第6話 親ガチャ

 さて、長々と子ども時代を端折って書きはしたが、いい加減暗くなるばかりで眠気も訪れないしタイトルの話にしよう。


 親ガチャはある。


 実に時代を象徴するような造語ではないか。


 そして実に現実的である。


 先の話の通り、僕の人生は極底辺では無かったかも知れないにしろ、並よりも下であったと言える。


 言うさ、本人がそう思ってるんだから。


 離婚する前からたびたび母親が家出なんかするか?


 体操服が違って、その他もろもろも違ってイジられるのは楽しいか?


 転校した先で友だちを作っても遊べない子ども時代が楽しいか?


 長期休みに何をしてましたかって質問に家業の手伝いと答えて褒められても嬉しいと思うか?


 離婚した父の孤独死した遺体と対面した気持ちが分かるか?顔も、覚えていない自分への絶望感が、分かるか?


 やけに、子どもの頃の記憶が少ない自分が、幸せでは無かったのだろうと何度振り返っても、そうとしか思えない。記憶に蓋でもしたかのような自分は幸せだったか?


 何も、何も、何も、幸せとはほど遠い。


 恋愛さえ、もう出来ない。


 幸せを信じられないから。付き合う妄想の前に別れるイメージしか出てこないから。


 結婚に幸せはついてこない。壊れる未来ばかりが想起される。だって、僕に見せて、体験させて思い知らせたのはそういう家庭だったから。


 親ガチャはある。


 そして、僕は同じこの言葉を違う角度で使いたい。


 親ガチャはあるぞ、と今子どもを持つ親に対して。


 子どもは親を選べない。でも親は子どもを捨てられるのだ。極論ではあるが。


 そんな子どもにとってあなたのレアリティはRか?SSRか?それとももっと上の?


 最近のソシャゲの知識のない僕は余り知りもしないので余り上手いことも言えないけれど。


 親ガチャという言葉を、子どもの戯言と否定するのは簡単だよ。大人の方がお金持ってて、物知りでパワーもある。


 でも、今のあなたが築いている家庭のレアリティはどれほどですか?


 まあ、特別裕福であれとは言わない。


 けれど、子どもには世界にはこんなに沢山の色があるんだって、希望にも夢にも溢れているんだって思わせられる家庭を築ける親であってほしい。


 少なくとも僕のようにモノクロで面白みもない、“普通”とガラスで隔たれた部屋で指咥えて見てるしか出来ないような子どもにはしないであげて欲しい。

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