第四章 闇盛る夏・上星

第48話 夜が明けたら

「『機械仕掛けの神』という言葉を知っているかい?」


 雪のように真っ白な髪を肩まで伸ばした青年が、俺へそう問いかけた。聴き馴染みの無い言葉に首を振ると、彼は前を見ながら続けた。


「字面から勘違いするかもしれないけど、『機械で作られた神』という意味では無いんだ。物語の終盤に神様のような超常的な存在を登場させたりして物語を強引に畳んでしまう、古代ギリシアの演劇技法の一種。大がかりな舞台装置を使って神を演じる人を登場させた事から、機械仕掛けから出て来る神デウス・エクス・マキナ――機械仕掛けの神と呼ばれるようになったんだ」


 彼の話はたまに要領が掴めない。『何を考えているのか分からない』度で言ったら、彼は間違いなく、俺の知り合いの中でもベスト3には入っているだろう。

 けれど聞き流すのも申し訳ないというか可哀想というか、何か悪い気がするので話は聞いている。そんな俺の心を見透かすように、彼は頬を緩めた。


「何を言っているのか分からないって顔だね。すまない、つい脱線していたよ。僕が言いたいのは、もしも現代で同じことをすると、その呼び方も変わるだろうなって話さ。現代じゃ、演劇などの舞台に特殊能力を使った演出を用いるのは珍しくない。さっき言った『神を演じる人』も、今では機械ではなく能力によって登場するだろう。そう考えていたんだ」


 この青年の思考は、きっと俺よりも先にある。いや、もしかすると全く別の所にあるのかもしれない。彼の見えている景色は、まだ俺には見えていない。だからこそ、彼はこうやって言葉で説明してくれようとしているのだろう。


「そして、こうも考える。仮に真似ているだけの演者かみではなく、本物の力を持った神格かみをこの世界に降ろす事が出来るのだとしたら。そんな方法があったとしたら……それは機械なんかじゃなく、異能の力なんじゃないかって」


 大抵の場合、彼の言っている事の半分は、後にならないとその意味が分からない。ある分野においては右に出る者がいないほど博識なのに、この独特な話し方のせいで人への説明はとことん向いていない。

 しかし逆に言えば、その大半は後になれば分かるのだ。その時が来て、ようやく過去に投げかけられた言葉の意味が理解できるようになる。


「神を降ろす能力。それは一般的な特殊能力とは異なり、はるかに優れている能力でないといけないだろう。それこそ、僕や君のような『異能力』でもないと」


 ならば、彼が口にしたその名の意味を、俺は理解する日が来るのだろうか。


「もし、そんなチカラで神をこの世界に誕生させる事が出来たならば、先の演劇用語に則って、こう呼ぶべきだね」


 ともかく、青年は俺に語ったのだ。彼が見据えている世界、もしくは捉えている未来を。

 彼と共にいる以上、いつか俺も関わるかもしれない。今はまだ分からない、その名を。


「――『異能仕掛けの神』と」





     *     *     *





 疲れが取れていないのか、意識が妙にぼんやりする。さっきまで受けていたはずの授業内容も既に頭から零れ落ちてしまった。重傷だ。

 次の授業を寝過ごさないよう顔を洗って目を覚まそうかと、俺は教室を出た。

 廊下を歩いていると、いろいろな話し声が聞こえてくる。知らない生徒達の話など普段は気にも留めないのだが、それでも耳に飛び込んでくるものだ。


「聞いたか? この前学園を襲った人達、B組の芹田せりだを狙って来たって話だぜ」

「ああ、あの黒い髪のやつか」

「中庭に侵入した奴がそいつを攫って逃げたんだとさ」

「マジかよ……じゃあホントに生徒一人を攫うために、あんな騒ぎを起こしたってのかよ」


 それも、話題の中心が自分自身ともなれば、嫌でも耳に留まるというもの。俺の名が出る小さなささやき声は、あちこちから聞こえてくる。だが、生徒達の間で俺の名前が出る時、良い噂だった事は一度たりとも無かった。そして今回もそうだった。


「たった一人が目的なら、わざわざ学園を襲わなくても良かったのにね」

「その芹田って人とあのテロ集団、実は知り合いなんじゃないの?」

「こう言っちゃなんだけど、あいつがこの学園にいなけりゃ、俺たちはあんな怖い想いしなくて済んだんだよなぁ」

「髪の色も能力も変だしさ。また学園ごと事件に巻き込まれる前に退学させた方がいいんじゃねえの?」


 明確な敵がいなくなった今、騒動の元凶に感情の矛先が向けられるのは、ある意味当然の事なのかもしれない。もちろん全く良い気はしないけど、鷹倉たかくらのおかげで嫌味を言われるのには慣れている。傍を横切る俺は知らんぷりしてその場を通り過ぎる。


「てかアイツ、ホントは無能力者なんだろ?」


 その言葉で、足が止まった。背後から聞こえてくる生徒たちの声に縛られるかのように。俺の時間が止まったかのかと錯覚するほどに、動く事も、考える事も出来なかった。


「あの能力も人から貰ったものなんだってよ。だから髪も黒いままなんだ」

「何それ。後付けの能力でこの学園に入ったとか……ただのズルじゃん」

「最近またランク上げようとしてるみたいだけど、そんなヤツが上がって来たらマズいっしょ」

「テロの火種になる危険因子で、しかも卑怯な手で入学した無能力者か。やっぱ退学一択じゃね」


 感情的なただの嫌味ではない。事実に基づいた純粋な嫌悪の視線が、言葉と共に背中へ突き刺さる。

 息が苦しい。目眩がする。冷や汗で手のひらが湿るのを感じる。知られていないはずの秘密を目の前で暴露され、俺は隠せないほどに動揺していた。


 ――どうしてその事を知ってるんだ。その話はどこから聞いたんだ。


 聞きたくても、声が出なかった。それはまるで、ミステリーの犯人が「証拠はあるのか」と探偵を問いただした時点で読者は犯人を確信できるように。俺がその事を『確認』した時点で、俺の焦りを感じ取った彼らが、疑念を確信に変えてしまいそうに感じた。

 噂話に留まっていたそれが、決定的な事実になってしまいそうで。それが怖くて、俺は何も出来なかった。


 テロリスト経由で学園や警察の人達に広まる所だった俺の秘密は守られたはず。『彼』は俺にそう約束したのだ。彼の他に真実を知っている者は、彩月さいづきだけ。うっかり口を滑らせるようなやつじゃない。だとしたら故意に漏らしたのか……?


 ああクソ、考えるな。どうせ無能力者っていうのも鷹倉が付けたあだ名の方だ。そうに決まってる。俺が勝手に悪い方に解釈してるだけだ。きっとそうだ。


 ……でも、もし本当に俺の能力の事が知られてたとしたら?

 俺はもう星天学園にはいられない。この学園を出て、俺には何が出来るっていうんだ……?


 ただの人間でいたくなかった。能力者になりたかった。そんな誰もが抱くようなありきたりな願望を抱いてしまった事、そんな何一つ誇れるようなものでもない理由で能力を得てしまった事がいけなかったのか……?


 そうだ。

 そうなのだ。

 きっとそうに違いない。


『敷かれたレールを拒んだ時点で、おまえはもうどうしようもない卑怯者になったんだ』


 全てを知っている、もう一人の自分がそう語るのが聞こえてくるようだ。学年ランク89位の星天学園生、芹田流輝るきの外面を徹底的に破壊してくる。辛く厳しい事実にあてられ、息が苦しい。


『自分の選択だというのに、今もなおこうやって後悔ばかり引きずって。挙句の果てに自分の秘密がバレたら友人を疑うなんて、クズ野郎にも程がある』


 たったひとつの秘密がバレただけで、学園で行って来た事の全てが無意味になってしまう。その事実に一丁前に罪悪感を抱いている。そんな善良なフリをしている俺を、正論と真実という槌で粉々にしてくる。


『後ろめたい秘密を作った自分が悪い癖に。こうなるぐらいなら、何もしなければ良かったのに』


 罪悪感。それは人を内側から壊すには十分すぎる爆薬だ。


 周りに隠し事をしているという罪悪感。自分に費やしてくれた時間を無為にしてしまった事への罪悪感。過去の自分の行いが間違いであると分かった上で、平気で人並みの日々を過ごしている事への罪悪感。挙げて行けばキリがない。息が苦しい。


 そして俺に火薬を詰め込んだのは、他ならぬ自分自身。ならばその火薬に火をつけるのも、俺でなければならない。あるいは、俺の中に在る――殻の内側に残酷なまでの正しさを秘める、もうひとつの俺が、俺に火をつけてくれるのかもしれない。


 自らの意思で飛び込んだこの闇に、光を照らす事が出来るのなら。この苦しさから解放されるのなら、俺は喜んで自身に火を付けよう。


 息が苦しい。思考が纏まらない。

 俺はもう、誰かに助けを求めてはいけない。苦しみから解放されたければ、一人で楽になれ。


 それとも。


 いっその事、全てを壊せば楽になるのか……?



「…………ッ!?」


 息が苦しい。その原因が自分の両手にあると気付いた途端、苦しさが一気に薄れた。どうやら俺は、無意識のうちに自分で自分の首を絞めていたらしい。首がヒリヒリと痛む。何度も咳き込み、少し経てば乱れた呼吸が整って来た。


 そして、首を動かして周りを見る。俺は廊下になどいなかった。星天学園の男子寮の自室で、ベッドに仰向けになって倒れていた……いや、寝ていた。


「……夢、だったのか」


『パレット』と名乗るテロリストに攫われ、彩月に秘密を打ち明け、そして二年ぶりに『ゴーストタウン』と再会した、激動のような一日を終えて。


 午前七時五十分。

 夜が明けたら、俺の日常は何事もなく廻ろうとしていた。

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