあなたを生かす方針に持って行ったんです。いつかあなたが協力してくれる日が来ると信じたから」

『だから、その恩を今返してくれという訳かな? だとしたらお断りだね』

「そうじゃありません。私が信じたのは、あなたの妹さんに対する想いの強さです。彩月ちゃん――夕神ゆうかちゃんが暮らす世の中をより良くするために、あなたはいつか協力してくれると信じているんです」

『あの子について少しは調べたみたいだね……でも残念。僕はもう、あの子を研究の道具にしたこの国のためになるような事は死んでもしないと決めた。いくら君の頼みでも、ぜーったいに話さないね』

「……ダメもとで強引に尋問する事だって視野に入れてますよ」

『君が人より尋問が苦手なのは知っているよ。何せかつての仲間だ。いつもは良心が邪魔をして拷問が出来ない事も、うっかりタガが外れたら相手を壊してしまって何も聞き出せなくなっちゃう事も、ね』


 澪の心はちっとも揺らがない。久しぶりの人間との会話を楽しんでいる節すらある。

 天刺は腰に手を当てて天井を仰ぎ見て、それからもう一度、彼の白緑の瞳を正面から見据えた。


 残る手札はひとつだけ。この最終手段で澪が対話に応じなかったら、今回は諦めるしかない。天刺が尋問下手なのは彼の言う通りだし、どんな強硬手段でも口を割らないのは過去の実例が証明している。読心能力も光学式思考傍受装置も通じない彼から情報を得るには、対話しかないのだ。

 真剣な眼差しで、天刺は口を開いた。


「質問に答えてくれるのなら、夕神ちゃんの近況を教えます」

『よかろう交渉成立だ何から聞きたい』

「…………」


 神速だった。今まで見た事のないような速度の手のひら返しである。

 その顔は真剣そのもの。世界をかけた戦いに挑むとしてもここまで真剣にはならないだろうというレベルで澄み切った本気の目をしていた。こうなる事を少し期待していたとはいえ、さすがの天刺もドン引きだった。


「本当に澪さんは、夕神ちゃんが好きなんですね」

『勿論さ、唯一の家族なんだからね。夕神の為なら死ねる。むしろ他の人類なんてどうでもいいね。全員あの子を際立たせるための動く背景でしかないとすら思ってる』


 これが、彩月澪が『白夜』に収容されてなお頑なに協力を拒む理由だった。

 彼は妹の為にしか動かない。かつて妹のために大勢の死者を出した大事件を引き起こし、収監された今は記憶を読まれないよう思考の暗号化という離れ業まで簡単にやってのける。恐らく人類史上最も扱いが面倒くさい、世界最強のシスコンなのだ。


『で、交渉材料として持って来たからには、それなりに中身のある情報なんだろうね。これで又聞きしただけの不確定な情報だったら、さすがの僕も怒っちゃうよ?』

「大丈夫ですよ。捜査の過程で二度直接会ってますので、実際にこの目で見た近況です。ちなみに休日のショッピングモールでは白いワンピースを着てました。可愛かったですよ」

『よし君を全面的に信用しよう』


 少し前までの手ごたえの無さはどこへやら。一周回って脱力するほどにあっさり澪が折れた。


『昔から夕神は白が好きなんだよ、変わってないねー。ワンピース姿もきっと可愛いんだろうなぁ。背は伸びたかな? それとも変わってない? まあどれだけ成長してても宇宙一美しいに決まってるけど。夕神と同じ空気を吸ってる人類はその対価として滅ぶべきだ』

「……澪さん。そろそろ私の質問をしてもいいですか?」

『おっとそうだったね。約束は約束だ。何でも答えるよ』

シスコンそっちのモードだと調子狂いますよ……」


 今日一番のイキイキした笑顔を見せる澪を前にため息しか出ない。

 天刺は場の空気を切り替えるように咳払いをひとつして、話を切り出した。


「澪さんは、『ゴーストタウン』って知ってますか?」

『ゴーストタウン……幽霊都市の事かい? 言葉としては知ってるけど――それとも、「あの日」壊れた東京西部にそういう呼び名でもあるのかな』

「いえ、今回のは人名です。まず本名じゃないでしょうけど。能力を持つ『霊』を生み出して別の人間に憑依させる事で能力を増やしたり、霊に能力を使わせる事で実質的に複数能力を使いこなす、いわば能力そのものを操る能力者です」

『能力を操る能力……どこかの誰かさんと似てる能力だね』


 澪の意味ありげな視線を受けて、何が言いたいか分かった天刺は一度腕を組んで答える。


「まあ、である可能性は高いと思います。だからと言って推測も難しいですけど。その『ゴーストタウン』は無能力者に能力を与えたり能力者に新たな能力を植え付けたりして、都内各地で能力犯罪の背中を押すような事をして回っているんです。更には百人以上の能力者を昏睡させている犯人でもあります」

『そりゃ人騒がせな移動販売があったものだ。正体は分かっているのかい?』

「白髪の痩せた青年という所までは絞れています。無数の能力を操れるので、体型を丸ごと作り変える身体変化系能力を使った可能性もあり、外見情報に頼りすぎるのも危険ではありますけど」

『白髪……夕神と同じだね』

「ええ。ですので一応、彼女も候補の一人として調査をしているのですが……そんな怖い顔しないでください。あくまで建前としてですよ」


 宇宙一愛する妹に犯罪容疑をかけられたと知った途端、澪はこの世の全てを破壊しかねないほどの憤りと共に、眉間にしわを刻み込んだ。


『本当だね?』

「本当です。夕神ちゃんが疑われているのは、白髪である事に加えて情報が極端に少ないからですよ。そしてその理由が、『ゴーストタウン』としての足取りを追えなくさせるための違法な改竄ではなく、事は知っています。ですが、そんな国家機密は誰にも言えません。なので立場上、夕神ちゃんを『ゴーストタウン』候補として疑うしかないんです。たとえ真実とかけ離れていると分かっていても」

『……ま、本気であの子を捕まえようとしてるんじゃないのならいいけどね。君はあの子の真実を知っている数少ない協力者なんだし、あの子が幸せになるよう動いて欲しいものだ』

「夕神ちゃんの近況報告をしない限りてこでも動かないあなたが協力者、ですか……」


 ガラスの向こうにいるシスコン男に思わずジト目を向ける天刺。手足が固定されて顔しか動かせない状態のシスコン男はニコニコしたままだ。


『まあまあ。話を戻そう。要するに君は、僕が「ゴーストタウン」何某の存在に心当たりがあるか聞きたかったんだね? 残念だけど、僕も聞いた事が無い。「ゴーストタウン」が動き出したのはいつ頃からかな?』

「昏睡事件は今年の四月から始まりました。その後、昏睡事件と並行して『能力が発現した無能力者』ないし『能力が増えた能力者』による事件も頻発しています。更には犯罪者としてではなく、都市伝説としても『ゴーストタウン』の名は若者を中心に広まっています」

『へぇー、社会の裏でも表でも有名人なんてね。だけどやっぱり、僕にはさっぱりだ。少なくとも僕がまだ太陽の下を歩いていた三年前までは、そんな名前は聞いた事もいないね』

「そうですか……三年前まではいなかったか、もしくは表に出ていなかった。それが分かっただけでも収穫とするべきかな」

『一応言っておくと、夕神に誓って噓は言ってないからね?』

「信じますよ」


 神も仏も芋虫程度にしか見ていない澪が『夕神に誓う』と言ったら、それは絶対である。彼との付き合いもそこそこ長くなる天刺には、それが分かっていた。


「ところで、もうひとつ聞きたい事があるんですけど」

『追加料金が必要な頃合いだね』

「やっぱりですか。それでは、夕神ちゃんの学校生活について少し」


 すっかり澪を手なずける方法を心得た天刺は、スムーズに延長分の情報を提供する。


「サイクキアがどういうつもりかは分かりませんけど、夕神ちゃんは今年度から、転入生として星天学園に通っているそうです」

『ほう、あの星天学園にか。制服姿は見たのかい?』

「ええ。ちょうど一週間ほど前ですかね。学園の夏服を来た夕神ちゃんと会いましたよ」

『いいなぁ羨ましいなぁズルいなぁ。亜紅ちゃんちょっと代わってよ』

「無理に決まってるじゃないですか。二度と会えなくなる事すら覚悟の上で『事件』を起こしたのはあなたでしょうに」

『そうなんだけどさぁー』


 目を輝かせた次の瞬間には心の底からガッカリしたりと、まるで少年のように表情がコロコロ変わる。

 しかし、天刺は知っている。どれだけ彼の顔の筋肉が動こうとも、奥底にある冷え切った黒い感情が揺らぐことは一切無いという事を。


「ああそれと、お友達と一緒にいる所も見ましたよ。楽しく学園生活を送っているみたいです」

『そうかそうか、それは良かった。夕神に釣り合う対等な人間なんて太陽系のどこにも存在しないけど、友達がいるなら安心だね』

「あんまりそういう事は言わない方が良いですよ……」

『ちなみに亜紅ちゃん。念の為聞いておくけど、そのお友達というのはもちろん女の子だよね?』


 なんて事を聞くんだ、と内心辟易しつつもきちんと答えた。


「……男の子も一人いましたけど」

『その馬の骨を連れて来てくれ。夕神に近付く虫は跡形も無くコロス』

「骨なのか虫なのかどっちなんですか。あと冗談でも殺すとか口にしないでください。この会話を記録している『白夜』の方が勘違いして発砲しますよ」


 相変わらずの重症っぷりにツッコミも追いつかない。やはり彼を手なずけられたという認識は撤回すべきだろう。天刺は天を仰ぎたい気分だった。

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