第2話 過去の罪

 葵とオリオンが向かう北の街はこの世界で一番の冒険者ギルドの本拠地。そしてその街の片隅に一軒の豪邸があった。

 そこにはジルという少年とその母――沙世が二人きりで住んでいた。


「母さん、夕飯を持ってきたよ」

「……」

「母さん」

「……? 貴方、誰?」

「……沙世さんの親戚だよ。忘れたの?」

「そう、だったかしら……」

「沙世さんが病気だっていうから世話に来たんだ。ほら、口を開けて」


 沙世は認知症を患っていた。無理もない、とジルも思う。自分は生まれ落ちた時から異様な家庭環境で育った。妻一人に、その妻を監禁する夫が二人。夫二人が何度も自分を追い出そうとするのを、沙世が必死で止めてくれていた。自分はどちらかの子供なんだろうけれど、鏡で自分の黒い髪と、赤い目を見ればどちらの子供なのかは何となく分かった。物心つく前まではそうでもなかったけれど、外に出られない生活に沙世は段々病んでいった。なのに男達は「前みたいに笑ってくれ」 とか言っていた。滑稽だ。その男達も百年に一度級のドラゴン討伐に失敗し、二人そろって命を落とした。薄情かもしれないが、ジルはホッとした。これで家を追い出されなくて済む、母さんも自由になれる。そう思っていたのに、長年いれば情も湧いてしまったのか、二人の死を知った母は急速に老けて現実に戻ってこなくなった。


「美味しい? か……沙世さん」

「とても美味しいわ。ええと……」

「ジルだよ、沙世さん」

「あら、親戚に外国人と結婚した人なんていたかしら。思い出せない……そういえばどうして私はここにいるの? おうちはどこ?」

「沙世さん、今日はこの家に泊まってから家に帰る予定だよ。もう遅いし、ベッドで横になろう?」

「そう……そうね」


 赤ん坊のように世話をされる母親。……並の母親だったら、まだ14の自分のほうを世話してくれるんだろうに。そう思ったジルは慌てて首を振った。

 最初から普通じゃないんだ、うちは。恨むなら母さんをこの世界に連れてきた怪物だ。昔母さんが正気な時に聞いた。自分は異世界人で、ここには怪物によって連れてこられたのだと。そう、怪物が全ての元凶だ。

 絶対に許さない。母さんも、自分の運命をも滅茶苦茶にした。もし出会えることがあれば、復讐してやる。



 葵とオリオンは森を抜けてギルドの街にいた。活気のある街なのを見て葵はホッとしているようだ。

「こんな大きな街なら、私でも働ける場所があるかも」

「葵、働くの?」

「うん。だってオリオンさんは記憶が無いし大変でしょ?」


 は??? 葵を働かせて危険な目に合わせるとか無理なんだが???


「うっ冒険者達を見ると頭が……!」

「そんな! 大丈夫!?」

「お、思い出した。俺は昔サバイバル訓練を受けてて一通り戦いが出来たはず……」「そうなの!? じゃあ、記憶が戻るかもしれないし、ギルドで働いたほうがいいのかな」

 まあ、魔法チートで大概なんとかなるんですけどね。オリオンはさっさと登録して任務を受けようとする。

 が、その間は葵にどうしてもらうか。これが問題だった。

 森に戻らせるか? 一人で? そもそも遠いしならず者が寄ってこないとも限らないからあそこはもうやだな。とはいえ背に腹は代えられない。その日は登録だけして森の小屋に帰った。

 翌日、周囲に目くらましの魔法をかけてオリオンは出発した。まあ、たまには人間の真似事もいいかな。

 葵には家にいるように言い含めて街に向かった。一人になった葵は……。


「うーん暇だなー。元の世界では毎日やることいっぱいあったのに。叔父さん、元気にしてるかな」

 葵は年齢の割に家事が得意だ。叔父さんの汚れ物を何度綺麗にしたか分からない。得意料理は焼きおにぎり。だがそもそもこの小屋が綺麗すぎてすることがない。

 家の中にいてもすることがないので、葵は気晴らしに外に出た。家にいるように言われたけど、さすがに家の周辺くらいならいいでしょ。

 何するまでもなく家の周囲を一巡りする。自宅の環境を頭に入れて損なことはない、と思っていた。

 元の位置に戻って、こんなものかと家の中に入ろうとして、血の匂いに気づいた。

 獣か? それともまさか人なのか?

 放っておけなかった葵は匂いの元を探し出す。すると、家からさほど離れていない場所で人が倒れていた。


「大丈夫ですか!?」

「う、うう……。情けない、ドジっちまった」


 返事はある。意識ははっきりしているようだ。倒れていた人間を確認すると、自分の3つくらい上の少年だった。黒い髪、赤い目をした美形な少年だった。辺りにある折れた枝から察するに、木の上から落ちたのだろうか?


「この実は母さんの好物だから多めに取ろうとして枝が折れたんだよ。受け身を取ったから怪我はそう酷くない」

「そうなんですね。でも念のため消毒しましょう。そこに家があるのでどうぞ」

「? こんなところに家なんかあったかな。そももそも全然人の気配なんて感じなかったのに、君、どこから……」


 訝しく思う少年をよそに、葵は彼を家に招き入れる。異世界に来た時に持っていたランドセルには簡単な薬箱があるのだ。まず怪我している部分をアルコールスプレーで消毒し、絆創膏を張る。その手際の良さに少年は感心した。


「若いのに凄いね」

「そうでもないです。叔父が半身麻痺なんですけど、外出すると転んじゃうことが少なくなくて……。まあ、慣れですね」

「そうか、君も……」

「はい?」

「ああ何でもない。ありがとう。僕の名前はジル。そのうちお礼しにまた来るよ」

「ジルさんですね。私は葵です。お礼なんていいんですよ。困った時はお互い様ですから」



 ジルと葵が和やかに会話している頃、自宅に葵以外の人間の気配を感じたオリオンは慌てて引き返してきた。

 誰だよ一体。何で入れちゃうんだよ。悪いやつだったらどうするんだ。葵は変なところで警戒心がないから自分が守らないと。

 オリオンが自宅に着くころ、ちょうどジルが家から出るところだった。

 ここは俺という男がいることをバシッと教えてやらなきゃなとつかつかと歩み寄る。目の前まで来てジルはやっとオリオンの存在に気づいた。そして……。

「……!」

 ジルは目を大きく見開いた。それを自分の強さを肌で感じているからだと思ったオリオンは高圧的に尋ねる。

「どうも。この家に何の用でいたわけ?」

「怪我をして、手当てを、女の子から……」

「ふーん。弱いやつってことね。まあ見ての通りこの家の世帯主は俺だから。あの子は俺の……俺の……大事な人だから。弱っちいやつは今後近づかないように」

「……そうですか。分かりました」


 ジルは走って去っていく。もう大丈夫だという所まで来たところで足を止めた。段々身体が震えてくる。


「……あいつ、あいつ……! 間違いない。母さんの魔力と同じ……!」


 ジルは確信していた。沙世は元の世界では魔力が無かったも同然だったが、異世界に来たら急に魔法が使えるようになっていたのだという。異世界に適合したから、とも考えられるが、それよりは異世界に来る直前にすれ違った魔物が何かしたと考えるほうが自然ではないだろうか。そして沙世の魔力は、実の子であるジルにも受け継がれている。この世界の魔力は不思議なことに、波長の近い魔力と出会うと本能的に分かるのだという。かつてはこれで近親婚を防ぐこともあったとか。その本能的な感覚が、あの男と出会ってサイレンのようにジルに警告している。

 沙世と同じ魔力、沙世と同じ魔力。

 外見年齢的に沙世の両親ではありえない。親戚など異世界人である沙世に居る訳ない。昨今の流れ星は少女ばかりを呼ぶと専らの評判だ。なら、なら……。

 あの男は復讐対象だ。それにしても……。

 あの少女も連れ去れたのか? しかし男には非常に大事にされているように見える。大事に……。


 ジルの中にふつふつと怒りの感情が湧いた。


 あの少女を大事にするなら、母はどうしてあんな暮らしを強いられていたんだ? どうして母だけがあんな目に。母がそんなに価値がないとでもいうのか。同じような少女が二人いて、片方は不幸で片方は甘やかされるなんて。


 許されてたまるか。



 その日から、ジルは度々葵の家に行った。一度家に招き入れられると効力がなくなるのか、近寄ってももうオリオンのセンサーが反応することはなかった。ただ、家に入れば異物認定される。

 それを見越してジルは窓に小石などを投げて存在をアピールする。気づいた葵は疑うことなく家から出てくる。


「果物を取り過ぎちゃったからおすそわけにきたよ」

「わあ、ありがとうございます! でも家に入ってきてもいいのに……」

「だめだめ、君の保護者が心配するだろう。家に見知らぬ匂いがするって落ち着かないものだよ。僕もすぐ帰るから。また来るよ」


 そんなことを何度も繰り返せば、葵はすっかりジルを友人だと思ってくれた。それを見計らって言う。


「葵、君を友人だと思ってるから言うんだけど……」

「どうしたの?」

「僕の母親は異世界人なんだ」

「……!」

「女一人でこの世界に来てかなり苦労したみたいで、もう僕のことも認識できないでいる。その母が、最近異世界のことをよく話すんだ。でも僕には適当に相槌を打つしか出来なくて……」

「私の他に、異世界人が……」


 葵は子供だけあって発言が迂闊だ。母が異世界人なら問題ないだろうと判断したのかポロっと自分も異世界人であることを暴露してしまう。それを聞いてジルはやはり一人だけ贔屓される異世界人か、バレたらどうなるかなんて考えもしないと静かな怒りがまた募る。


「実は、前から思ってたんだ。葵は浮世離れしてるところあるから、異世界人じゃないかって」

「あ、はい。そうなんです」

「どうか母の話し相手になってくれないか? 昨日から母の容体が悪い。もう長くないかもしれない。叶うなら、今すぐ……」


 何かと理由をつけて家から出そうとしないオリオンへの不満もあった。何より同じ異世界人がここにいたという喜び。オリオンの前では出さないようにしていたが、葵も元の世界が恋しくてホームシックになっていた。それゆえに葵はジルについていった。


「ただいま~。……? 葵? 灯りもつけないでどうしたの? 寝てるの?」


 家に帰ったオリオンが目にしたのは、真っ暗で空っぽな家と、「同じ世界の人のところへ行ってきます」 という葵の書置きだった。

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