第34話 それぞれの挑戦(5)
次の日。
私は、胸の中にあるモヤモヤを吹き飛ばすために、日の出と共に、バイクに乗った。
カワサキのエンジン音は、私の頭を空っぽしてくれる。
幼い頃から、一さんに刷り込まれた言葉。
『バイクに乗ってる時は、バイクのこと以外を考えるな』
それは、すっかり私の心と、身体に刻み込まれている。
しばらく、すると斎君のバイクが見えた。
どうやら、斎君もバイクに乗っているようだった。
私たちは、時間ギリギリまでバイクに乗って、林業研修に向かったのだった。
林業研修は、とても楽しいものだった。
夏生さんは、『なぜ、このようなことをするのか』『どうしてこんな作業が必要なのか』
なぜ、なぜ、なぜ……と作業の理由を説明してくれた。
参加者の中には、それにうんざりしている人もいたが、私は、なぜと理由を聞いたりする方が理解出来るので、夏生さんの説明はとても有難いと思った。
新しいこと知るのは、本当に楽しい。
一日中、みっちりと研修を受けて、私と斎君は、ハイエースの乗った。
研修の場から、家までは30分程だ。
行きの車の中は、私が知らない場所を運転したこともあって、緊張していて、あまり覚えていない。だが、今は、斎君が運転してくれている。
朝にバイクに乗って、研修を受けて、疲れていたこともあって、眠気が襲ってきた。
「ふぅ~」
眠くなって、息を吐くと、斎君がいつもと変わらない様子で言った。
「瑞樹ちゃん、眠いなら寝ていいよ」
昨日、斎君に結婚のことを言われたが、斎君は全くいつも通りだった。
やっぱり、斎君にとって、私との結婚は特に問題になるということでもないのだろうと思う。
「ん~。じゃあ、ちょっとだけ」
「おやすみ」
私は、静かに目を閉じた。
バイクに継続的に乗り続けるために、一さんと、すみれさんと、父に『安全運転』を徹底的に仕込まれた斎君の運転は、かなり安心感があり、心地がいい。それだけではなく、斎君の隣はどこかほっとする。
そう、斎君の隣は居心地がいいのだ。
私は、斎君の運転する心地よい空間の中で、昨日、斎君の結婚を待っているという発言も、綿貫君から告白も忘れて、ぐっすりと眠りについたのだった。
◆
斎は、自販機の前の少し広くなったスペースに車を停めると、ハンドルに頭を付けて、溜息をついた。
そして、隣で「スー、スー」と寝息を立てている瑞樹を困ったように見つめた。
斎は、昨日の瑞樹の言葉には、かなり堪えていた。
てっきり、自分では、瑞樹への想いは、彼女に伝わっているはずだ、とそう思っていたからだ。
ところが、瑞樹は綿貫に向かって、信じられないことを言い放った。
『斎君も、誰かを好きになったこと……ないと思う。ただ、私と結婚すれば、ずっとバイクに乗れる環境にいられるって思ったんだと思うよ。斎君も、私と一緒でバイクしか興味ないし……』
斎は、瑞樹の寝顔を見ながら、また頭を抱えた。
自分の想いが伝わるどころか、自分はバイクに乗れれば、結婚するのは誰でもいいと思うような自分本位な男だと思われていたようだ。
すぐにでも、瑞樹に綿貫のように『好き』だと告げたい。
だが……。
「こんな風に、俺の隣で何も考えずに寝てくれるっていうのも、嬉しいんだよな……」
斎は、瑞樹に自分の想いに気づいてほしいとも思うが、瑞樹が自分のことを完全に信用して、心を許してくれる、今の状況も守りたいと想っていた。
実は、結婚などしなくても、こんな風に、ずっと瑞樹の側に居られるのなら、それでもいいと思っていたのかもしれない。
だが、瑞樹が綿貫の元に行くと言ったら、自分は耐えられるのだろうか……とも思う。
斎は、頭をかきながら呟いた。
「俺だって、好きだよ。ずっと」
そう言うと、斎は車を降りて、缶コーヒーを買って一口飲んだ。
そして、車に戻るとまた車を走らせた。
眠っている瑞樹には、斎の言葉は届かなかったのだった。
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