第53話 緑の棘と背景

 話しているうちに、俺たちは学園長室に到着していた。何だかんだ、学園長室に入るのは入学して初めてだ。小学校の頃に校長室へ入った時もドキドキしてたけど、やっぱりいつになっても緊張するもんだな。


「んじゃ、オレの任務は完了って事で。またね、芹田せりだ君!」


 扉の前まで来ると、鎖垣さんはくるりと向きを変え、手を振りながら去ってしまった。ここからは俺一人か。余計に緊張してきた……。


 ノックをすると学園長の声で返事があった。センサーに手をかざすと同時に、扉が静かにスライドする。


「失礼します」


 俺が入室したタイミングで、入口正面のデスクに向かって座っていた学園長は、手元に浮かんでいたホログラムパネルから目を離した。


「呼び出して済まないな。大した用事では無いから、そう緊張する事は無い」


 顔に刻まれるシワが大人の威厳を醸し出す、惑井まどい恒筆こうひつ学園長。彼の厳つい顔と低い声に、相対する誰もが思わず背筋を伸ばしてしまうような人だが、今日の口調はゆったりとしていて少し優し気だった。


「昨日の事が心配でね。あれから変わった事は無いかね?」

「ええ。おかげさまで何も」


 やはり、昨日テロリスト達に攫われた事を心配してくれていたらしい。俺は心身共に問題ない事を告げた。まあ、『変わった事』は、あるにはあったんだけど……。

 学園長が聞いているのはあくまでテロ事件についての話なので、ここは何も無いと言っておこう。実際、体調に関しては不思議なくらい普段通りだし。


「あれほどの規模のテロリストに侵入され、更に人攫いまでも許してしまった事は、この上ない失態だ。だが、君達の人生を預かる者としては、後悔よりも君が無事に戻って来てくれた事を安堵するべきだな」


 建前を並べている風でもなく、ため息と共に本心を吐露する学園長。そのため息には、一応は無事に事件が片付いた事への安心と、事後処理や対応への疲労、両方が見て取れた。

 学園長とは昨日、聴取に同行した先の警察署でも会った。生徒の俺がいる前でも構わず両親へ向かって深々と頭を下げていたこの人は、間違いなく良い人だ。


「事態は収束した。が、その爪痕は決して小さいものではない。君も校門の人だかりを見ただろう?」

「……はい。メディアは大騒ぎみたいですね」

「情報というものは、目に見えないが故に制御も効かない。どこから漏れたのか、『黒髪の能力者が攫われた』という事まで特定されているようだ」

「うげっ……本当ですか」


 俺個人の名前までは広まってないだろうとケンは予想していたが、これは実質特定されたようなものじゃないか。この学園で黒髪の能力者は俺しかいない。


「外を出歩く時は十分気を付けてくれ。星天学園生は皆気を付けるべきだが、君は特にだ」

「そうですね。俺も捕まってあれこれ聞かれるのは嫌なので、気を付けます」

「何かあれば今日から来てもらった管理局の方や、私達教員にでも話してくれ。君には窮屈な想いをさせてしまってすまないが……」

「そんな、学園長が謝る事じゃないですよ」


 能力を授かった時に髪の色が変わらなかったのがレアケースだったとしても、能力を得るという選択自体は俺がした事だ。そんな事、学園長には言えないけど、自分が取った選択の末にこの身を縛る代償ならば、俺はそれを受け入れるべきだ。


「しばらくすればマスコミも落ち着くでしょうし、それまでの辛抱です」

「……そうだな」


 学園長はそう頷くも、まだ不安は残るといった顔つきで窓の外へ視線を送っていた。


「話は変わるが……彩月さいづき君の様子も、変わりないかね?」

「彩月ですか?」

「ああ。攫われた君を探しに飛び出しそうになった彼女を一度止めたのだが、その後すぐに居場所が分かったとか言い残して消えてしまってな」


 その話はケンから聞いたな。俺がいなくなってから、学園長と何やら言い合っていたらしい。学園長相手でも遠慮しないんだな、あいつ。


「そういう事でしたら、特に大丈夫そうでしたよ。俺から見たらいつも通りでした」

「なら安心だ。仲の良い君を攫われ、彼女も気が動転していたのだろうな」

「そ、そうですね。心配してくれてるみたいでした」


 人の話を聞かないマイペースさには定評のありそうな彩月だが、そんな彼女が人と揉めるくらいに俺の無事を心配してくれていたのだと知ると、純粋に嬉しい。だがそれと同じくらい……いや、それ以上に申し訳なく感じる。俺のせいで、あいつに負担がかかりすぎていないか心配だ。

 その強大なチカラでもって全てを解決するのは、いつも彩月なのだから。


「学園中で『訳あり転入生』と噂になっていた事もあり、君も気付いているだろう。事実、彩月君の転入は少し事情が複雑でな」


 学園長の視線が俺を射止めた。威厳と貫禄のある大人に真っ直ぐ見られ、俺は無意識に姿勢を正す。


「皆と馴染めるか少々心配していたが、仲の良い友人が増えたようで何よりだ。これからも、仲良くしてやってくれ」

「ええ、それはもちろん」


 何だか彩月の親みたいな発言だな。教員目線で生徒の事を『教え子』とも言うし、学園長からすれば全ての生徒は子供みたいなものなのだろうか?

 それとも、彩月の事情を全て知っているからこそ、彼女を心配しているのだろうか。


『学園長、少しよろしいでしょうか』


 ふと、扉の向こうからノックと共に声が届いた。直後に、タブレット端末を抱えた背の小さな少女が入室する。俺の瞳の色と似ている深緑のボブカット、前にどこかで見た事ある気がするけど……誰だったっけ。


「いくつか確認して頂きたい事が――すみません、お話の途中でしたか」


 彼女は学園長と俺を交互に見た後、落ち着いた声で謝った。何故か一瞬睨まれたような気がするんだけど、気のせいだよな?


「いや、構わんよ。私もそろそろ業務に戻る所だ。芹田君、放課後にわざわざ済まなかったね。明日からの夏休みでしっかり体を休めるのだよ」

「はい。お気遣いありがとうございます」


 学園長へ一礼して、俺は外へ出ようと踵を返す。その際に、すれ違う形で学園長の方へと進むボブカットの少女と目が合った。彼女はやや厳めしい顔で俺をじっと見ている。気まずい。


「あの、何か?」

「……ああ、どこかで見た顔だと思ったら、芹田君ですか」


 彼女は顔をしかめたまま俺に向き直った。正面から見てようやく、俺も彼女が誰なのかを思い出した。正確には、さっきまで隠れていた彼女の左腕に巻かれている『風紀委員会』と書かれたホログラムの腕章を見て。

 彼女とは一年生の頃に何度か面識がある。名前は覚えていないけど。


「風紀委員会の、副委員長……」


 星天学園の風紀委員会は、他校と比べても少し特殊だ。ここが特殊能力者の学校だという事もあるだろうが、彼女たち風紀委員会は星天学園きっての戦闘集団だと有名だ。その評判はというと、『不良生徒を完膚なきまでにボコボコにして一生モノのトラウマを植え付けた』などという恐ろしい噂話が入学説明会に来た俺の耳に入ったぐらいにはおっかない。


「お久しぶりですね。委員長の善意による勧誘を断った不届き者」

「言い方に棘しか無いな……」


 一年前。入学してから少し経ち、俺の能力の噂が学園中に広まった頃、俺は風紀委員会の委員長を名乗る生徒から勧誘を受けたのだ。特殊能力を打ち消すという、対能力者戦においてとても強力な能力が欲しかったのだろう。

 校内の風紀と秩序を守るという活動内容には惹かれるものがあったものの、結局あの時の俺はその提案を断った。


「しょうがないだろ。俺が入っても、強者だらけの風紀委員会の足を引っ張りかねない。ちょうどあの頃は、自分の弱さをひしひしと実感し始めた時期だったんだし」

「知りませんよそんなの。委員長の申し出に首を振った時点で無礼千万です。あなたがどれだけ弱かろうと、実力不足で追い出されるまではあの方の下で働き続ける以外の選択肢は無かったんです」

「恐ろしく理不尽……やっぱ断って正解だったわ」


 過去の俺が風紀委員会の勧誘を断った結果、委員長に大変心酔しているらしい副委員長かのじょに嫌われてしまったというわけ。まあそれ以来会う事も無く、俺的にも何か支障がある訳でも無いから、別に好かれても嫌われてもどっちでもいいけど。いや、やっぱ過度に嫌われるのは少し悲しい。


 何にせよ、今は学園長の前だ。長々と言い合いをしてもしょうがないし、用事が済んだ俺は大人しく退室する事にした。


「ああ、ひとつ言っておきたい事が」


 扉のセンサーに手をかざす直前、副委員長はそう呼び止めた。


「あまり『彼女』を不安定にさせないでくださいね。問題が増えると私達の仕事も増えるので」

「彼女……?」

「彩月の事ですよ」


 振り返った俺に、彼女は相変わらずしかめっ面のまま続けた。


「あの子のおりなら、誘拐なんてされてないで彼女の傍にいてあげる事ですね」


 風紀委員から彩月の名前が出るなんて意外……でもないな。あの自由人なら目を付けられていてもおかしくないか。

 学園最強の彼女が敵になった場合を考えると、確かに彼女ら風紀委員会が警戒するのも頷ける。


「……って、誰があいつのおりだよ!」

「違うんですか? じゃあ暇つぶしのおもちゃ、手綱、足枷、制御盤コンソール?」

「何でおり以外だと全部人ですらないんだよ!」


 クラスの奴らみたいに交際関係があるとかなんとか勘繰られるのも勘弁だが、無機物扱いも嫌なもんだな……。

 さっき教室でも思った事だけど、俺とあいつの関係が何なのかと問われても、今の俺には咄嗟に答えが出せない。だから、この平然と毒を吐く副委員長に言い返す言葉のひとつも思い浮かばないのだった。


「まあ、何であろうと構いません。あの子もあなたも、今後とも風紀委員会の手を煩わせる事のないよう気を付ける事です」

「それについては善処するよ。これでも善良な優等生をやってるつもりだ」

「委員長の誘いを踏みにじったあなたなど優等生の真逆ですよ。寛容なあの方が許したからいいものの、本来ならば厳罰に処すべきなのです」

「怖いって」


 学内情報部が上手く情報操作してくれなければ風守隊かざもりたいの件でお世話になりそうだった手前、冗談のひとつやふたつを混ぜておかないとボロが出そうで怖い。彼女のおっかない言葉にひきつった笑みを返しつつ、俺は学園長室を後にした。出来れば今後とも、あまり顔を合わせたくないものだ。

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