第52話 緊急事態(3)
私たちは、車の中では、何も話すことはなかった。
ふと、バックミラーから後部座席に座っている斎君を見ると、斎君は、両手を組んで、緊張した表情で座っていた。
今、斎君は何を考えているのだろうか?
斎君にトラウマがあるという話は聞かないが、同じ状況になって、混乱しないとも限らない。
もし、斎君が混乱した場合は、私が一人で行くことになるだろう。
私は、自分の手を見ると、私の手も震えていた。
私は、もう一度、斎君を見た。いつも飄々としていて、たった一歳差なのに、余裕を感じる斎君だが、今日の斎君からは、余裕は感じなかった。
普段の斎君なら、どうやって走ろうかなど、走りのパターンを私と話をしているだろう。
だが、今日は、無言だった。
私も何も言うこともなく、外を見ていたのだった。
窓の外には、台風の爪痕が見えた。木が倒れていたり、小屋が崩壊していたりと、風の通り道となる場所の被害が大きく感じた。
ふと、川を見ると、橋のすぐ下まで水がきていた。
風も雨も酷かったようだ。
外を眺めていると、先導してくれていた吉田さんたちのトラックが止まった。
吉田さんたちが降りたのを確認して、私たちも急いで、車を降りた。
少し離れた場所には、消防団の人たちが、駐在さんが何やら慌てた様子で、話をしていた。
「瑞樹ちゃん、斎君、こっちだ」
「はい」
私たちは、吉田さんと共に、みんなのいる場所に向かった。
「バイクに乗って救助に向かってくれる人たちを連れて来たぞ」
吉田さんの言葉に、20代くらいの男性が眉を寄せながら言った。
「吉田さん、こんな若い子で大丈夫なのか? しかも、こっちの子は女の子だろ?! おいおい、本気か? ミイラ取りがミイラになる状況だってありえるんじゃないか?」
確かに、私は、若いし、女性だ。
そう言われても仕方ないと思っている。
だが、胸を張ってバイク乗りだと言える。
男性の言葉を聞いて、駐在さんと話してをしていた人物が、顔を上げて大声を上げた。
「今更、何言ってんだ、散々考えただろ? それに、瑞樹ちゃんと、斎君が行ってくれるんだろ? この2人以上に頼れるバイク乗りなんて、早々、お目にかかれねぇんだぞ? 一流のバイク乗りだよ。俺が保証する」
そう言ってくれたのは、バイク仲間の喜一さんだった。
「喜一さん?!」
私は思わず大声を上げた。
すると、吉田さんも頷きながら言った。
「だな……瑞樹ちゃんと、斎君くらい安定した走行ができるバイク乗りなんて、本当に滅多にいないんだぞ?!」
「徳永さんと、吉田さんが、そこまで言うなら……」
先程の男性が口を閉じた。徳永さんというのは、喜一さんのことだ。
すると喜一さんが口を開いた。
「悪いな、速人だって、嫌がらせで言ってるわけじゃねぇんだ。こいつなりに、2人を心配してんだ。悪く思わんでくれ」
この状況で、何をどうすることが正しいのかを、即断即決できるような人は少ない。様々なリスクがある中で、最良の選択をしなければならないのだ。
だから、こそ私もすぐに頭を切り替えた。
「はい。わかっています」
私たちが、喜一さんたちを見ていると、喜一さんは、頭をかきながら、私に映像を見せてくれた。
「瑞樹ちゃん、斎君、悪いな。こっちに来てくれ。これが、急遽ドローンで撮影した映像だ。そして、ここが、崖崩れを起こした場所だ」
私は、ドローンで撮影したという映像を見た。
停止されている映像には、確かに家が埋まっているのが見えた。
屋根が半分出ているのが、映っていて、信じられない思いがこみ上げてくる。
「ここが……夏生さんの家……?」
足が震える。
この映像が現実だと思いたくない。
隣で斎君が冷静に声を上げた。
「周囲に、新たに崩れて来そうな場所もないし、歩くのは確かにキツそうですが……俺たちなら行けます」
私は、そう言われて、冷静に映像を確認した。
木の根がむき出しになっていたり、大きな岩がある場所はあるが、行けなくはない。
「確かに……」
私は、実際の風景と、映像を交互に見て、地理を頭に焼き付けた。
太陽が出ているので、現在の場所と、現場の位置と太陽の位置で、距離を計った。
確かに、直線距離では、500メートはない。
川などもないし、木の根や岩などの障害物さえ、クリアすることが出来れば、数分で行ける。
「すぐに向かいます」
斎君の言葉に私も大きく頷いた。
「斎君、行こう。場所は覚えた」
「ああ、俺も」
車からバイクを下ろそうと思って近づくと、お父さんが、私たちが打合せをしている間、バイクを出してくれていた。
ブォン!!
丁度、ヘルメットを手に取った時、母と、綿貫君が、KTMでやってきた。
「お母さん? 綿貫君?!」
驚いていると、2人がバイクを降りて、こっちに向かって来た。
綿貫君は、私たちを見た後に、私のすぐ後ろを見ながら言った。
「映像用のドローンが使えるのか!! じゃあ、何かあったら、俺たちがここで、トランシーバーで指示を出せるね」
綿貫君が、ドローンを見ながら言った。
すると、喜一さんが、ハッとしたような顔をして、先程、眉を寄せた男性に向かって言った。
「トランシーバーだって?! おい、速人、瑞樹ちゃんたちを追いながら、ドローンを飛ばせるか?」
すると速人と呼ばれた男性が、緊張したように頷いた。
「バイクを追いながら……? やったことはないけど……やってみる」
綿貫君は、トランシーバーを持つと、なんの躊躇することもなく、モニターの前に座った。
すると、一さんと、吉田さんと喜一さんもモニターの前に座った。
綿貫君は、トランシーバーを口元に持っていった。
「聞こえる?」
私と斎君は顔を見合わせた後に、急いで、耳にイヤホンを付けて、ヘルメットを被り、ゴーグルをつけた。
なるほど、道が通れないと思ったら、ここから指示が貰えるのなら、有難い。
私たちが準備ができると、綿貫君の声がイヤホンから聞こえた。
『聞こえる? 2人とも』
私と斎君は、手を上げて答えた。
心臓が早い。
緊張しているのを感じる。
私は、綿貫君たちから視線を逸らすと、目の前にそびえ立つ土砂を見つめた。
ブォン!!
隣で斎君のヤマハのエンジン音が聞こえた。
ああ、やっぱりエンジン音は落ち着く。
私も、自分のバイクのエンジンをかけた。
ゴゴゴゴゴ。
ヘルメットをかぶったままのエンジン音は、本当に心地よい。
こんな状況なのに、私は、いつものように落ち着いていた。
『いいかい、瑞樹。ハンドルを持ったら、バイクだけに集中しな』
――うん、大丈夫だよ。すみれさん。
幼い頃から刷り込まれた言葉はいつでも私を助けてくれる。
こんな状況だからこそ、いつもの精神状態を保てる、すみれさんと、一さんの言葉は有難いと思った。
ブォン!!
斎君がエンジンをふかした。
これがスタートの合図だ。
――よし、行く!!
私と斎君は、こうして、土砂の上に乗り出したのだった。
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