第36話 初心を思い出す
車庫から出ると、一さんのスズキのエンジン音が聞こえたが、一さんが乗っているような、音ではなかった。
まだ、切り替えや、速度にも慣れていない雰囲気のたどたどしさを感じた。恐らく今は、低速走行の練習をしているのだろう。
そうなると、このバイクに乗っている人物は一人しかいない。
「へぇ~低速してんのか……いい音じゃん。綿貫君バイク乗れたんだ」
斎君が、嬉しそうに言った。
「うん。凄いね」
私も斎君の言葉に頷いた。
エンジン音は、まだ遠い。
私と斎君は顔を見合わせると、車庫に向かった。
そして、ジャケットを着て、ブーツを履いて、ヘルメットとゴーグルを付けた。
私は、カワサキに、斎君は、ヤマハに乗って、2人で綿貫君の練習している場所に飛び出した。
私のエンジン音と、斎君のバイクのエンジン音が心地よく響いた。
本当に楽しい。
そして、私たちは、すぐに綿貫君と一さんがいる場所についた。コーンが置いてあったので、もしかしたら、今日はブレーキ訓練と、ジグザク走行までしたのかもしれない。
綿貫君の重心は随分と安定していた。
私たちは、バイクを停めて、一さんのところに移動した。
「おかえり~~」
一さんが嬉しそうに出向かえてくれた。
「ただいま~~」
「ただいま戻りました~」
斎君と2人で、一さんにあいさつをした。
「綿貫君、凄いね。もう、低速運転やってるんだ」
私の言葉に、一さんが嬉しそうに言った。
「ああ、綿貫君も、瑞樹や、斎と一緒で、素直だからな~。素直なヤツってのは、本当に上達が早いな……」
一さんは、どこか眩しそうに、綿貫君を見つめた。
綿貫君を見ていると、私もすみれさんと、一さんに見つめられながら、バイクの練習をしていた幼い頃を思い出した。
「なんか~懐かしいな~。俺もここに来たばっかりの頃、一さんと、すみれさんにこうやって教えて貰ったな~~」
斎君も同じことを思ったようだった。
すると、一さんも嬉しそうに笑った。
「俺もだ。みんないいバイク乗りに育ったもんだ」
きっと一さんは、たくさんのバイク乗りを育てて来たのだろうと思う。
最近では、全く乗らないが、私の母も、父も、一さんとすみれさんにバイクを教わった。
そういえば、駒江先生も、一さんたちに、バイクを教わったと言っていた。
さらには、私に、斎君に、綿貫君。
他にもまだたくさんの人が、一さんにバイクを教わったのだろう。
そう思うと、私はやっぱり、バイクに乗ることは手は抜けないと思った。
私がいい加減に、バイクと向き合って、一さんと、すみれさんという一流のライダーの顔に泥を塗ることなど出来ない。
ブオン!!
ずっと聞こえていたエンジン音が止まった。
「工藤、斎君、おかえり~」
綿貫君がヘルメットを外しながら言った。
なんだか、昨日よりも、たくましくなったように思えた。
「ただいま~~、綿貫君、低速運転、凄いじゃん」
「いや、全然だよ。低速難しい~~」
「ははは、だよな」
斎君が楽しそうに笑いながら言った。
「ねぇ、斎君。低速運転見せてよ。一さんに『斎の低速運転も見せてもらうといい』って言われたんだよ」
「あはは、いいよ」
斎君は、バイクに乗ると、低速運転を見せてくれた。
本当に、斎君は身体の重心がしっかりとして、素晴らしい。
どれだけ、斎君が丁寧に、真摯にバイクの練習してきたかが、わかって胸が熱くなった。
ブオン!!
斎君が低速運転を終えて戻って来た。
「やっぱりスゲェな、斎君!!」
綿貫君が嬉しそうに笑っていた。
「うん。低速運転、死ぬほど練習したし」
斎君は、胸を張りながら言った。
確かに、斎君は、私が呆れるほど、低速運転をしっかりと練習していたのだ。
今、思えば、どんな場合でも走れるような感覚を養うのなら、低速運転の訓練は大切だ。
「私も基礎から、やりなそうかな」
小さな声で呟いたのに、一さんには聞こえていたようで、一さんが笑いながら言った。
「いいんじゃないか? 基本に戻るのも大切だぞ」
「うん!!」
私は、その日、陽が落ちるまで、低速運転を練習したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます