第63話 深夜を跳ぶ二つの黒
「また二、三時間は歩くのかぁ」
集まっていた廃ビルを出た俺は左腕のスマートバンドで時刻を確認しながら肩を落とした。今日の話を整理する前に、まずは寮へ帰らなくてはならない。『ゴーストタウン』と共に歩いた長い道のりを思い出すと、思わずため息が出る。
「ってか、もう終電過ぎてるよな!? 不眠不休で歩くしかないか……」
「もしかして、ここまで歩いて来たのか?」
「まあな。能力を打ち消しちゃうから他に方法も無かったし」
さっきまで立ち話だったから、歩き続けて悲鳴を上げている足も本調子では無い。途中で倒れないだろうか。
「
「うん?」
考え事をするように視線を落としていた黒影は、顔を上げると俺のすぐ傍までやって来た。そして、
「失礼」
短い詫びの言葉と共に、視界が大きく揺れた。俺の体が背中から倒れるように回転し、黒影によって支えられ、そのままあっという間に抱きかかえられた。いわゆるお姫様抱っこである。いきなり過ぎて反応も出来なかったが、男同士でやるものでもない気がする。
「お前、何してんの……?」
「悪いが五秒ほど目を瞑っていてくれ」
「え? うん……」
空を見上げたままそんな事を言う黒影。よく分からないが、言われた通りに目を閉じる。
すると下の方、恐らく黒影の足の方から、ギリリリ……と低く軋むような音が聞こえて来た。獣の唸り声のようにも、モーターの駆動音のようにも聞こえる。
その直後。
ぶわっっっ!! と、物凄い強風が俺の顔を叩いた。黒影に抱えられているので地面から足が離れているせいか、強風も相まって空を飛んでいるかのように錯覚する。もう五秒は過ぎた気がするので、俺はゆっくりとまぶたを持ち上げる。
「……え?」
錯覚ではなく、本当に飛んでいた。
灯りの無い汚染区域を飛び越えるように、空を突き進んでいた。
「うおおおおお! と、飛んでる!?」
「しっかり掴まっててくれ」
黒影のロングコートがバタバタとはためく音が聞こえる。恐る恐る視線を下へ動かすと、あっという間に汚染区域を飛び出して瓦礫街を抜け、街の明かりが見え始めた。
「お前、どうやって飛んでるんだ……!?」
俺を抱えながらでは能力は使えないはず。というか、黒影の能力は飛行なんかじゃないはず。二重の意味がこもった質問だったのだが、黒影の答えはそれを同時に解決してくれた。
「俺の能力は身体機能の補完と強化。それには脚力や腕力といった運動機能も当てはまる。両脚付近の身体能力を強化すれば、こうして無効化能力を持つお前を抱えながら高速で移動できる」
「な、なるほど……」
目が見えない黒影は能力によって視力を補っているらしい。だから彼の能力が身体機能の補完と聞いて、てっきり視覚や聴覚などの五感を強化するものだと勘違いしていた。どうやらそれだけではなく、身体能力全般を強化する事ができるようだ。そして脚力を強化した黒影は、俺をかけて空高く大ジャンプをしたのだ。
話しているうちに高度が下がっていく。ビルの屋上に着地した黒影は、再び大きく跳躍した。
俺の能力は特殊能力そのものに触れないと効果を発揮しない。今は両手で横抱きにされたままなので、足にさえ触れなければ黒影の身体強化も発動できるという訳だ。
『ゴーストタウン』もこうすれば良かったのに……いや、それは無理な話か。このやり方は、能力抜きで俺を持ち上げるだけの純粋な腕力が求められる。満員電車で潰されないか心配なほどのもやしっ子にはとても難しいだろう。
「すごい景色だな」
俺は遥か上空から見下ろす夜景に目を奪われていた。東京の夜は暗闇より光が勝っている。灯りの無い廃墟ばかり並ぶ場所にいたからか目がチカチカするが、それでも綺麗だと思えた。空を飛んだ事なんて一度も無いので、道行く人々すら豆粒のように見える夜景に、ただただ感動している。
幸い二人とも黒髪で、さらに黒影に至っては真っ黒なロングコートだ。地上からも俺たちの姿は見えにくいだろう。ビルからビルへと山なりに飛び移る黒影の体を掴みながら、俺は流れる景色を眺めていた。
「ここで大丈夫か?」
「ああ。ちょうどいい場所だ」
あっという間に学園の近くまで運んでくれた黒影は、駅近くの人がいない裏路地に危なげなく着地した。こういう空中大移動は何度もしてるんだろうか。
「ありがとな、本当に助かったよ。歩かなくて済んだし綺麗な景色も見られた」
「またあの廃墟に行く事があれば言ってくれ。これからは俺が運ぼう」
「えっ、いいのか!?」
『ゴーストタウン』が言うには、大事な話し合い――恐らく深層機関に関わるような話をする時は、誰かに聞かれる心配のない汚染区域の中でする事になっているという。なのでこれからも、あの廃ビルへ出向くことになるはずだ。
その度に黒影にお願いするのは申し訳ない気もするが、正直言ってめちゃくちゃ助かる。毎回電車を乗り継いでさらに長距離を歩くのは大変だ。
「ここからそう時間もかからないし、大して負担にもならないから遠慮する必要はない」
「そっか……じゃあ、これからもお願いしてもいいか?」
「任せておけ」
本人はこう言ってくれるものの、同じくらいの体格の男子高校生を抱えて跳び回るなんてそれなりに大変だろう。なのに嫌な顔ひとつせず提案してくれるなんて、もしかして黒影って物凄く良い奴……?
「そうだ、ちょっとコンビニ寄らないか?」
表通りに出た俺は、ちょうどいい所にあったコンビニを指し示した。それは偶然にも『ゴーストタウン』との待ち合わせ場所にもしていた駅前のコンビニだった。
黒影の顔を見るに疲れは出ていないようだが、ここはお礼の意味も込めて飲み物でも買ってあげたかった。
「今回の乗車料じゃないけどさ、何か奢らせてくれよ」
「……そうだな。それなら、その厚意はありがたく受け取ろう」
そんな訳で、俺たちは駅前のコンビニに入った。二十四時間営業のありがたみをこんな形で感じる日が来ようとは。
ここのコンビニには機械だけじゃなく人間の店員がいるため、真夏の夜に入店して来たロングコートを見て目を丸くしていた。これが普通の反応だよな、うん。プリズム・ツリーの奴らは見慣れてるのか誰もツッコんでなかったけど。
「俺も何か買おうかな」
飲み物の棚へと進む黒影を横目に、何気なくお腹をさする。既に日付が変わっており、現在時刻は一時過ぎ。たくさん歩いた事もあって小腹が空いて来た。
俺の足は自然とおにぎりコーナーへ向く。そのまま、品出し前なせいで少し寂しいラインナップを眺めること数分。いつの間にか戻って来た黒影が、おにぎりを眺める俺を眺めていた。
「そう言えば、おにぎりが好きだと言っていたな」
「まあな。具材を米で包んでにぎるだけっていうシンプルな調理法とは裏腹に、味付けのこだわりや米と具の組み合わせによって無限の可能性が存在する奥深い世界なんだよ。このコンビニはあまり来た事が無いけど鮭おにぎりが美味しそうだ……あっ」
つい語り過ぎてしまった俺は、少し気まずくなって黒影の顔色を伺う。変な奴を見るような目を向けられていたら悲しいなと思っていたが、意外にも彼は小さく笑みを浮かべていた。それも、昨日病院の中庭で見た一度目の笑みと同じく、どこか寂しそうに微笑んでいる気がする。
「……どうした? そんなに面白かった?」
「いや、すまない。知り合いのおにぎり好きがお前とほとんど同じ事を言っていたものだから、思い出してしまって」
「へぇー。まさか同じ感性の持ち主がいるとは。是非ともおにぎり談義をしてみたい所だぜ」
「そうか……ただ残念だが、その人は二年前に死んでしまったんだ。俺もあの人とお前の会話は聞いてみたいものだが――大丈夫か?」
話の途中で、俺は膝から崩れ落ちていた。がっくりとうな垂れる俺を見下ろす黒影は、突然の事に戸惑っていた。
「……黒影、本当にごめんな」
「どうしたいきなり」
「昨日初めて会った時もそうだ。目が見えない事とか、学校に行きたくても行けない事とか。俺はお前と話す度に、お前の辛い秘密を無自覚に暴いちまってる気がする」
人には、他人が踏み込んではいけない領域というものが存在する。こと隣の少年においては、それが人より多い気がする。いや、確実に多いだろう。
無自覚とはいえ、触れて欲しくない事に触れられたら誰でも嫌な想いをする。俺は黒影の地雷を何度も踏み抜いてしまっている事に、非常に申し訳なく思っていた。
「俺はダメな奴だ。道徳と対人会話を小学校から学び直さないといけない……」
「そこまで卑下しなくても。とにかく、顔を上げてくれ」
他の客がいないとはいえ、ずっとへたり込んでいたらさすがに店の迷惑になる。のっそりと起き上がった俺へ、黒影はいつも通りの平坦な口調で語りかけた。
「確かに俺は、今までの人生で様々な経験して来た。それが他人にとって触れ辛い物である事も自覚している。でも、どんな過去でも俺の一部なんだ。これから付き合っていくお前に知られるのは、別に嫌じゃない」
「黒影……」
気のせいかもしれないが、今の黒影はさっきまで廃ビルで集まっていた時より、表情が柔らかい気がする。顔を見ただけじゃ感情を読み取るのが難しいのは変わらないが、話し方や雰囲気そのものが、同い年とは思えない大人びた包容力を感じさせた。
「やっぱりお前、物凄く良い奴だよ……」
俺の無礼も優しく受け入れてくれた彼に、今は感謝しかない。俺は黒影の両肩をがっしりと掴んだ。
「お前チョコレート好きだって言ってたよな。お詫びとしてニ十個でも三十個でも買ってやる!!」
「そんなには食べれないが……」
結局、黒影には飲み物とチョコレート味のアイスを、俺自身はおにぎりを一つ購入し、コンビニを出た。
深夜の一時半。まだ陽は昇っていないものの、あまりゆっくりしていると睡眠時間が無くなってしまう。テロ事件に続いて長時間ウォーキングによる肉体的疲労と、異能力だの波界だの深層機関だの、常人には知り得ない真実の数々を聞かされた精神的疲労がダブルで襲って来て、俺はもうおにぎりを食べてすぐに寝たかった。何より明日も学校あるし。名残惜しいが、今日はここで解散だ。
「俺はこっち行くけど、黒影は……」
「芹田、少しだけいいか」
俺の言葉を遮って、黒影は歩き出そうとする俺の腕を掴んだ。反射的に振り返ると、黒影は深刻そうに眉をひそめてこう続けた。
「話があるんだ。『ゴーストタウン』について」
改まってそう言われては、俺も気になってしまう。
俺は『ゴーストタウン』に誘われてプリズム・ツリーという組織にやって来た。恐らく黒影も同じだろう。出会ったばかりの俺たち二人の、数少ない共通項。
しかし、彼について語ろうとする黒影の目は、どうしてかとても鋭く見えた。ここにいない当人を思い浮かべ、その影に突き刺しているかのような瞳。
「あいつを――『ゴーストタウン』を、信用してはいけない」
それはまるで、仇敵を捉えるかのような瞳だった。
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