第33話 闇を捉えるにはまだ遠い

 星天学園の部室棟、その三階。そろそろ午後六時半になるというのに、三階のとある部屋から未だ灯りが漏れていた。


 学内情報部。

 学園内で流れる噂や都市伝説、さらには生徒達のありとあらゆる情報が集約されているとまで噂されている部活。放課後遅くまで活動しているのは、まさにこの部活だった。


「……この記事もよし。ここも……っと、誤植発見。直さないと」

かずら先輩! 二年生のランク表のこことここ間違ってます!」

「何!? すぐに修正だ!」

「ここ、載せる写真間違えてるぞ」

「私直しておきます!」


 教室の中央に机を固めて、浮かび上がるホログラムパネルとにらめっこしている五人の部員。彼らは学園中に掲示される学内掲示板の製作に勤しんでいた。

 生徒会への提出期限は明日。何としても今日までに完成させようと、部員たちは必死に作業をしていた。今はちょうど、完成した掲示板の最終確認を行っている所だった。


「よっし、修正完了! 完成したぞー!」


 いくつものホログラムパネルを次々と動かしていた副部長の葛鶴斬つるぎは、最後の作業を終え、高らかに宣言した。他四人の部員も、長きにわたる戦いの終わりに歓声を上げていた。


 本来、学内掲示板は一ヶ月ごとに更新されるのだが、一学期はあと一週間で終わり、八月からは夏休みに入る。なので、次の更新は二学期の始まる九月の末か十月の頭。今回製作した学内掲示板は、通常より長い期間掲示される事になるのだ。

 掲示板製作が主な活動であるこの学内情報部は、当然気合いを入れて作っていた。完成した際の喜びや達成感もひとしおだった。


 今年の新入部員である一年生の女子生徒二人と男子生徒一人、葛と同学年の男子生徒一人、そして副部長の葛で、ここにいる計五名。本来は部長も入れた六人で喜びを分かち合いたい所なのだが、彼女は別の用事があるとの事で、今は部室にいなかった。


「……お、流輝るきからメッセージが」


 何気なくスマートバンドを確認すると、病院へ針鳴じんみょうの見舞いに行っていた芹田せりだからメッセージが来ていた。どうやら無事に目が覚め、明日一日様子を見て、問題なければ次の日には退院するそうだ。


「後で部長にも言っとくか……ってあれ、まだあった」


 その短い報告で終わりかと思いきや、もう一件メッセージが届いていた。差出人は同じく芹田。


『話したい事があるから、明日の放課後に部室行ってもいいか? 出来れば部長さんとケンが揃ってる時間帯で』


 副部長の葛と部長の二人に話があるとなると、友人として葛へ頼みがあるのではなく、『学内情報部』への用事なのだろう。「入部の相談か?」と茶化すような文言を入れつつ、了解の旨と部長にも伝えておく事を添えて返信した。


 今このメッセージを送って来たという事は、彼はもう寮に戻っており、葛が部活から帰って来ていないと気付いたのだろう。掲示板製作をしている間は時計も見ずに作業に没頭していたので気付かなかったが、下校時刻である午後七時まで三十分を切った所だ。


「もうこんな時間か……部長が戻ったら帰るか」

「この後みんなでファミレス行きません? 一学期お疲れ様会しましょうよ!」

「それは終業式の日にするもんじゃないのか?」

「えー、いいじゃないですかー」


 机の端を指で叩き、デバイスの電源を落とす。ホログラムパネルが一つずつ消えていく中、部員たちは談笑していた。この後の予定について挙げられた後輩からの提案を聞き、葛は皆を見渡して頷いた。


「いいじゃねぇか。今回は風守隊かざもりたいの件もあってバタバタしてたし、ちょいと早く打ち上げって事で」

「そうか。じゃあ今回はお前持ちな、副部長」

「ちょっお前」

「えっ! いいんですか、葛先輩!」


 同級生からの冗談交じりの提案に、部員たちの視線が副部長に集まる。葛本人が言った通り、五日前には風守隊を鎮圧するために学内情報部総出で事に当たっていた。それは部長と葛の指示の下に動いていたものなので、葛は実質的に部員たちに借りを作った事にもなる。


「うぐ……しょうがねぇな! 部長と俺が奢ってやる!」

「やったあー!」

「ご馳走様です先輩!」

「……しばらく学食のカレーはお預けだな」


 学園端末内の残高とスマートバンドに入っている電子マネーを脳内で計算し、せめて一学期中は節約せねばと腹をくくる葛。そんな彼の背後に、突如として人の気配が現れた。


「本人のいない所で道連れにするとはなかなかにいい度胸をしているね、葛副部長」

「うわあっ、部長!? いつの間に!」


 葛の背後に笑顔で佇んでいたのは、学内情報部の部長。音もなく現れた彼女に驚き、葛は声を上げて後ずさった。


「いやそのですね、俺一人で全員分の晩飯代を払うとなったらちょっと厳しいと言うか何と言うか……」

「ふふ、冗談さ。今回は君も私に奢られるといい。部員たちの労をねぎらうのも部長の務めさ」

「マジですか! ありがとうございます!」


 男子高校生の心許ない懐を救ってくれた先輩に心から感謝する葛。手を合わせて頭を下げた。


「ところで部長、どこ行ってたんすか? 掲示板製作と同じくらい大事な用事があるって言ってましたけど」

「六月上旬、学園のサーバーに何者かが侵入したという噂が流れただろう?」

「あー、急に職員会議とかで午前授業になったヤツですね。結局あれ、本当なんでしたっけ」

「本当だよ。そして学内ネットワークを通じて、この学内情報部の端末にも入り込んでいた」

「そう言えば、そんな事も言ってましたね……」


 部室の一画を占領している、部長専用の据え置きコンピューターがある。それを起動しながら、椅子に座った部長は葛に返答する。

 先輩の奢り飯に浮かれていた他の部員たちも、今は黙って話を聞いていた。部長は声を張っている訳でもなく静かな語り口調なのだが、自然と周囲の視線を集める不思議な声をしている。


「幸い、マルウェアを放たれたりファイルをぐちゃぐちゃに破壊されてたりはしていない。端末内のデータも全て無事だ。どうも、私たちの方はって感じだったね」

「ついで? ハッキングした犯人は別の何かを狙ってたんですか」

「そうだね。先生方によると、校内の見取り図や学籍データなどの一部が抜き取られたって話だ」

「それヤバくないですか!?」

「まあヤバイね。でも私からすれば、学内情報部の端末やデータが全て無事なら他はどうだっていい。先生方が何とかするさ」

「いやどうだっていいって……学籍データとか割とがっつり個人情報でしょ」


 葛は突っ込むが、部長はホログラムキーボードを操作しながら笑顔で受け流す。葛は部活の先輩として彼女と二年の付き合いにもなるが、相変わらず考えが読めないマイペースな人だった。


「私は星天学園全体よりも、この学内情報部の方が大事だ。生徒情報が盗まれるより、学内掲示板のデータが壊される可能性の方が怖い」

「部活の製作物をピンポイントで狙うとか、ありますかね」

「無いとは言い切れないだろう? だから私は、先ほどまで学園のサーバールームにお邪魔してたのさ」


 インターネットに接続されていない学内ネットワークに侵入するには、ドローンを送り込んだり直接侵入するなどして、サーバーに直接アクセスしなければならない。そう考え、部長はサーバールームに居座って侵入者がいないか見張っていたそうだ。全ては学内掲示板を無事に完成させるために。


「そんなに部を想ってくれるのは嬉しいですけど……部長は一体何と戦ってるんですか」

「見えない巨悪とだよ。電子の海で繰り広げられる情報戦争は、視覚的に捉えにくく色も形も残らない。しかしその影響力は、世界中を包み込んでしまうほどに大きい。IT分野の進歩が進むこの時代において、狙われていない人間などいないのさ。ハッカーは常に弱者を狙っているんだよ」

「そうっすか」

「露骨に興味がなさそうな返事はやめて欲しいね。傷付く」


 ちょっと拗ねたように言いながら、部長は学内情報部のデータファイルに不正なアクセスが無い事を改めて確認すると、満足げに頷いた。


「よし。バックドアが無い事は確認済みだったけど、何が起こるか分からないからね。私の情報部は守り切れたみたいだ」

「頭の中の戦争は終わった感じっすか?」

「妄想癖が酷い人みたいな言い方は止めてくれないかな」

「いや実際そんなもん……いえなんでもないですそれより掲示板の確認をお願いしても」

「分かればよろしい」


 おしとやかな笑みの奥に攻撃的などす黒い刃が見えた気がして、葛は後輩として立場をわきまえる。

 部長はそんな葛に笑顔を返し、彼らが先ほど完成させた掲示板にざっと目を通す。


「うん、良い感じじゃないか。生徒会に提出しておくよ」

「ありがとうございます」

「礼を言うのは私の方さ。みんなは私抜きで掲示板の最後の仕上げをやってくれたんだからね」


 ポチポチとホログラムパネルを操作し、やがて部長は立ち上がった。


「さてと。それじゃあ帰ろうか。約束通り今日は私の奢りだ」

「やったぁー! 何食べよっかなー」

「先輩の奢りなんだから、少しは遠慮しろよな」

「いいや後輩達よ。奢ってもらえる時は満腹になるまで食べるのがマナーなんだぞ」

「噓吹き込んでんじゃねぇよ。部長が助けてくれなかったら俺が奢る所だったってのに」


 日が昇る時間が長い夏場といえども、七時前になると薄暗くなっていく。もうほとんと生徒がいない部室棟の廊下を歩く学内情報部の面々は、先ほど部長の口から語られたハッキング云々の深刻そうな話はどこへやら。これから行われるプチ打ち上げの話で盛り上がっていた。


「あ、部長。さっき流輝から連絡あったんですけど」


 後輩たちを見守るように一歩下がった位置を歩いていた部長に、葛が並ぶ。


「針鳴先輩、目が覚めたみたいですよ。詳しい事は明日、流輝が部室に来て話してくれるって」

「そうか。それは良かった」


 同級生ともあって、彼女も針鳴の事は心配していたのだろう。安堵の表情を浮かべた。


「これで一件落着ですね」


 部室棟を出て、陽が沈んでいく空を見上げる。一仕事終えて、葛は大きく伸びをした。


 風守隊が引き起こした一連の騒動は、これで終わった。だがこれは、もっと大きな事件のほんの一部が顔を見せたに過ぎない。

 彼らがそれを知ることになるのは、まだ少し先の話だった。

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