第43話 接続・虚空:悉くの否定と峻厳の異能

 東京西部にある、とある廃墟群。三年前に発生した『能波災害』と呼ばれる謎の大災害によって、かつて街だったそこには誰も住んでいない。あらゆる建物は神の手にかき混ぜられたかのように根こそぎ倒壊し、そこは瓦礫が広がるのみとなっている。


 一部では『瓦礫街』なんて呼ばれているその場所は、半径二キロメートルの円を描くように鉄柵と有刺鉄線による二重の封鎖がなされており、誰も入る事は出来ない。廃墟と瓦礫しか残されていないここがどうして封鎖されているかというと、それは大災害を引き起こした『裂け目』が原因だ。


 ソレは瓦礫街の中央、地面からおよそ三メートルほど浮いた所に存在する。まるで空間そのものが裂けたかのようで、光すら捻じ曲げる効果があるのか『裂け目』の周囲の景色は歪んでいる。端から端まではおよそ十メートル前後と、『裂け目』本体はそれなりに大きい。超長距離からの観測によると、どの角度から見ても『断面』が見えるようになっており、断面の向こう側には何も無い極彩色の空間が広がっているという。


 三年前に突如として開いた『裂け目』は、特殊能力者の体内に流れているとされる能波を吐き出し、周囲の全てを破壊した。そして東京西部の大部分を飲みこんだ能波は、未だそこに漂い続けている。その濃度はあまりに濃く、生身の人間が近付くと体に悪影響を及ぼすほどだ。噂によると、強行した調査隊との連絡が五百メートル進んだ辺りで途絶え、無人機による観測で死亡が確認されたらしい。


 故に『裂け目』を中心にした半径二キロメートルを『能波汚染区域』として封鎖しているのである。

 汚染のメカニズムも大災害の正体も、今の人類には何一つ分からない。そんな死の空間が、首都の一部分を浸食しているのだ。


「こうして会うのは久しぶりかな」


 人間には近付く事すら許されない未知の領域。物理的に封鎖されていて、入ったとしても長生きは出来ない、死の絶対空間。

 誰もいないはずのそこに、一人の青年が立っていた。それも、封鎖を乗り越えて少し歩いた程度ではない。


 彼は『裂け目』の目の前にまで迫っていた。


「……そうだね。声だけならいつも聞こえてるんだけど、今日は直接会って話したい事があるんだ」


 空気中の能波汚染は、『裂け目』に近付くほど濃度が濃くなっていく。汚染された空間ではあらゆる通信が機能せず、無人機でも『裂け目』までたどり着く事は出来なかった。

 そんな汚染区域のど真ん中。理論上、能波濃度が一番濃いであろう『裂け目』の目の前にいてもなお、純白の髪を肩まで伸ばしているその青年は立っていた。普通に息をして、二本の足で立ち、目の前の『裂け目』へ語りかけている。


「君も把握しているとは思うけどね。そう、攫われた芹田せりだ流輝るきの事さ」


 青年のレモン色とオリーブ色のオッドアイが向けられる先は、『裂け目』の中の極彩色の空間。ただ色があるだけの『何も無い』とも言える空間を直視して、彼は平然と微笑みを浮かべていた。


「彼は度胸のある人間だ。銃を持った相手ともそれなりに会話が出来る。けれど、ただの話術でテロリスト相手に時間を稼げるほど、彼は経験と実力を持ってはいない。彩月さいづき夕神ゆうかが向かっているけど、それもたぶん間に合わない。このままでは殺されてしまう」


 当然だが、『裂け目』は何も言わない。物体でも無く、ましてや生物でもない。ただの『現象』に過ぎないのだから、ものを言うわけがない。


「でも、だからといって諦めるほど、僕は彼を見放してはいない。彼を助けたいのは本心さ。だからこそ、君にお願いがある」


 傍から見れば青年が一方的に話しかけているだけに見えるが、空気を介する音としての会話は行っていないだけで、青年は確かに『相手』からの反応を受け取っている風だった。


「……僕が助けに行けばいいって? いや、悪いけどそれは出来ないんだ。まだ僕は表に出ない方がいい。それに、君に頼む方がより確実だと思ってね」


 まるで旧友と世間話でもするかのように、青年の笑みは自然なものだった。今まで彼と出会った者が口をそろえて『不気味な笑顔』と表現した彼の表情も、今だけは取り繕ってはいないように見える。


「芹田流輝は能波の定着も安定しているし、確実に力を付けている。でも、まだ完全じゃない。彼は能力の大部分を知っているつもりかもしれないけど、実際はまだほんの一端しか芽吹いていない。その全てを開放すれば、あんなテロリストを片付けるなんてわけないだろうに。だから、君が替わりにくれないかな?」


 燦々さんさんと輝く太陽の下で、『裂け目』と青年は向かい合う。


「人質が迅速かつ安全に解放されるためには、人質自身が犯人を殲滅すればいい。そうだろう?」





     *     *     *





 これは、芹田流輝が意識を取り戻す、ほんの少し前の出来事。


 椅子に縛られ、うつむいたまま目を伏せた芹田へ、テログループ『パレット』のリーダーの女性はプラズマ銃の引き金を引いた。膨大な熱を生み出すプラズマが少年の頭を飲みこみ、焼き払う――


 その直前に、放たれたプラズマが弾け飛んだ。


「何……!?」


 芹田が何かをした素振りは無い。再びプラズマの塊を撃ち出すも、彼に触れた直後に弾かれ、打ち消される。女性には何が起きたのか分からなかった。

 だがその光景は、芹田のランク戦を見た事がある星天学園生なら、こう言っただろう。


 、と。


「コイツの能力は能力無効化のはず……何故だ!!」


 プラズマ銃は言わずもがな、能力とは関係の無い純粋なエネルギー兵器。それを彼が無傷で受け止められるはずが無いのだ。

 驚愕と困惑を露わにする女性。そこに焦りが加わったのは、彼の体が赤い光を帯び始めた時からだ。体に纏わりつくように発生した赤いエネルギーに身を包む少年は、意識が無いようだった。未だ力なく項垂れ、座り込んでいる。


 刹那、少年からナニカが溢れ出した。


 不可視の衝撃波が全方位に放たれ、女性は背後の壁に体を打ち付けられる。彼を拘束する椅子や部屋の窓ガラスが砕け、床や壁や天井まで、部屋中に亀裂が走る。まるで赤い光を纏う少年の圧に、この場の全てが悲鳴をあげているかのように。


 頭を打ち付けて歪んだ視界が戻った時、女性は驚愕に目を見開いた。

 その視線の先には芹田が立っていた。だが、あれは本当に先ほどまでの芹田流輝なのか、と疑うような姿だった。


 能力者でありながらかつては無能力者であった少年。彼の黒だったはずの髪は、学園で『パレット』たちを蹴散らしたあの少女と同じ純白をしていた。暗い緑スプルース色だったはずの瞳は、身に纏う謎のオーラと同じ赤。見開かれた彼の目に宿る光は、さっきまでとはまるで別物だった。


 そして極めつけは、彼の頭上に浮かぶ物体。先ほどまでは無かったモノ。彼の頭に平行に浮かんでいたのは、痛々しさを覚えるまでに赤く輝く、ひとつの光輪だった。


「何者かが奴に憑りついている……? いや、能力であれば例外なく打ち消されると学園のデータにはあった。能力による意識の乗っ取りも不可能なはず……ならばこれは何なんだ!?」


 彼の赤い瞳が、うろたえる女性を捉えた。正体不明の脅威が自分に向き、まるで銃のレーザーサイトでも向けられたかのような気分だった。全てを押しのけるような威圧を放ち続ける少年を見て、女性は息を呑む。


「……ッ!」


 嗤った。

 赤い耀きを身に纏い、芹田流輝ナニモノカは引き裂いたような笑みを口元に浮かべていた。


「リーダー!!」

「何があったんですか!?」

「……っ! 来るな! 離れろ!!」


 騒ぎを聞きつけた五人ほどの仲間が、慌てて部屋に入って来た。リーダーは静止の声をかけるも間に合わず、彼らが部屋の中央に佇むソレを見た直後。

 大爆発のようなエネルギーの解放が、部屋中を――いや、彼女たちが隠れていた廃工場全体を襲った。


 外に面する壁や天井は轟音を立てて吹き飛び、振動により建物中のガラスが割れた。暴力的な力の奔流が部屋をかき乱し、テロリストたちは次々と意識を失っていく。女性も足に衝撃波が直撃し、激痛に顔を歪めながら崩れ落ちた。


「な、んだ……」


 両手を床に付き、女性は目の前の少年を見上げる。

 白い髪に赤い瞳、頭上には同じく赤い光輪。全身に纏っている赤のオーラは、その多くが背中の方に集束し、広がっていた。それはまるで、赤い光で出来た翼のように。


「天、使……?」


 頭上の光輪に一対の翼。

 それを見た女性は、知識としてだけ知っている存在を目の前の彼に重ね、幻視した。


 何が起きたのか分からない。ただ直感的に理解したのは、目の前の能力は、自分達が欲していた特殊能力とはまるで別物で、自分たちの想像を遥かに上回る、深淵の先にあるモノなのだという事。


 神々しい赤い光の奥に潜むのは、暴力的な脅威。自らが手を突っ込んだ神秘の奥にあるソレを前に、ギリギリで保っていた女性の意識は落ちる。


 そして、ただ一人残された少年も。

 この周囲を彼の世界たらしめていた赤い光が消え失せ、彼は背中から倒れ込んだ。あらゆる色を拒絶したかのような白髪も、いまやすっかり黒髪に戻っていた。


 訪れた静寂。その静けさを破るようにして、『芹田流輝』は目を覚ましたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る