第51話 緊急事態(2)



 部屋に戻って、念のために持って来ていたバイクのウェアが一式、入っているケースのフタを開けた。ウェアに触れた瞬間、私の中で、スイッチが切り替わったように感じた。


 久しぶりに袖を通したモトクロスウェアは、少し窮屈に感じた。

 だが、この姿になると、バイクに乗ることだけに集中出来て、気が引き締まる。


 一応、持ってきていたレース用のロングブーツを履いて、車庫に向かうと、すでに準備を終えた斎君が、フック付きのロープを背中に固定していた。このロープは登山などにも使われるかなり丈夫なロープだ。

 バイク乗りには何があるのかわからないので、不測の事態に備えて、常備してあるのだ。

 どうやら、このロープを背中に固定するらしい。


「瑞樹、念のため、このロープを持って行きなさい」


 母が、すでに用意してくれていたロープを背中に付けてくれた。


「わかった」


「瑞樹、これを」


 そして、父にトランシーバーを腰に付けられた。

 トランシーバーは、バイクの練習でもよく使うので、慣れたものだ。

 すでに、ハイエースに2台のバイクが入れてあった。

 どうやら、トランシーバーも家にある分を全て持って行くようだった。


「瑞樹と、斎君がこっちに乗りなさい。一さんは、吉田さんのトラックで行くそうだ」


「……わかった」


 バイクを車に2台入れると、3人しか乗れない。そこで、私と、斎君が、父の運転で、ハイエースに乗って、吉田さんと、一さんがトラックで、車で行ける位置まで連れて行ってくれることになった。

 車の中から、外を見ると、母と、綿貫君が心配そうに見送ってくれた。


「いってらっしゃい。瑞樹、斎君、気を付けて!」


 綿貫君は、今にも泣きそうな顔で、大きな声を上げた。


「工藤!! 斎君!! 無理はするなよ!! どうか、無事で!!」


 私と斎君が、窓から声を上げた。


「ありがとう、いってきます」


「いってきます」


 こうして、私たちは、崖崩れがあったと言う場所に向かったのだった。






 瑞樹たちを見送った後、綿貫は呆然と立ち尽くしていた。

 最初は、斎がここからバイクに乗って、現地に向かい、郁と綿貫も車で現地に行くことになっていた。

 だが、バイクを最良の状態で送り出したいという一の言葉に皆が納得したので、車で行けるところまでは、車にバイクを乗せて現地に行くことになったのだ。

 そのためバイクを2台積んだために、車に乗れなかった綿貫と瑞樹の母親である郁は、ここで待つことになったのだ。


「2人とも、どうか無事で……」


 綿貫も、本当は、自分だって、バイクで追いかけたい、と思っていた。

 だが、自分は瑞樹や、斎と違って、バイクの免許は持っていない。私有地の練習場ならともかく、公道で、バイクに乗ることはできないので、車に乗れない以上、綿貫はここで、瑞樹と斎の帰りを待つしかなかったのだ。


「くっ!!」


 綿貫が悔しそうに眉を寄せると、そんな綿貫を見た瑞樹の母である郁が、声を上げた。


「綿貫君だって……ここで、待つなんて、イヤよね~~」


「……はい」


 郁の言葉に、綿貫は素直に頷いた。


「ん~~わかった」


「え?」


 綿貫が顔を上げた。

 すると、郁が瑞樹の練習用のライダージャケットを羽織ながら言った。


「私、バイクの免許とって、結構な年数が経つの」


「はぁ……」


 綿貫は、郁が何を言いたいのかが、わからなかった。


「そして、このバイクは、250㏄」


 郁は、KTMを撫でながら言った。


「……?」


 綿貫が、郁の言葉を理解出来ずに、首を傾けると、郁がニヤリと笑いながら言った。

 

「綿貫君、これ着て」


 郁がライダージャケットを綿貫に手渡した。


「え?」


 綿貫が、驚いた顔で郁を見ると、郁がヘルメットを被りながら言った。


「行くわよ。それ着て、ヘルメットかぶって」


 その時、ようやく、綿貫は郁がバイクの後ろに乗せて連れて行ってくれるつもりだということに気付いたのだった。無理もない、バイクの免許を持ってない者にとって、バイクの2人乗りの条件など、知っている訳がないのだ。


「え? あ、はい!!」


 綿貫が、焦る気持ちを押さえながら、ライダージャケットを着て、ヘルメットをかぶると、郁は、靴をバイク用のブーツに履き替えていた。瑞樹の練習用のウェアを着ているせいかもしれないが、バイクを前にした時の凛とした美しい姿や、雰囲気が、瑞樹と良く似ている、と感じた。

 郁は、KTMにまたがると、綿貫の方を見て言った。


「綿貫君、乗って!」


「はい!!」


「しっかり掴まってて、行くわよ。絶対手を離さないこと」


 綿貫は、郁の後ろに乗ると、郁の背中に手を回した。


「はい!!」


 ブォン!!


 郁が、勢いよくバイクを走らせた。

 こうして、瑞樹たちだけではなく、綿貫たちも、現場に向かったのだった。







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