第53話 緊急事態(4)






 ずっと綿貫君と低速訓練をしていたせいか、随分と走りが安定しているの感じた。

 道はかなり悪くて、サスペンションが、全力で仕事をしてくれているの感じる。


 それなのに、走りは前よりもずっと、軽く感じる。

 これは、斎君と話をしながら、こまめに調整していた結果かもしれない。


 バイクが身体の一部のように、まるで意思を持ったように動く。


 ――バイクと一体になる感覚。


 私は、それを感じていた。

 どこまででも行けると、そう思えた。


 少し前を行く斎君が少し減速した。

 まだ、目的地ではないはずだ。


 そして、私に、右という合図を出した。

 なんだろう?


 私は、斎君の合図で、右を確認すると、右前方に、木に寄りかかりながら、手を振っている人が見えた。


 人?!


 私たちは、急いで、その場に向かったのだった。




 手を振っていた人に近付くと、配達員のようだった。


 ブォン!!


 エンジンは止めずに、バイクを止めて、私たちは、ヘルメットを取った。


「ああ!! 人が来てくれた!!」


 配達員が、大きな声を上げた。

 みると、足にケガをしているようだった。

 そして、よく見ると、車は、横転していた。


「大丈夫ですか?」


「足をケガして動けないのですが、それ以外は擦り傷程度です」


 どうやら、男性は横転した車から自力で抜け出したようだった。


 私が、配達員の男性と話をしている間に斎君がトランシーバを手に取ったのだった。




――同時刻。モニターで2人を見守っている人々は……。


 綿貫と一が、持っていたトランシーバーに斎からの連絡が入った。


『男性が、一人、足をケガして動けないみたいです。先に男性をそちらに連れて戻りますか?』


 斎の言葉で、みんなで映像を確認した。


「ここからじゃ、見えないな」


「ああ、木の影になっていて見えなかった」


 どうやら、空から見ると、男性が倒れていた場所は、木の影になって全く見えなかった。

 すると、後ろで郁が声を上げた。


「ここなら、私が行くわ。綿貫君、斎君たち先に進むように言って」


「え?!」


「え?!」


 綿貫と、ドローンの操縦をしていた速人が、驚いた顔で、郁を見つめたが、他の郁を良く知る者たちは、静かに頷いた。


「郁ちゃんが、行ってくれるってんなら任せた方がいいな」


 喜一さんが、静かに言うと、一さんがトランシーバーに向かって言った。


「斎と、瑞樹は先に行け。そこには、郁が向かう」


 トランシーバーから一瞬の沈黙の後、静かな声が聞こえた。


『…………わかりました』

 

 郁がバイクに向かうと、瑞樹の父が、じっと見つめながら言った。


「郁さん、気を付けて……俺が行きたいけど……郁さんが行く方がいいだろうから」


「さっき、綿貫君を後ろに乗せて、少し勘を取り戻したわ。一度、身体で覚えたことって、忘れないものね。行ってくる」


 郁は、ヘルメットとゴーグルを付けると、綿貫の付けていたヘルメットとロープを縛り付けて、エンジンをかけた。


 KTMのエンジン音が辺りに響いた。

 ブォォオオオン!!


 そして、郁は土砂の上を走って行ったのだった。


「かっこいいな……」


 綿貫の呟きに、瑞樹の父が目を細めながら言った。


「ああ、本当にな……」


 瑞樹の父もバイクに乗れなくはないが、瑞樹の母である郁には到底敵わなかった。

 そもそも、郁と同じ土俵の立てるようなバイク乗りなど、ほとんどいない。

 幼い頃から、すみれと、一の英才教育を受けた郁は、世界レベルのバイク乗りなのだ。


 もう20年近くもバイクに乗っていないはずなのに、郁の走りは相変わらずキレイだと、その場にいた皆が思った。

 最近では、瑞樹が郁の現役の頃のような走りを身につけているが。


「さぁ、怪我人を連れて来た時、動けるようにしておこう」


「はい」


 瑞樹の父の言葉に、綿貫も頷いたのだった。 


 

 ◆



 私は、男性の傷口を確認したが、今の私たちにどうにかできる傷ではなかった。

 早く病院に行った方がいいだろう。


「ここでは、何もできないので、安全な場所まで送ります」


「ありがとうございます」


 配達員の男性と話をしていると、トランシーバーを腰に戻した斎君が、男性に向かって言った。


「今から、救助が来ますので少し待ってもらえますか?」


「救助が?」


 私は思わず声を上げた。


「わかりました」


 男性は、静かに頷いた。

 私は、立ち上がって、斎君を見ながら尋ねた。


「斎君、救助って……一体、誰……」


 そう尋ねようと思った私の耳に、良く知っているエンジン音が聞こえた。


 ――これはKTMのエンジン音?!


 だが、いつもよりもKTMが喜んでいるような、浮かれているような、そんな音が聞こえた。


 私が斎君を見ると、斎君も気付いたのか、エンジン音のする方を見ながら言った。


「いい音だな」


「もしかして、お母さん?」


 私の問いかけに、斎君が頷いた。


「うん。ずっと乗っていなかったから、心配してたけど……無用な心配だったね」


 斎君が男性を見ながら言った。


「バイクの後ろに乗ってもらいます」


「わかりました」


 そして、本当にすぐにKTMの姿が見えた。

 私たちもここまでそう、時間はかかっていないが、それにしても早い。


 そして、KTMが目の前で止まった。


「斎君、瑞樹、ここは私が引き受けるから、先に行きなさい」


「うん」


 斎君の手を借りて、男性はヘルメットをつけて、母の背に乗った。母は、念のために男性が落ちないように軽くロープで固定した。母は、流れるような動きで、バイクにまたがった。


「じゃあ、気を付けて」


 私たちも、急いでバイクに戻った。

 母の姿に目を細めながらも、私たちは、先に進んだのだった。

 

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