7ページ目 養護教諭ミカン先生との高度な心理戦



 あぁ、やってしまった……。


 


 佐咲への不満がついに爆発してしまった……。


 ノミコと出会ったあの日――「力の渇望と不満は今にも暴発寸前」とノミコは言っていたが、それが現実のものとなってしまった。



 ――*――



 佐咲が転校してきた日は鮮明に覚えている。あれは小学五年生の二学期だった。



「こんな田舎、来たくなかった」



 転校初日の挨拶がこれだった。


 少なからず自分の町に誇りを持っていたボクにとって、その言葉は屈辱的で都会育ちのいけ好かないヤロウだと思っていた。


 当時は佐咲も背が低く、全校集会や避難訓練で列の先頭に立つのは自分ではない。と、いつも佐咲とボクとで小競り合いをしていた。


 小学6年生になって、彼は背が小さいながらも少年バスケ部に入部した。入部動機を聞いたが、はぐらかされた記憶がある。


 そして中学二年生から成長期に突入した彼は劇的に背が伸び、いつの間にかボクなんか置いてきぼりにするぐらいの身長と自信を手に入れていた。


 それと同時に彼の時代が到来し、皆から注目を浴びる存在へと変貌していった。



 ――*――



 高校に入っても、それは同じだった。


 スクールカースト底辺をさまようボクとは対照的に、どんどんスターダムにのし上がっていく佐咲。今では同じ学年はおろか、全学年で知らないものは居ないほどの有名人へとなっていた。


 そんな奴だからこそ、ボクは距離を取りたかった。


 腰ぎんちゃく、コバンザメ、トラの威を借るキツネ。など……佐咲がボクに構うたびにそんな誹謗中傷をあびせられた。彼とつるむことにボクはメリットを見いだせなかった。



「なっ、何だよ急に。俺はお前を頼ってただけだろ!」



「頼ってたんじゃないだろ!? 利用していただけだろ!」



「なんだよ。昔から俺達いつもこんな関係だったじゃねーか!」



「ボクはそれが嫌だってことに、お前も気づけよ!」



 やめなければ。すぐに謝らないと……。



「どうしたんだよ? 今日は変だぞ、クラマ。俺たち友達じゃなかったのか?」



「それはお前が思っているだけだ! ボクは友達だと思ったことなんて、一度もないっ!」



 ああ、クラスみんなの前で、ヒステリックにぶちまけてしまった。


 連日連夜の疲労と寝不足で理性を保つことが出来なかった。


 最悪だ……。



「そうか……。お前はそんなこと思っていたんだな、わりぃ」



 先に謝ったのは佐咲だった。


 えっ? なに? その反応?


 コイツの性格的に、もっと声高に「絶交だ!」と言ってくるかと思っていた。なぜそんなに寂しそうな声で話すんだ?



 ボクが身勝手にキレたのに、佐咲に先に謝られてしまい、ボクは引っ込みがつかなくなった。



「ッ……!」



 ボクは逃げるように教室を去った。



 ――*――



 勢いで教室を出たあと、ボクは廊下を当てもなく歩いていた。


 これからどうしよう。


 このまますんなり教室に帰ることも出来ない。


 教室を飛び出してから携帯がブンブン唸っている。SNSに大量の新着コメントが来ていた。内容は「佐咲に謝れ」というメッセージばかりだった。


 いつもはみんな、ボク宛にメッセージなんて送らないくせに……。


 こんなことなら連絡先なんて交換するんじゃなかった。


 新入生当時、バカなクラスメイトが「みんな友達! このクラスを最高のクラスにしようぜ!」とか言って皆を扇動して、クラスの全員と連絡先交換をしたいと提案してきた。


 浮足立っていたみんなも、そのバカの「バイブス上げていこうぜっ!」にも似た勢いと雰囲気にのまれ、全員が連絡先を交換する流れになった。


 だがそれ以来、ボクの携帯が活躍したことは無い。しかし皮肉なことに、こんな時だけ過去最大級の勢いでメッセージが送られてくる。


 そのどれもが非難や誹謗中傷だけど。


「みんな友達」と何だったのやら。本当の友達は、画面操作だけでは作れないんだな。



 携帯を見るのを止め、今日はもうバックレようかと思ったが、カバンを教室に忘れたままだ。だが、今は教室に戻りたくない。


 とりあえず3限目の体育の授業まで、どこかで時間を潰すことにした。



 ――*――



 そして、避難先に保健室を選ぶことにした。


 きっと「学校のサボりスポットはどこですか?」と日本中の高校生にアンケートを取ったら、ダントツで保健室が選ばれるだろう。


 ボクも最近寝不足のため、お世話になることが多かった。



「失礼します……」



 あたかも、ひどい頭痛のように頭を押さえながら、そろーっと保健室の扉を開けた。


 保健室は縦長の間取りをしており、入口側には執務机や薬品棚がそろい、窓側にはベッドが4床ある。


 だが、今は誰もベッドを使っていないようだった。


 しかし、いかにもワザとらしい姿を想像すると我ながら笑える。いかんいかん演技を続けなくては。ボクは病人なのだ。



「はーい。どうぞぉ」



 ノドに練乳がかかったような甘ったるく幼い声が返ってきた。この保健室のヌシが発したものだった。



「あぁ……。またあなたですか。今日はどんな仮病ですぅ?」



 だぼだぼの白衣に身を包み、トテトテと幼女が寄ってきた。この女児こそ、この学校公認の養護教諭【柚子みかん】である。


 ミカン先生はとても小さい。身長は140㎝以下で、教員の中でボクが唯一見下ろせる存在であった。見た目も緩いパーマのかかった長い髪に、黒目がちの大きな瞳。どう見ても小学生並の幼顔で、シワひとつ見当たらないスベスベのたまご肌をもつ魔性の女だ。


 ボクより10歳以上、年上なはずなんだけど……。



 ファッションセンスもなかなかのものだった。


 動物の絵柄がプリントされたグレーのトレーナーとチェック柄の赤いスカート。そして、白のハイソックスに二本ベルトの真っ黒いフォーマルシューズ……と、幼女らしさを一段と強調するスタイル。


 つまり、ミカン先生は今日もキマッていた。



「すみません。頭痛がするので、休ませてもらえませんか?」



 出来るかぎり弱々しく答えた。



「えぇー本当ですかぁ? そう言って、一昨日も来たじゃないですかぁ。あんまり保健室でサボる生徒が多いと、せんせーが教頭に叱られるんですよぅ」



 ミカン先生は自分のことを「せんせー」と呼ぶ。舌足らずなのか、せんせ“い”と発音できない。



「いや、本当に頭が痛いんです。あぁっ! 頭がガンガンしてきた!」



「もぅ、毎回毎回同じような手を使っても騙されませんよぉ。鎮痛剤でも飲んで、さっさと教室に戻ってください!」



 いつもなら少し過剰にアピールすればすんなり休ませてくれるのに今日は強情だった。


 よほど教頭に注意されたのだろう。



「そんなこと言わずに、ちょっと休めば治りますから。それにほら……」



 紙パックのイチゴ・オレ。内容量250㎖。


 これをポケットからチラッと取り出し、先生にさりげなくアピールする。



「バカにしてるんですか! せんせーは聖職者ですよ! 生徒にジュースをもらって買収される教師がいるわけないでしょお! それもイチゴ・オレなんて子供じみたもので、せんせーの決意が鈍るとでも?」



 と言いつつも、イチゴ・オレから目を離さないミカン先生だった。



「イチゴ・オレぐらいで……」



 はははっ。こちとら保健室の常連として、ミカン先生の好みなんて、とうにリサーチ済みだ。



「えっ? 勘違いされてません? これはボクが飲もうとしていたものですけど、何か?」



「ヌなっ!?」



 彼女は、驚いた表情でボクを見上げた。



「そっ、そんなぁ……」



 見るからに落胆している。



「ただ、今は具合が悪いせいか、あまり飲みたい気分じゃないんです。だけど今日は暑いから、ベッドで寝ている間に傷んでしまうのが心配で、それなら誰かに消費してもらった方がいいなと思っていたんですが……」



「えぇっ!」



 ボクの言葉に一喜一憂するミカン先生。


 ここは勝負時とみて畳みかけるように交渉(買収工作)を進めた。



「でも仕方ないですよね。ベッドで休ませてもらえないんじゃ仕方ないけど、捨てるしかないなぁ」



「ぐっ……わっ、わかりました。今回だけですよぅ……。ほら、一番奥のベッドを使ってください」



 というわけで、ボクの巧みな交渉術で、自称“頭痛”が認められ、ベッドの使用許可をもらった。


 生徒からイチゴ・オレをもらい、とても上機嫌なミカン先生を尻目に、ボクはベッドのカーテンを開け、休ませてもらうことにした。


 聖職者の矜持とは一体……。


 そしてボクは、これまでの疲れと寝不足も相まって、ベッドに入ったとたん、すぐに眠気が襲ってきた。



 ――*――



 どれだけ時間が経っただろう……。


 ゴソゴソと物音がして目が覚めた。

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