第21話 許すという罰

 部室棟を出て、針鳴じんみょう八柳やなぎはただ走っていた。


 芹田せりだ達は学内情報部に来ると踏んで、情報収集も兼ねての待ち伏せだった。だが、まさか学内情報部そのものに敗れ、盤上をひっくり返されるとは思ってもみなかった。

 今や風守隊かざもりたいは彼女ただひとり。対して、敵は芹田と双狩ふがりに加え、厄介極まりない学内情報部。もしかしたら彼らによって風紀委員会や生徒会にまで報告されているかもしれない。そうなれば自分達は終わりだ。


 挽回の策など思いつかない。考えられるはずがない。それほどまでに追い詰められながらも、学園内のどこにいるか分からない敵から逃げ続けている。


「何で……何でこんな事に……!」


 ひとりきりになると、弱気な自分が顔を出す。いつもは風守隊の隊長として強気に振る舞っているが、針鳴も普通の高校生。思い通りに事が進まなければ焦りもするし、劣勢で一人取り残されれば弱音も出て来る。


(本来なら風守隊の戦力であの二人くらいとっくに――いや、それ以前に)


 気付けば、足は止まっていた。第二グラウンドと校舎の間の狭い道には、彼女の他に人はいない。


(そもそも、こんな荒っぽい手段を取る事自体が間違いだった……志那都しなつ様についてなら芹田君から普通に話を聞いて、抜け駆けした双狩……いいえ、双狩さんには、ひとつかふたつ問いただすだけで済んだはず。もっと平和的にお話できたはずなのに)


 校舎の壁に背中からもたれかかり、力なく視線を落とす。浅葱色の瞳は、己の判断を悔やむ陰りを帯びていた。


(風守隊のみんなといると、何でも出来てしまえるように錯覚して、こんな事を――ううん、それじゃみんなのせいにしてるようなものじゃない。悪いのは私。私が、を手に入れて浮かれてただけよ)


 視線の先にあるのは、自身の右手。手の中でバチバチと弾ける紫電は、彼女の能力そのもの。その電気を握り潰すように、針鳴は拳を握りしめた。


(芹田君や他のみんなにも手を上げた以上、もう後戻りは出来ない。大人しく処罰を受けるのが賢明かな……)


 諦めたように自虐的な笑みを浮かべ、針鳴は校舎の壁から背を離した。

 こちらへと近づいて来る足音が聞こえる。こんな所に用事があって来る人など滅多にいない。なら、足音の正体もすぐに分かる。


「……ようやく来たのね」


 足音のする方へ向く。そこにはやはり、芹田と双狩の姿があった。





     *     *     *





 人気のない校舎の陰にいた針鳴先輩は、まるで俺たちを待っていたかのように振る舞っていた。窮地に立たされていても、最後まで風守隊の隊長として強気であろうとしているのかもしれない。


「やっぱり最後に立ちはだかるのはあなた達なのね。でも二人だけっていうのはちょっと意外だったわ。最後は大勢で取り囲まれると思っていたけど、自意識過剰だったかしら」


 そして今の彼女は、無理をして強がっているようにも見える。一気に形勢逆転されても折れないその心は、先輩として素直に尊敬できる。だからこそ、俺たちはすぐにでもこの不毛な戦いを終わらせなければならない。


「針鳴先輩。風守隊は学内情報部によって押さえられました。もうあなたしか残ってませんよ」

「そうみたいね。……というかあなた、口調変わった?」

「ええ、まあ後輩なんで」

「ま、べつにいいけど。とにかく私が最後なんでしょ?」


 針鳴先輩の体から小さな紫電が弾ける。その稲妻は最後まで戦おうとする彼女の意思を代弁していた。


「で、敵の大将を力尽くで捕らえておしまいって訳ね。悪いけど簡単には――」

「いえ、俺たちは戦いません」

「…………は?」


 一拍を置いて、針鳴先輩は間の抜けた声を零した。


「戦わない? 何で? 私を倒したらそれで終わりなのに」

「俺も最初はそう思ってました。戦って解決させるのが一番手っ取り早いって」

「じゃあ何で」

「それじゃ駄目だからですよ、先輩」


 俺は針鳴先輩へと真っ直ぐ視線を向けて言った。一度顔面に電撃を受けた身だが、もう一度攻撃が来るとは思っていない。だから、退かずに対峙する。


「何でも戦って決着をつけるようになったらいけない。針鳴先輩、本当はあなたも分かってるはずです」

「……っ!」


 針鳴先輩がまとう電撃が消えた。まるで図星を突かれたかのように、針鳴先輩は目を丸くしている。やっぱり、本当はこの人もこんな乱暴なやり方は好きじゃないんだ。


 特殊能力者は戦うためのチカラが生まれつき備わってしまっている。だからこそ、その使い方を間違ってはいけない。これはこの学園で幾度となく聞かされてきた言葉だ。

 機械、刃物、炎。文明を進めて来た便利なものは、使い方によっては武器にもなる。利便性と危険性はいつも共存しているのだ。片方の力が大きければ大きいほど、もう片方も大きくなる。便利で強大な能力ほど、人を簡単に傷付けられるようになってしまう。


「こう言っちゃなんですが、俺の無効化能力があれば、先輩を捕まえる事は難しくないでしょう。でも、俺が取りたい手段はそれじゃない」


 触れた特殊能力を打ち消す俺の能力。それはきっと、一度振るってしまったが故に後に引けなくなった暴力のうりょくを、受け入れるための力なんだと思う。

 だから俺は、この人を許す。


「戦う必要はありません。この件は、もう終わりにしましょう」


 先輩へと一歩近づいて、俺はそう語りかけた。


「今回の騒ぎは、校則違反を厳しく罰する風紀委員の耳には運よく届いていません。生徒会への連絡も、学内情報部の部長さんがそれとなく押さえてくれてます」

「ど、どういう事……?」

「後は……先輩、あなたと和解すれば、今回は『生徒間のちょっとした喧嘩』で話が片付くという事です」

「聞いてるのはそういうのじゃなくて!」


 針鳴先輩は戸惑うように、声を荒げた。


「あなた達は、なんでそんな穏便な決着を望んでるの? さっさと私たちをひっ捕らえて処罰を受けさせれば楽じゃない」

「まあ確かに、学内情報部からしたら学園中の情報操作なんてめんどくさいでしょうけどね」


 針鳴先輩の疑問に声を返したのは双狩だった。彼女は腰に手を当てて、単刀直入に言う。


「私たちからしたら、騒ぎになる方が面倒なのよ。だから言うなれば、このゴタゴタは『無かった事』にした方が私的にはすっきりするの」

「そんなワケ……無いでしょ?あなた達は私たちに能力を向けられ、追い回された。少しは罰を与えなきゃ気も収まらないでしょ?」

「いやいや、少なくとも私はもう仕返しとかする気も無いし。て言うかそれは、あんたがでしょ?」

「そ、そんな事……」


 双狩の指摘に、針鳴先輩は言葉に詰まる。もはや無理やりにでも貼り付けた威勢は剥がれ、視線は泳いでいた。


「あんたは自分のやった事に後悔して、ちゃんとした償いをしようとしてる。別に隠さなくても、それくらい読めてるわよ。あんたが意外に真っ当な人間だっていう事も、ちょっとは知ってるし」

「……」

「だから、罪を許さないでほしいあんたに対して『罪を許す』って決めた私達の判断を、罰だとでも思いなさい」


 うなだれる針鳴先輩へ諭す双狩。先輩後輩の立場を抜きにして、双狩は針鳴先輩にそう告げたのだった。

 ある意味では俺以上に当事者であるその一言には、確かな重みがあった。


「……許す事が罰、か」


 やがて、針鳴先輩はぽつりと声をもらす。そこに混じるのは、力が抜けた笑み。


「双狩さん、あなたの言う通りよ。私は自分の行動にケジメを付けたくて罰を望んでる。そんな私を許すだなんて……まったく、酷い罰ね」


 顔を上げた針鳴先輩は、まるで憑き物が落ちたような笑みだった。望んだ罰を与えられなかったというのに。


「まあでも、風守隊のみんなも許されるのなら、それに越した事は無いわよね」

「いつまでも風守隊想いよね、あんた」

「そりゃあ隊長ですから」


 そう双狩と言い合う姿にも、初対面時のような剣幕も感じられない。けど、今の針鳴先輩こそ本来の姿のような気がする。今日で初対面にも関わらず、俺も不思議とそう感じる。


「じゃ、その隊員達に顔を見せてあげなさい。今は学内情報部の部室に集まってるだろうし、話し合いもそこで。それで良いわよね、芹田」

「ああ。あの部室じゃちょっと狭いだろうけどな」


 さすがに場所を移した方がいいだろうか。でも他に場所あるか? 今は放課後だから空いてる部屋もあるだろうけど、部活でもない風守隊や俺たちに使わせてくれるだろうか。考えながら、俺たちはひとまず校舎へ向かおうと歩き始めた。


「そうだ。風守隊がいつも使ってる集合場所とかあれば――」


 言いながら後ろの針鳴先輩へと振り返り、俺の言葉は半ばで途切れた。


「じっ、針鳴先輩!?」


 さっきまで普通に立って話していたはずの彼女が、うつ伏せになって倒れていた。

 その体には、まるで先輩の意識という枷から放たれたかのように、紫電がひとりでに駆け巡っていた。

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