法と秩序

――王国歴1484年 4月 決戦二日目 エレンス山麓


 ムーアとルドルの戦いは、苛烈を極めた。


 ルドルは、不規則にカタナの軌道を変え、ムーアを翻弄しようと攻撃を行うが、ムーアはそれをギリギリで躱す。ムーアも反撃を試みるが、加速したルドルには当たらない。更にムーアは、この距離であれば飛ぶ斬撃魔法は来ないであろうと考えているものの、自身の発動した魔法を解除することができない。

 正確には、解除を行う間がない。解除動作をすれば忽ち切り捨てられる状況にあり、ムーアは魔力を消費しながら、ルドルの攻撃を躱し、なんとか反撃の手立てを模索していた。

 ここにきて、ルドルは全身を強張らせ血中魔法に更に全力の魔力を込めた。この時点で、付近から戦闘を横目で見ていたムーア隊の目には、ルドルの手元すら見えないほどの速度であった。


 しかし、ルドルは僅かに焦りを感じ始める。


(超高速で繰り出される斬撃を、この男は躱している。こいつは、魔法すら使わず、私のカタナを避けている……!)


――キンッ!


 唐突に鳴った金属音は、ルドルのカタナにムーアの剣が僅かに当たった音であった。


「なにっ!」


 ルドルは驚き、思わず声をあげる。


「血中魔法を相手にしたのは初めてだが、良い魔法だな」


 ムーアは、当たり前のように剣を当てたが、全力のルドルが当てられた事は生まれて初めてであった。

 戦場は既に終結しており、ムーア隊がぞろぞろと二人を取り囲むように集まってくる。


「バトルマニア過ぎるよなぁ、頭は」


 カールが呆れて、腕組みをしていると、周りの仲間達も頷いた。ムーアは、最初は相手の攻撃を受けたい、という悪癖があり、受けて返すということに、戦闘美学を感じる気質があった。戦闘において、後手に回るリスクでしかない悪癖が、結果として、慎重な戦い方を生み、攻撃を受けることで人一倍経験を積むこととも相まって、ムーアの実力を増強させる結果となる。

 三分も打ち合いが続いた頃、ムーアの剣がルドルを捕らえ始めていた。ルドルの着ている隊服に切れ込みが入ると、益々ムーアは追い込みをかける。更に二分もすると、ルドルの魔法など最初から無かったのではないかと、思うほどに対等に斬り合いを始めた。これは、ムーアの速度が上がったのではなく、ルドルの速度が下がったのだ。

 厳密に言えば、ムーアがルドルの攻撃を読み、次に来るであろう斬撃を剣で捌いている。ルドルの剣術は連続性のある攻撃を強みとしているが、それ故に初太刀に癖があり、ムーアはそれを見極めていた。出鼻を挫かれる度に連続性が失われ、結果として速度が落ちている。ルドルも、それに対抗してより多くの魔力を注ぎ込もうとした矢先。


ルドルの顔にピシリと、ヒビが入った。


「くそ、こんなところで……!」


 既にオーバーフローであったルドルは、全身が石灰化しつつあった。後ろに下がる息の上がったルドルを見て、ムーアはそれを追いけかけない。


「なめているのか?」


 追撃がこないことがわかると、ルドルはムーアに尋ねる。ムーアは、剣を下ろすとそれに答えた。


「いや、これ以上戦う意味があるのか疑問に思ってな」

「何を言っている?」

「既に、ミクマリノが壊滅したということは、この場の脅威は無いはずだ。俺たちも、あの大層な石にお前らが近づかなければそれでいい」


 ムーアは、護封の祠を見ながら続ける。


「仮にバーノン大王がここに来て、石に何かしようとするなら、その時が俺たちの決戦でいいんじゃないか?」


 たまらず、周りで円陣を組んでいるカールが口を挟む。


「なーに言ってんすか! お頭ぁ! そんなことしたらバーノンが野放しになって、えらいことになりますぜ!」


 ムーアは、慌てるカールの発言を一言で片付ける。


「いいんだ、黙ってろ」


 不思議に思うルドルは、ムーアに尋ねる。


「それでお前になんの得があるっ!」

「さあな、今日の寝つきが良くなるとかか?」


 ムーアは、あっけらかんとした様子で言った。


「やはりなめているな、俺は俺の法に則り、貴様らルストリアのゴミ共に天誅を下す!」


 ルドルは、これまでになく激昂する。そしてカタナを再び構えると、ムーアに言った。


「名を聞いていなかったな、ゴミ」


 それを受けて、ムーアは答える。


「聞くなら自分から名乗れよ、カス」


 ルドルは、深呼吸すると、ムーアを見つめ、高らかと名乗った。


「俺は、ルドルだ。リーベ村のルドルだ!」


 ムーアは、ロングソードを片手に構え、不敵に笑うと名乗りを上げた。


「いいねぇ、俺はムーアだ。完全無欠、スラム街最強の男、ムーアだ」


 二人は、あえて軍務における肩書きを言わなかった。それをここで言うのは、なんとなく無粋に感じたからで、二人は何か通じるものがあった。


 二人の男の衝突は一瞬であった――。


 最高速で踏み込んだルドルはムーアの胴を横なぎにし、ムーアはそれを紙一重で捌き、その流れを利用してルドルの首筋に目掛けて深く切りつけた。

 その場で跪き、大量に出血する首筋を、石灰化した手で抑えながらルドルはムーアに問いかける。


「法とはなんだ! 秩序とはなんだ! ムーア!!」


 ルドルはムーアを見つめる。


「答えろ! 私には必要なことだ」


 短い沈黙のあと、ムーアは答えた。


「法も秩序も、が生み出した只の言葉だ。それ以上でも以下でもない」


 ルドルはムーアの前で初めて笑った。


「お前のような答えをした軍人、初めてだ」


 ムーアも少しだけ笑い、真っ直ぐな目でルドルの目を見つめる。


「何故、あの時、村に来た男がお前じゃなかったんだろうな……」


 ムーアは、リーベの惨劇を知っていた。そしてルドルが、あの惨劇の被害者であり生き残りであると悟った。


「ルストリアに来て、裁きを受けろ。全ての出来事を明らかにして、誰の何の罪にお前が苦しんでいるか、お前が本当の意味で助かる道を探すんだ」


 ルドルは、カタナを持ち上げようと手を伸ばしたものの、指先からボロボロと崩れていってしまった。石灰化は、肩口にまで上り、全身がパキパキと音を立ててひび割れていく。


「……俺の罪は、お前に裁いてもらいたい。俺は……人を殺した、何人も何人もだ」


 ルドルの魔法は既に制御が効かず、全開の血中魔法は、地表に自身の血液を走らせ、血で作った逆さのつららが大地に生えていく。ルドル本人は、加速度的に全身をヒビが走り、皮膚が灰色に染まっていく。

 恐らく、あと一分も持たずにルドルの体は崩壊してしまうだろう。しかし、ムーアは崩壊を待ったりはしない。剣を握りルドルに近づいていく。


「かかってこい、ムーア!」


「お前の罪は、これにて終幕だ」


 ムーアは、剣を振り上げルドルの首を目掛けて、力強く振り下ろした。まもなく、頭を失ったルドルの体が完全に石灰化し、崩壊すると、一緒に消えていった。



『あと少し早く村に戻っていれば、結果は変わったかもしれない』


 そう嘆き続け、加速を羨望せんぼうし続けた男の生涯は、幕を下ろした。


 

その後、ムーア部隊は辺りも暗くなってしまっていたため、近場の水辺で野営を行った。

 ムーアはここで、祠を守るための人員を割くこととなる。何者かにこの祠を占領されてしまうことがあってはならない。ルドルを襲ったミクマリノ軍は、何か別の思惑で動いていたのではないか、とムーアは考えており、この場にミクマリノですら近づけないようにカールに言いつけると、ムーア隊の半数をここに残し、バーノン大王の元へ再度進軍を開始した。


 エレンス山を後にしたムーア率いる本隊は、西へ向かう。

 エレンス山から、北西に向かうことで最短でスルト城に向かうことが出来るが、様々な勾配がある森林や、流れが急な川を越えなくてはいけないため、隊を率いてスルト城に向かうには、一度西へ真っ直ぐに向かってから、軍人街と呼ばれる城下町を北に進みスルト城へ向かう必要がある。


 しかし、この先の村でまたしても争いの臭いが立ち込めていた――。

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