第35話 憎たらしい好敵手である、この瞬間

 鷹倉たかくらの両手を中心に巻き起こった旋風は、やがて拳一点へと集中し、纏わりつく。それはさながら、暴風のボクシンググローブのようだった。


「本当に能力を使うとはな……でもそれで殴っても、俺には拳ひとつ分のダメージしか与えられないぞ」

「んな事は知ってるさ。だから、こう使うんだよ!!」


 鷹倉が身をかがめたかと思うと、右拳を地面に打ち付けた。彼の拳を中心に高速で渦を巻く風により、中庭の人工芝とその下に敷かれる土が抉れ、盛大に砂煙が吹き荒れた。

 今の鷹倉は、小さな竜巻に腕を通して振り回してるようなものだ。その破壊力はなかなかのもので、暴風に触れた地面は容易く吹き飛び、砂塵をまき散らした。


 そのまま地面を砕きながら、鷹倉はその場でアッパーカットを繰り出す。さらに中庭の土が舞い、土煙のカーテンが目くらましとして広がった。さらに、あいつの拳の前方向――つまり俺の方へと、土の塊が飛んで来た。


「無茶苦茶するな……!」


 俺は横に跳んで、飛ばされた土の塊を躱す。その隙を逃さず、舞い上がる砂煙を突き破るようにして、鷹倉が飛び込んで来た。

 距離はおよそ三メートル。あと一、二歩踏み込めばあいつの拳は俺に届く……!


「防いでみろよ、無能力者ぁ!」


 だが、鷹倉はそこで立ち止まった。その場で大地を踏み締め、暴風と一体になっている右拳で右フックを繰り出す。

 距離の遠い、明らかな空振り。しかし、殴りかかってくると思って避ける準備をしていた俺を、突然の烈風が襲った。


「……っ」


 体が数メートル吹き飛ぶような志那都しなつの風攻撃よりは、威力も指向性もはるかに劣る。『防いでみろ』と言った割に大した攻撃ではなかった。

 だが、この攻撃が予想外である事に変わりは無い。驚愕と疑問が頭に浮かんだせいで、俺は判断に遅れた。


「隙だらけだぜ!!」


 いつの間にか迫っていた鷹倉からの、真正面からの右ストレート。咄嗟に右手で防ごうとしたが、それもかなわず、殴られた勢いのままに俺は地面に背を付けた。


「もうおしまいじゃねえよな、芹田せりだ?」

「まさか。まだたったの一撃だろ」


 冗談交じりに吐き捨て、俺は立ち上がった。

 。鷹倉のその能力では、拳に纏わせた風を『飛ばす』事なんて出来ないはず。それに、打ち消せなかったという事は、あくまで能力による攻撃ではない。一体、何をしたんだ……?


「目くらまし、飛び道具、ハッタリ。あらゆる手を使って敵を翻弄する。それが戦いってもんだよな!」


 得意になって鷹倉は叫び、再び拳に旋風が集まる。

 そうか。その剛腕で、馬鹿みたいにただ相手を殴るだけじゃない。こいつも、能力をいかに活用するかを考え、工夫しているんだ。


 時間いっぱいまで攻撃を避け続けて出来る範囲で攻撃を与える、なんて。

 こんなおざなりな作戦を立ててしまうぐらいに、俺はこいつを見くびっていたみたいだ。


「ふふっ、いいじゃんか」


 俺は思わず笑っていた。

 鷹倉の新戦法にまんまとハマった自分へ。そして、予想外の状況にも関わらず、それを攻略しようとすぐに考え出した自分へ。全て、自分へと向けられた笑みだ。


「へっ、何笑ってんだよ」

「別に。お前こそ、楽しそうじゃねぇか」

「当たり前だろ。新技に綺麗に引っかかったお前を見て、面白くないはずがねえ」


 普段の馬鹿っぽい言動や、拳ひとつの戦い方が鷹倉の全てだと思っていた自分が情けない。

 彩月と特訓を重ねて来た今なら、鷹倉にも勝てるかもしれないと思い上がっていた自分が浅ましい。

 相手の力量を見誤って、消極的な作戦が成立すると思ってしまった自分が馬鹿らしい。


 でも、それ以上に、この状況は


 俺は俺が思っている以上に、戦いを通して成長する事が好きみたいだ。


「なあ鷹倉。俺は、ハッキリ言ってお前が好きじゃない」

「あん……? 何だいきなり」

「散々嫌味を言って来るし、何度もランク戦でボコってくるし。『無能力者』っていう嫌味百五十パーセントの蔑称も、お前が言い出したのがきっかけで広まったしな。だけど……」


 俺は制服に付いた土を片手で払い、鷹倉のように拳を構えた。ただ避け続けるのは、もうやめだ。


「自分でもよく分からないけど、今この瞬間のお前は、そんなに嫌いじゃないって思えるよ」


 土にまみれた上履きで地面を蹴り、俺は前に出た。倒れた時に右手で掴んでいた一握りの土を、前方へ飛ばす。

 風を纏った鷹倉の拳はそれを容易に弾くが、注意が一瞬でも逸れたのならそれでいい。その僅かな隙を突いて、俺は鷹倉へ肉薄する。握りしめた拳を鷹倉の胸へ叩き込んだ。


「がっ……!」


 しかし、すぐにあいつも反撃してきた。暴風の右拳が俺の肩を捉える。俺の能力が生み出す『能力を打ち消す膜』に触れ、鷹倉の能力によって集まっていた暴風は霧散したが、その純粋な腕力による攻撃は、真っ直ぐに俺へ直撃した。


 さすがに直撃は体に応える。だが、まだ倒れるほどじゃない。俺はよろめきながらも距離を取った。


「俺の方こそ、お前の事は気に食わねェよ」


 俺よりもタフな鷹倉の動きは、やはり俺に一発殴られた程度じゃ止まらない。再度風を纏わせ、拳を振るって来た。


「ここに入学して、始めて出会った時からそうだ。珍しい黒髪に珍しい能力。能波の測定だって出来てなかったイレギュラー。誰がどう見ても、お前は変な存在だった」


 繰り出される拳の連撃をどうにか避ける。しかし、顔のスレスレをあいつの拳が通過した時、またも謎の烈風が顔を叩いた。直後に、纏わせていた風が消えるのを見た。


「がぁッ……!」


 風に叩かれ思わず目を瞑ったのとほぼ同時に、腹部に痛みが走った。思わず声が漏れる。

 綺麗なパンチをお見舞いされてしまったらしい。俺は追撃をさせまいと避けられる前提で拳を振り回し、無理矢理にでも距離を引き離す。


「お前自身でも分かってんだろ? 自分が俺達みてえな普通の能力者とはどこか違うってな」

「……だったら、何なんだ」

「俺はお前の事が気に食わなかった。明らかに特殊な存在だってのに、俺たちと同じように授業を受け、同じようにランク戦に挑もうとする。お前が、イラついてたんだよ」


 真っ直ぐ繰り出された右拳を、俺は左手で正面から受け止める。お返しにと放った俺の右拳は、鷹倉の左手によって受け止められる。互いが互いへと力を押し込みながら、至近距離で鷹倉は語る。


「だが最近のお前は違った。あの化け物みてえに強い1位がお前の才能に気付いて、お前もそれを伸ばそうと鍛えていた。それを知って、俺は何でお前の事が気に食わなかったのかが分かった」


 鍔迫り合いのようなこの時間は、長くは続かない。体格も筋力も俺より勝っている鷹倉の両手が、徐々に俺を後ろへ押し込んでいった。


「自覚すると、ムカつくけどな……俺はお前に嫉妬してたんだよ。他のヤツとは違う、特別な力を持ってるお前にな」

「そうかよ……! だからずっと、俺にちょっかいかけて、来てたのか?」

「そうだ! 俺ならもっと上手く扱える、俺ならもっと上手く鍛えられる。お前を見るたびに、そんなモヤモヤした感情を抱いていた……!」


 全身に力を込めているせいで、鷹倉の声と俺の声は若干震えていた。


「けどな……あの1位と鍛えて、強くなってるお前を見て、俺がどう思ったと思うよ、芹田」

「さあな。悔しかった……のか!」


 言葉の最後に合わせて、俺は全身の力を抜いた。全体重を俺に乗せていた鷹倉は急に支えを失い、よろめいた。左手で鷹倉の手を掴んでいて、右手を鷹倉に掴まれていた俺は、両手を左に振り払って鷹倉を倒し、後ろに下がる。しかし受け身をとったあいつは、転がるようにしてすぐに起き上がった。

 お互いが肩で息をする中、視線と言葉が交わされる。


「嬉しかったんだよ。なんでか知らねぇけどな」

「は……? 何でお前が、喜ぶんだよ……?」

「俺は、才能を腐らせていたお前が気に食わなかった。だから、その才能を自覚し、伸ばしている事に満足した。それだけだ」


 息切れしながら言葉を紡ぐ鷹倉は、噓を言っているようには見えなかった。

 これが、あいつの本心なのか? ただイジるのにちょうどよかったから俺をからかっていたのではなく、俺がこの能力を腐らせていた事が気に入らなかっただけ、なのか……?


「さっきの言葉、そっくりそのまま返してやんよ」


 右足と右手を半歩分後ろに引いて構える鷹倉。固く握る拳に風を纏わせて、彼は歯を見せて笑った。俺を見下すような下衆な笑みではなく、この戦いを楽しんでいるかのような獰猛な笑みだった。


「今この瞬間のお前は、そんなに嫌いじゃねえぜ!」

「……!!」


 俺を真っ直ぐと見据える瞳が輝いた。後ろに引いた鷹倉の右腕が、再び空振りのフックを繰り出した。刹那、粗雑な烈風が俺を襲う。しかしそれが目くらまし程度にしかならないのは知っている。俺は踏み込む鷹倉に迎え撃つように、風を振り切って突っ込んだ。


 恐らく今のは、鷹倉が能力を意図的に解除した結果、制御を失った荒れ狂う空気が開放されて、その余波がぶつかって来ただけ。気を散らしたり目をくらませる程度にしかならない小さな抵抗だ。

 こんな回りくどい能力の使い方、『能力を打ち消す能力』と戦う時ぐらいしか使わないだろう。


 これはあいつが俺と戦うためだけに編み出した、対芹田流輝るき用戦術。今までは拳ひとつで事足りていた俺と、今まで以上に戦うための技術なのだ。


「嬉しいもの、用意してくれたな!」

「たった今見破られちまったけどなぁ!!」


 視線がぶつかり、言葉がぶつかる。互いの拳は、それぞれの頬を確実に捉えた。殴った拳と殴られた頬が強烈な痛みを発するが、何故だか零れるのは嗚咽ではなく、笑い声だった。


 最初は重苦しい空気で俺たちのランク戦を見ていた周囲の生徒たちだったが、俺と鷹倉が無意識に零す笑みを見てか、ランク戦がただの痛々しい殴り合いになっていた頃には、徐々に歓声や野次が飛び交い、大会か何かのような空気へと変貌していった。


 俺を応援する声。鷹倉を鼓舞する声。スポーツ観戦のようにそこだここだと指示を飛ばす者や、急所を狙えだのなんだの茶々を入れる者。何故だか熱狂しつつある空間に困惑しつつも、俺と鷹倉は互いを見据え、拳を動かす。


「「おおおおおおおおおおおおッッ!!!!」」


 今だけは、獣のように叫んでいた。能力も、傷も、痛みも、全てお構いなし。まるで自分が自分じゃないかのような高揚感に身を委ね、目の前の好敵手へと拳を叩き込む。


 その、直前に。


 頭上に広がる中庭のガラス天井が、耳をつんざく爆音と共に爆ぜた。

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