第61話 法を破る正義は正義足り得るのか
瓦礫街、それも能波汚染区域の中ほどにある、とある廃ビル。
俺がここに来た理由は二つ。ひとつが集められた仲間との顔合わせ。そしてもうひとつが、『ゴーストタウン』が行おうとしている『人助け』についての詳細説明だ。一通りの自己紹介が終わった今、『ゴーストタウン』によって彼の計画とやらについて話されようとしている。
「
彼の口から飛び出したのは、まずはそんな問いだった。
「えっと……確か二〇三五年に、能力者を使った人体実験が問題になったんだっけか」
「概ね正解だ。星門研究所という研究機関が特殊能力者について知るべく行っていた非道な実験の数々が明るみになり、特殊能力者に対する人権について世間を揺るがした事件だ」
授業で何度も習った、特殊能力者として生きるならば知っておくべき事件のひとつだ。
世界で初めて特殊能力者が発見されてから五年が経った二〇三五年。俺たちは生まれてすらいない時代の話だが、当時は今以上に特殊能力者の数が少なく、またその社会的立場も危うかったらしい。
今もなお存在する差別問題は当時から存在し、海外では魔女狩りのような排斥運動も行われていたようだ。考えるだけでゾッとする。
「この事件がきっかけで、特殊能力についての研究を行う際には特殊能力管理局の認可が必要になった。そして国に認められた後も、常に厳しい審査を行っていて、二〇三十五年以降、倫理や人道に反する人体実験は行われていないとされている。
レモン色とオリーブ色のオッドアイが、俺の目をまっすぐを見つめる。底の見えない瞳を見て、そして彼の意味ありげな言い方に、俺は唾を飲み込んだ。
「能力者を使った非道な実験は今でも行われているんだ。それも、国家に黙認されたままにね」
「え……?」
その言葉を咀嚼し、理解するまでに少し時間がかかった。やがて思考が追い付いて来ると、そのあり得ない事実に目を見開いた。
「能力者の人体実験はしちゃいけないってこの国が定めたのに、国の裏では進めているってのか……!?」
「そうだとも。人々の知らない奥深くで、複数の研究機関が特殊能力についての研究を行っている。国が認めた特例中の特例。それは法律すら届かない深層に存在する。特殊能力の解明、そして軍事利用を目的とした研究機関さ。それらは『深層機関』と呼ばれている」
「深層、機関……」
二〇三五年の事件を経て新たな法律が作られ、世の特殊能力者たちは『次は自分が実験に使われるのではないか』と怯えながら暮らさずに済むようになったと聞く。
だが、それはほんの表層に過ぎなかった。社会の裏では現代までずっと実験が行われ、その材料として能力者が使われている。『ゴーストタウン』はそう言うのだ。
あまりに突拍子の無い話だった。ただの高校生として生きていた俺にとってはスケールが違い過ぎる話。
だが能力者である以上、関係の無い話とは言えない。明日は我が身かもしれないのだから。
「今もなお、国の都合で被験体になり苦しみ続けている能力者は大勢いる。しかし深層機関は国に認められ、さらに国民には公表もされていない裏の組織だ。警察や管理局など動くはずもない。このままでは国家の名の下に平然と搾取され、大人の都合で人生を潰される能力者は後を絶たないだろう。だからこそ、僕達が動くんだ。プリズム・ツリーは道具として使い捨てられる運命にある能力者を救うための組織だ」
「救うって、どうやって?」
彼が自分から言ったように、この日本という国が背後にいるのなら、管理局に掛け合った所で無駄だ。そんな組織に囚われている人達を救う方法なんてあるのか……?
「簡単さ。深層機関、そしてそれらを裏で統括する国家。
全てを壊す。
『ゴーストタウン』は確信の籠った笑みでもって、そう断言した。
「正確には、全ての深層機関を襲撃し、囚われた特殊能力者を救い出す。端的に言えば、それが僕達プリズム・ツリーの作戦だ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「何だい?」
彼の言葉に待ったをかけ、俺は一度深呼吸をして心を落ち着かせる。そうして情報を整理し、俺は『ゴーストタウン』に訊ねる。
「その深層機関ってのは国が動かしている研究所だってお前言ってたよな。それを襲撃して、裏で操る国ごと壊す? そんなの、まるでテロリストじゃないか」
「もちろん、やって良いはずは無い。でもやらなければいけない」
「それが重罪だって、分かっていてもか」
「法にすら守られない人間というものは一定数存在する。誰かが彼らを闇から救い出し、守らなければならないんだよ」
今日の昼。俺の秘密が洩れるのを防ぐ代わりに協力して欲しいと申し出て来た時の彼は、『悪事は行わない』と言っていた。それが嘘ではない事は
恐らく彼は、それが正しい行いだと信じているのだろう。彼の言葉や瞳に揺らぎは無く、確固とした意志がそこにあるのだと感じた。だが、俺は……。
「オマエは、何に悩んでんだ?」
ふと、右側から
「情報の確実性か? それともこの期に及んで『ゴーストタウン』のヤツが何か噓を言っているんじゃねぇか、とか思ってんのか?」
「い、いや、そんなんじゃない。ここまで来て深層機関ってのが存在する事を疑いはしないさ。でも、法を破って機関を襲う事が本当に正しい事なのかって思っただけだ」
悪の研究所に利用されている人達を助ける。そう聞くと、確かに正義の味方にでもなっているような字面だ。
だが、それが現実において正しい事なのかは、俺には分からない。仮にたくさんの人が深層機関のせいで苦しんでいるんだとしても、国家に背いて武力でもって制圧するなど、学園を襲って俺を攫った『パレット』達とほとんど変わらないんじゃないだろうか……?
正義と悪を線引きするだけの知識も経験も、高校生の俺には圧倒的に不足している。
「……なるほどな」
俺の言わんとする事が理解できたのか、奇類はそう呟く。腰掛けていた大きな瓦礫から降りると、彼女は俺を真っ直ぐ見たまま歩み寄って来た。
「……っ!!」
そして、胸倉を掴まれた。
そのまま勢いよく引き寄せられる。いきなりの出来事に、俺は反応出来なかった。
「じゃあオマエ、この作戦から降りろよ」
大して身長差の無い奇類の顔が目の前にある。特別強く睨んでいる訳ではない。だが言葉の鋭さが、今までとは段違いだった。月明かりを反射するイヤリングの光すら、俺を刺しているかのようだった。
「……は?」
「聞こえなかったのか? オマエみたいな甘ったれた人間は必要無ぇって言ってんだ。ここに来たって事は、人を助けたいっつう『ゴーストタウン』の言葉を聞いてやって来たんだろ。けど、法を破るなら諦める。オマエはそう考えてんだな?」
「諦めるなんて言ってない……ただ、テロリストみたいな真似をしなくても他に方法が――」
「それが甘いっつってんだよ」
服が千切れそうな勢いで彼女の手に力が籠る。今まで感じた事の無い威圧に、途中まで出ていた言葉が引っ込んだ。
「人は助けたいけど自分が犯罪者になるなら手を引くだぁ? オマエみたいな見て見ぬふりをする偽善者がアタシは一番嫌いなんだよ」
「何だと……?」
「能力者ってだけで人生を台無しにされてる人がいるってのに我が身可愛さに尻込みするような半端な野郎は、アタシがぶん殴って追い出してやる。オマエは
息がかかるほどの目の前から彼女の言葉を浴び、突き刺すような瞳を見て、分かった事がある。
彼女はとても『良い人』なんだ。言葉こそ乱暴ではあるものの、芯の真っ直ぐ通った正義感を持っている。今だって、助けるべき人達の存在を知らされてなお二の足を踏む俺へ、怒りをぶつけているだけなのだから。
「……お前の言いたい事は分かった。だがな、俺からも言わせてもらう。お前の考えは正しくない」
だから俺も、彼女の目を真っ直ぐと見て、思った事をそのままぶつける。それが彼女の求めている言葉じゃなかろうと関係無い。
「俺は法を破った後に自分へ返って来る罰が怖くて躊躇ってるわけじゃない。法を破るという事そのものがいけない事だって言いたいんだよ。法を無視した暴力はただの犯罪だ。ましてや国家の転覆なんて立派なテロ行為だ」
「ハッ……戯言だな。じゃあ何だ? 法を守れば法に守られるとでも思ってんのかオマエは。だとしたら大間違いだぜ。法を守るだけで全人類が幸せになれるんなら、そもそもアタシらはここに集まってない。深層機関に利用されてる能力者だって、今までは善良な国民だっただろうさ。理不尽ってのは日頃の行いに関係なく牙を剥くんだよ」
「法を守るだけで皆が救われるなんて言ってない。けど、だからと言って人を襲っていいはずも無いだろ。正義の名目で暴力が許されるなら、各々の正義を掲げてあちこちで暴力による混乱が勃発する。当人たちにとって正しい行いだからって、何でもしていい訳じゃないんだぞ」
「ンだと? 耳障りの良い正論を振りかざして悦に浸るクソみてぇな量産型社会人と同じこと言いやがってよ……じゃあオマエは深層機関をぶち壊す以外の方法で全ての能力者を助け出す方法でも知ってんのかよ!」
「そんなもん知らねーよ! 穏便な解決法があるなら俺だって知りたいわ!」
「開き直ってんじゃねぇよ! 気に食わねぇなら代案出しやがれ!」
「無いもんは無い!」
深層機関とそれに関わる全てを壊してでも能力者を助けたい奇類と、襲撃以外の方法でどうにか助けたい俺。互いの主張は正反対だ。
気付けば俺たちの言い合いは熱を帯び、互いを睨み合いながら白熱していた。
「落ち着け、二人とも」
幸いどちらかの手が出るより先に、
「手段を選ぶ必要は無いという奇類の言い分も、正義のためとはいえ何をしても良い訳じゃないという芹田の言い分も、どちらも一理あると思う。だがそれは、今言い争っても仕方のない事だ。そもそも具体的な作戦は立てられてすらいないんだから。そうだろ、『ゴーストタウン』」
黒影に視線を向けられ、『ゴーストタウン』は首肯した。
「ああ。深層機関を襲撃するにしても、他の方法があるにしても、作戦決行はまだ先だ」
「そういう訳だから、今回は引き分けという事でおしまいだ。いいな?」
「……分かったよ。お前がそう言うなら、今回は引き下がる」
「おい待て、アタシはまだ言ってやりてぇ事が山ほど――」
「ほいほい、ソラっちも頭冷やそうぜー」
子供同士の喧嘩を諫める大人のような対応をされ、俺は少しずつ冷静さを取り戻した。再び詰め寄ろうとした奇類も、
「……火種になった俺が言うのもなんだけど、止めてくれてありがとな」
呼詠によってどうにかこうにか宥められている奇類を横目で眺め、俺は黒影へと視線を移して礼を言った。
「俺、討論とか口喧嘩とかあんまりして来なかったから、あのままヒートアップすると良くない事を言っちゃってたかもしれない」
「気にするな。ここには曲者しかいないからな、意見が違える事もよくある。俺が入った時も似たようないざこざはあった」
「へぇ……そうなのか。ちょっと意外」
ポーカーフェイスで物静かな黒影は、あまり真っ向から言葉をぶつけるイメージは無かった。今日で出会って二回目なのだが、何となくそう思った。
「だが、ぶつかるという事は交わるという事でもある。お互いが行くべき道を見据えているからこその衝突は、何も悪い事ばかりじゃないはずだ」
「まあ、それはそうかもな。奇類だってあいつなりに、深層機関に利用されている能力者たちを救いたいって考えてるのは伝わって来た」
「彼女たちは悪い奴じゃない。俺はそう感じてるし、そう信じてる」
黒影は紫色の光が混ざった赤い瞳で、真夜中の廃ビルに集まった面々を見渡す。その視線には温かな感情が宿っているように思えた。
ただ一人。
『ゴーストタウン』へ向けられた視線にだけは、他には向けられなかった鋭い何かを感じた気がする。気のせいだろうか……?
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