第53話 緊急事態(4)
ずっと綿貫君と低速訓練をしていたせいか、随分と走りが安定しているの感じた。
道はかなり悪くて、サスペンションが、全力で仕事をしてくれているの感じる。
それなのに、走りは前よりもずっと、軽く感じる。
これは、斎君と話をしながら、こまめに調整していた結果かもしれない。
バイクが身体の一部のように、まるで意思を持ったように動く。
――バイクと一体になる感覚。
私は、それを感じていた。
どこまででも行けると、そう思えた。
少し前を行く斎君が少し減速した。
まだ、目的地ではないはずだ。
そして、私に、右という合図を出した。
なんだろう?
私は、斎君の合図で、右を確認すると、右前方に、木に寄りかかりながら、手を振っている人が見えた。
人?!
私たちは、急いで、その場に向かったのだった。
◆
手を振っていた人に近付くと、配達員のようだった。
ブォン!!
エンジンは止めずに、バイクを止めて、私たちは、ヘルメットを取った。
「ああ!! 人が来てくれた!!」
配達員が、大きな声を上げた。
みると、足にケガをしているようだった。
そして、よく見ると、車は、横転していた。
「大丈夫ですか?」
「足をケガして動けないのですが、それ以外は擦り傷程度です」
どうやら、男性は横転した車から自力で抜け出したようだった。
私が、配達員の男性と話をしている間に斎君がトランシーバを手に取ったのだった。
◆
――同時刻。モニターで2人を見守っている人々は……。
綿貫と一が、持っていたトランシーバーに斎からの連絡が入った。
『男性が、一人、足をケガして動けないみたいです。先に男性をそちらに連れて戻りますか?』
斎の言葉で、みんなで映像を確認した。
「ここからじゃ、見えないな」
「ああ、木の影になっていて見えなかった」
どうやら、空から見ると、男性が倒れていた場所は、木の影になって全く見えなかった。
すると、後ろで郁が声を上げた。
「ここなら、私が行くわ。綿貫君、斎君たち先に進むように言って」
「え?!」
「え?!」
綿貫と、ドローンの操縦をしていた速人が、驚いた顔で、郁を見つめたが、他の郁を良く知る者たちは、静かに頷いた。
「郁ちゃんが、行ってくれるってんなら任せた方がいいな」
喜一さんが、静かに言うと、一さんがトランシーバーに向かって言った。
「斎と、瑞樹は先に行け。そこには、郁が向かう」
トランシーバーから一瞬の沈黙の後、静かな声が聞こえた。
『…………わかりました』
郁がバイクに向かうと、瑞樹の父が、じっと見つめながら言った。
「郁さん、気を付けて……俺が行きたいけど……郁さんが行く方がいいだろうから」
「さっき、綿貫君を後ろに乗せて、少し勘を取り戻したわ。一度、身体で覚えたことって、忘れないものね。行ってくる」
郁は、ヘルメットとゴーグルを付けると、綿貫の付けていたヘルメットとロープを縛り付けて、エンジンをかけた。
KTMのエンジン音が辺りに響いた。
ブォォオオオン!!
そして、郁は土砂の上を走って行ったのだった。
「かっこいいな……」
綿貫の呟きに、瑞樹の父が目を細めながら言った。
「ああ、本当にな……」
瑞樹の父もバイクに乗れなくはないが、瑞樹の母である郁には到底敵わなかった。
そもそも、郁と同じ土俵の立てるようなバイク乗りなど、ほとんどいない。
幼い頃から、すみれと、一の英才教育を受けた郁は、世界レベルのバイク乗りなのだ。
もう20年近くもバイクに乗っていないはずなのに、郁の走りは相変わらずキレイだと、その場にいた皆が思った。
最近では、瑞樹が郁の現役の頃のような走りを身につけているが。
「さぁ、怪我人を連れて来た時、動けるようにしておこう」
「はい」
瑞樹の父の言葉に、綿貫も頷いたのだった。
◆
私は、男性の傷口を確認したが、今の私たちにどうにかできる傷ではなかった。
早く病院に行った方がいいだろう。
「ここでは、何もできないので、安全な場所まで送ります」
「ありがとうございます」
配達員の男性と話をしていると、トランシーバーを腰に戻した斎君が、男性に向かって言った。
「今から、救助が来ますので少し待ってもらえますか?」
「救助が?」
私は思わず声を上げた。
「わかりました」
男性は、静かに頷いた。
私は、立ち上がって、斎君を見ながら尋ねた。
「斎君、救助って……一体、誰……」
そう尋ねようと思った私の耳に、良く知っているエンジン音が聞こえた。
――これはKTMのエンジン音?!
だが、いつもよりもKTMが喜んでいるような、浮かれているような、そんな音が聞こえた。
私が斎君を見ると、斎君も気付いたのか、エンジン音のする方を見ながら言った。
「いい音だな」
「もしかして、お母さん?」
私の問いかけに、斎君が頷いた。
「うん。ずっと乗っていなかったから、心配してたけど……無用な心配だったね」
斎君が男性を見ながら言った。
「バイクの後ろに乗ってもらいます」
「わかりました」
そして、本当にすぐにKTMの姿が見えた。
私たちもここまでそう、時間はかかっていないが、それにしても早い。
そして、KTMが目の前で止まった。
「斎君、瑞樹、ここは私が引き受けるから、先に行きなさい」
「うん」
斎君の手を借りて、男性はヘルメットをつけて、母の背に乗った。母は、念のために男性が落ちないように軽くロープで固定した。母は、流れるような動きで、バイクにまたがった。
「じゃあ、気を付けて」
私たちも、急いでバイクに戻った。
母の姿に目を細めながらも、私たちは、先に進んだのだった。
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