第49話 戻って来た日常

「いったぁ……」


 眠りながら自分で絞めていた首をさすり、俺はベッドから立ち上がった。寝ながら両手で自分の首を絞めるとか、寝相が悪いってレベルじゃないぞ。自分の精神状態がとても心配だ。


「どうりで悪夢も見る訳だ」


 ずっと息苦しかったのも、単純に現実世界の俺の首が締まっていたからだろう。だから、変な夢を見てしまったのだ。


「……」


 悪い夢ほど鮮明に記憶に残る。俺はさっきまで見ていた夢……肌で感じていた焦りや不安を、しっかりと覚えている。まさか彩月さいづきと『ゴーストタウン』しか知らない秘密が皆にバレてしまう夢を見るなんて。

 少なくとも、彩月に打ち明けた事は微塵も後悔していない。彼女なら秘密を守ってくれると信じている。信じているはずなのに。


「あんな夢、見た後じゃなぁ……」


 心のどこかでは、まだ他人と秘密を共有する事に抵抗があるのだろうか。まだ俺は、彼女の事を信じ切れていないのか……?


「はぁ……昨日と同じ顔してあいつに会えるかな」


 朝から気分が右肩下がりな俺の顔を上げさせたのは、部屋に響くノックの音。俺は寝間着にしているジャージのまま扉の前まで行き、ロックを解除する。静かに滑る扉の向こうには、制服に着替えたケンの姿があった。


「お前まだ着替えてないのかよ! 遅れるぞ?」

「悪い、今起きたんだ」

「マジかよ。いつも朝早くからランニングしてるお前が珍しいな」

「その……ちょっと寝つきが悪くてな」

「まあ、昨日は大変だったもんな。それはともかく、時間ヤバいぞ」


 ケンは学園端末を俺に見せて来る。画面に表示されている現在時刻は七時五十二分。ホームルームまで残り八分。遅刻ギリギリだ。


「悪い、先行っててくれ! すぐ着替える!」


 眠気のせいで遅れていた理解が追い付き、徐々に目が覚めて来た。遅刻するのはマズい。たとえどれだけ大きな事件に巻き込まれた後だとしても、学生としての本能が焦りを掻き立てる。俺は一分三十秒という自己最高記録を叩き出して身支度を済ませた。


「お、速いな。次のランク戦は早着替え対決でもしたらどうだ?」

「冗談よせよ。誰も受けてくれないって」


 部屋を出ると、ケンは待っていてくれた。彼は部屋を出た俺に、小さな布の小包を手渡した。


「ほれ。食堂のおばちゃんから貰って来たおにぎり二つ。時間がある時に食べとけよ」

「おお、助かるよ! ありがとう」

「いいって事よ。さっさと行こうぜ」


 寝坊しても見捨てず助けてくれる優しさが悪夢明けの暗い心に染み渡る。持つべきものは幼馴染だな。

 俺とケンは早歩きで廊下を進み、寮を出た。校舎まで全力で走ろうと身構えていた俺は、男子寮の前に集まっていた人影に、思わず足を止める。そこには志那都しなつ双狩ふがり、彩月の三人が待っていたのだ。


「やっと来た。遅刻しちゃうよー?」

「わ、悪いな。ちょっと寝坊した」


 いつもと変わらない様子で、彩月は手を振っていた。今の俺の中に渦巻く感情はあまりに多すぎて、いまいち処理しきれない。何となく目を合わせ辛かったが、気取られないよう平静を装って返事をした。


芹田せりだ!」


 双狩と目が合った途端、彼女は物凄いスピードで駆け寄って来て、俺の両肩をがっしりと掴んだ。思ったより力が強い。そのままぶんぶんと揺さぶられた。寝起きの脳が悲鳴を上げている。


「あんた大丈夫なの!? 攫われたって聞いたけど、あの時は私別の場所にいたから何が何やら分からなくて!」

「ちょっと、ちょっと待って、吐きそう。何も食べてないけど何かが出そうだから……」


 なんとか手を放してくれた双狩から一歩距離を取って、俺は小さく手を上げた。


「俺はこの通り無事だよ。不思議な事に危害は加えられてないし。彩月から聞かなかったのか?」

「そりゃ聞いたけど、でも実際見ないと心配でしょうが!」

「うぐ」


 今度は胸倉を掴まれた。双狩の後ろにいる彩月へ視線を送ると、彼女は笑顔で肩をすくめた。


 昨日、警察の事情聴取が終わった頃には陽が暮れており、俺と彩月はそのまま寮へと戻っていたので、俺は双狩とは会っていない。彼女への説明は彩月に任せたのだが……見ての通り人づての言葉だけじゃ足りなかったようだ。


「落ち着け。本人も無事だと言っているんだから、今はいいじゃないか」


 志那都がやんわりと俺たちを引き離してくれた。彼に諭され、双狩も落ち着いたようだ。


「だが、心配なのは俺も同じだ。無事で何よりだ」

「心配かけて悪かったな。ちょっと寝不足なだけでほぼ本調子だよ」


 俺は腕をぐるぐる回して元気であると示すが、ふと目眩がしてたたらを踏んだ。すぐに隣にいたケンが支えてくれる。


「おいおい、ホントに大丈夫だろうな」

「……まあ、ちょっと寝不足が深刻かもな。丸一日は寝たい気分だ」


 と、冗談めかして言ったつもりだが、ケンは珍しく真面目な顔で顔を上げる。


「彩月、双狩。クラスが違う俺の代わりにコイツを任せたぞ。無理しようとしてたら羽交い絞めにしてでも止めてくれ」

「労わってるのかいないのかどっちなんだよ……」

「やり方はよく分かんないけど任せて!」


 元気よく返事をする彩月がちょっと怖い。『よく分かんない』まま俺の関節を破壊しない事を祈ろう。というか、そんな展開が来ないよう落ち着いて過ごせばいい話なのだ。

 残り四日となっていた一学期はテロ事件の関係で急遽終業となり、今日はもろもろの連絡事項だけで終わる予定だと、昨日の夜に告知があった。体を張るような出来事は何もない。


「っと、それより急がないと。ホントに時間やばいぞ」


 思い出したようにケンが慌てて時計を示す。猶予はもう五分ほどしかない。もしかしたら夕方過ぎまで聴取を受けていた俺と彩月は大目に見てくれるかもしれないが、ケンたちは普通に怒られるかもしれない。俺のせいで皆も遅刻してしまうのはとても申し訳ないので、話もそこそこに教室へ急ぐ事にした。


 星天学園は敷地が広いせいで寮から教室のある校舎まで距離があり、全力で走らないと間に合わない。寝起きの体に鞭打って走る俺は、ふと建物の隙間から校門前の様子を目撃した。そこには多くの人が集まっており、警備員や警備ドローンに足止めされていた。


「なんだアレ」

「マスコミの群れだよ。国営の能力者学校の不祥事だとか言って集まってんのさ」


 足が止まっていた俺は、ケンに背中を叩かれて再び走り出す。その傍らで、ケンはため息と共にそう説明してくれた。


「能力者学校の中でも国内トップクラスに有名な星天学園が襲われたとなれば、えらい一大事だからな。お前の名前こそ知られてないだろうけど、生徒が攫われたっていう事くらいは既に漏れてると思うぜ」

「全く、無神経よね。トラウマになった人もいるかもしれないってのに、昨日の今日でつつかなくても」

「ああいう情報を動かして食べていく仕事だと、同業者に先を越される前により有力な、よりインパクトのある情報を押さえる必要があるからな。情報も鮮度が命ってヤツさ。世知辛い世の中だぜ」


 と、学内情報部副部長は語る。ある意味では似たような役職の者として思う所もあるのだろう。


 たった半日で片が付いたこの一件は、テロ事件としてなら異例な速さで収束したと言える。テロといえば、人質を取った上で何十日も立てこもる事だってあるだろうし、ただ『ゴーストタウン』の情報欲しさに俺を攫っただけの『パレット』は、そういう意味ではまだ優しい部類なのかもしれない。


 だが、だからと言って世間が動かないはずもない。それとこれとは話が別だ。事件の大きさはさておき『事件が起きた』というだけで、それは学校の運営に関する信用問題にも繋がる。生徒の保護者だって、一度テロリストに襲撃された学園に子供を置いておけないと言う人も少なくはないだろう。


 俺の母親も、その一人だった。

 彩月と一緒に警察へ同行した昨日の夕方ごろ。警察の人が連絡を入れてくれたのか、聴取が終わった後、俺はその場で両親と会って少し話をした。


 猛反対というわけではなかったが、母さんは星天学園に居続ける事に不安を抱いているようだった。親として心配してくれているのは分かっている。けど、俺は学園に通い続けたい。その辺も夏休みに一度帰省して、ゆっくり話し合う事になった。


 俺はまだ、この学園で何も成し遂げていない。学年ランク1位になって彩月と戦うという約束も果たしていない――成り上がり計画とやらも、まだ始まったばかりなんだ。


 俺は確かに、ズルい手段でこの学園に入った。今日のような夢を見てしまった事から、心の奥底では二年前の選択について迷いや後悔が、未だ捨てきれていないのだろう。だが、極力考えないようにする。「あの時ああすれば良かった」「あんな事をしなければ」なんて考えても仕方がない。

 今はこれからの事を考えるようにしよう。この学園で、俺のやるべき事をやるんだ。

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