灰の復讐者

――王国歴1484年 4月 決戦二日目 スルト領土


 翌日、早朝からムーア隊は護封の祠を目指し北上を開始した。チュチョの村からはラノラス平原を抜ければ護封の祠まではあと一息である。

 途中、スルト兵と交戦するミクマリノ軍の姿がちらほら見受けられたが、そうなってくると、益々護封の祠の状況に不安を感じたムーア隊は進軍の速度をあげた。


 ムーアは護封の祠の状況について、三つの可能性を考えていた。


 一つは、何事もなくスルト軍とミクマリノ軍で祠を守っている。この可能性はミクマリノとスルトの抗争が始まっていることから可能性はかなり低い。

 その次の可能性は、既にバーノン大王がここを訪れており、ミクマリノ軍と戦闘している。この可能性は低くない。ミクマリノのヘルドットがここを守っているとは言え、バーノン大王と親衛隊の相手は荷が重い。

 そして、最後の可能性として、ミクマリノが護封の祠を制圧、占拠している可能性。この場合は、ムーア、ひいてはルストリアにとって最悪のケースである。


 この大陸中が混乱の中で、ミクマリノが原魔結晶石を手中に二つ抱えているという事は、ルストリアが常に後手に回される要因となりかねないからだ。どのパターンにせよ、原魔結晶石の確保を行うことが、ムーアの仕事になる為、行ってみなければわからないだろう、と進軍を続けた。


 エレンス山が近づいてくるにつれ、その麓から黒煙が上がっているのが見えてくる。平和的な解決の可能性がある状況では無いことは確かであった。

 ムーア隊が、護封の祠に到着すると、破壊された砦の前でスルト兵とそれを率いるルドルがカタナを構え、こちらを向いて立っていた。ヘルドットの姿はどこにも見えない。


「なーんかヤバい雰囲気だな」


 カールは額に手を当て覗き込むような姿勢でムーアに言う。ムーアは、目を細め怪訝な表情でルドルを見ると、落ち着いた声でゆっくりと言った。


「進軍、開始だ」


 昨夜、軽口を叩いていたムーア隊の隊員は、一斉に真剣な顔つきになると、足並みを揃えて祠へと進軍を始めた。

 ルドルが率いる小隊は、歩兵百名に加えエスパーダが二名であるが、最初から祠を守護していた砦の中の兵が加わると、人数は一千名に満たないほどになっていた。対するムーア隊は八百名と、スルト軍に比べ、やや少なかったが、ここへ到着するまで、国境での戦闘、チュチョでの戦闘を行ったが、ただの一人も欠けてはいなかった。


「今度は劣等民族、ルストリアのグズがお集まりか」


 隊の先頭にいるルドルは、カタナを血振るいすると迫るムーア隊に向かって構えた。左右にいるエスパーダは、それに合わせるように杖を構えた。

 ムーアの率いる兵士にも、ルドルが率いる兵士にも弓兵はほとんどおらず、互いの声が直接聞こえる距離まで移動すると、少しの沈黙の後、二つの隊は激突した――。



 ルドルは、ラミッツ辺境の村リーベで生まれ育った。

 リーベは、世界の情勢から隔離された辺境の小さな村でありながらも、自給自足が成立している活力のある村であった。だが、王都で若者を支援する法律が制定されると、リーベの若者は行商人からそれを聞きつけ、こぞって王都に向かい、過疎化の一途を辿ってしまう。


「お前は王都に行かないのかい?」


 そう聞いてきた祖母に、二つ返事で「行かない」と答えたルドルは、この地に骨を埋めるのが、自分の人生だと思っていたし、納得もしていた。また、村長の娘とは恋仲であり、将来を約束した間柄でもあった。

 村の若手が次々といなくなると、猟を行う者が減り、村は徐々に貧しくなっていった。更に、それに輪をかけるように、両手足が黒く爛れる病が村で流行した。

 村に治療院や、医療に携わる者は一名しかおらず、王都に助けを求めたいが、外貨がない。民間療法により、治療を施すものの、効果はほとんどなく、力のない老人が次々に倒れた。


 ある日ルドルは、村の特産品であるカタナを蒐集しゅうしゅうしに来た王都の富豪を見て、王都に向かい直接売りに行くことを決めた。閉鎖的な性格の村長は最後まで反対したが、鍛冶屋の店主に無理を言って十本打ってもらい、それを受け取ると王都へと向かった。

 王都へは、徒歩で向かった。常人では片道一週間以上かかるラミッツ王都への道も、大自然で鍛えられたルドルの足にかかれば、五日ほどで到着し、一日かけてカタナを売り捌いたあと、治療院で薬をもらい、カタナを持っていない分軽くなった体で、四日で村へと帰ってきた。

 ラミッツの商人に売り叩かれてしまい、想定の半額以下の金にしかならなかったが、ルドルが元々腰に刺していたカタナを除いて全て売ることが出来、村民全員に行き渡るほどの薬を買うには十分な金額を集めることが出来た。


 薬が入った箱を大切に抱えたルドルが、イーワン大森林を超え、リーベの村へ向かう吊り橋に差し掛かろうとしていた時、数名のルストリア騎馬隊がルドルを追い越していった。

 軍関係者が村を訪れることなど年に一度あるかどうかといったところなので、不審に思ったルドルは、その後を追った。


 そして、吊り橋に着いたルドルは信じられないものを目にする――。


 村からは、黒煙があがり吊り橋は落とされていた。ふと横を見ると、先日カタナを買いに来ていた富豪が、立っており近くの軍人にこう話していた。


「早いうちに手を打っていただいて助かりました!」


 それを受けた、恰幅かっぷくの良い初老のルストリアの軍人が、「国の安全を確保するのも我々の仕事ですから! 私、ルードヴィヒが駐屯基地にいる限り、ラミッツは安泰です!」と笑顔で答えた。


 近くにいる兵士達がひそひそと会話をしている。


「あの村に、まだ病気にかかってない者もいたんだろう?」

「しっ、聞こえたらえらい事になるぞ。先日、進言したホランドとか言う若造がどうなったか、お前も知ってるだろう」

「もう貰う物もらっちまってるんだから、既に俺達も同罪なんだ」

「どちらにせよ、あの火の手では助かるまい」

「あの疫病が、王都までやってきたら、相当数の被害が出る。これが正しい判断だろうよ」


 ――この日、ルドルは初めて人を殺した。


 薬箱をその場に置くと、カタナを鞘から素早く抜き、一番近くに居た富豪の男の喉を掻っ切った。続け様に二人の兵士の首筋を切ると、ルードヴィヒに突き飛ばされた。

 ルードヴィヒが魔法で火球を複数召喚したのを見て、ルドルはその場を逃げ出し、落ちた吊り橋のある断崖絶壁に、薬箱を持ったまま飛び降りた。ルードヴィヒは、逃げるルドルに向かって火球を射出したが、当たることはなかった。この行動により、ルドルは国から追われることになる。

 ルドルが飛び降りた断崖絶壁は、高さ二百メートルほどあり、下は湖になっている。ツィーリー湖と呼ばれるこの湖は、深さが五十メートルほどあるものの、湖の底の地形は高低差があり、更には複数の遺跡が水没していて、建物の一部が水面から露出している。

 ルドルは、崖に自生している木を掴み勢いを殺しながら落ちていき、建物のある場所は避けて着水したが、全身の骨を複数折り、着地の衝撃で気を失ってしまった。


 目を覚ますまでに三日を要し、全身の骨も折れているため、起き上がることは出来なかったが、自分の体が何者かに手当されていることはわかった。目だけは動かすことが出来るので辺りを見回すと、自分と同じくらいの年齢の眼帯の青年が、ボロボロの衣服を纏って、ヘラヘラしながらこちらに近づいてくる。


「やあ、目が覚めたか? 体調はどうだい?」


 返事をしようと思ったが、呼吸がうまく出来ず声が出ない。


「ああ、ごめん。返事なんかしなくていいよ。で、君、自殺したの?」


 聞かれたので、答えなくてはと思い、声を出そうと努力したが、やはり出来なかった。


「三日も寝てたからね、少し休んだら声も出るんじゃない? もしかして、君、訳あり? それなら嬉しいな。僕もちょっとややこしい事で、いろんなものから逃げてるところだから」


 ルドルは三日も寝ていたことを知り、何とか体を動かし、リーベへ向かおうとした。


「しょうがないな……」


 そう言ったボロボロの青年は、近くにあった岩の影から真っ赤な液体が入った小瓶を取り出し、ルドルの口の中に無理矢理注ぎ込んだ。

 すぐに激しい動悸と酷い頭痛がルドルに訪れると、そこから丸一日のたうちまわった。眼帯の青年は、そんなことは気にせずに、近くで魚を釣って焼いて食べたり、眠ったり、何事もなかったかのように生活をした。時折、先程の小瓶を使って水を汲んできて、ルドルの口に注ぎ込んだ。


 そして、丸一日経つと、ルドルは体を捩れるくらいには回復した。


「お前よくも、やりやがったな!」


 ルドルが開口一番、眼帯の青年に言った。青年は、相変わらずヘラヘラしながら言う。


「感謝してほしいくらいだね。僕の最後の回復薬だったんだからさ」


 ルドルは、状況把握する為に身をよじり、辺りを見回すと、どうやらここは、断崖絶壁の一番下、湖の傍にある洞窟のようだった。そして、先程は気がつかなかったが、向かいの青年をよく見ると片腕が無かった。


「俺は、この上のリーベに帰るんだ!」

「あ、そう。ご自由に」


 ルドルは、自分で立つ事すら出来ないので、芋虫のように這って、洞窟から出ようとした。


「それ、マぁジぃー? お涙頂戴とかじゃなくマジでやってんの?」


 ルドルに向かって、眼帯の青年は声をかけるが、ルドルはそれに対して反応を見せない。必死なルドルを見て、やれやれと言う様子で、青年はルドルの前に立ちはだかった。


「片方の腕は無いが、肩くらいは貸せるぜ」


 ルドルは、近くの岩場を伝い、何とか立ち上がると、自己紹介をした。


「俺の名前はルドル。そっちは?」

「僕はアン。ハーマン・アンだ」


 二人で休み休み二日間かけて、リーベへ向かう。道中、広い崖を見つけると、アンが仕込んだ干し魚を食べ、竹で作った水筒に入れた湖の水を飲んだ。そして、ついにリーベへ到着する。

 リーベは、全ての建物が木造であったこともあり、文字通り消し炭になっていた。


 生き残りが居ないか、辺りを見回すが人の気配が無い。そして、村で一番大きな村長の家があった場所に行くと、そこで村民全員がまとめて焼かれたことを知った。

 ルドルは、せめて自分の中で皆が生きるようにと、近くにあった灰を口に含むとそれを飲み込み、リーベの村を後にした。


 その一ヶ月後、ルストリア駐屯基地のルードヴィヒは、アンの巧みな情報操作により、全ての汚職が公になり逃亡。亡命しようと、シーナに向かっていたところをルドルの手によって殺害された。

 前代未聞のルストリアの汚職は、大陸の一大ニュースになったが、半年もすれば誰もが忘れてしまった。聞くところによれば、その後リーベ跡地に物好き達が住み着き、村を復興したらしい。ラミッツの華やかな王都が、性に合わない者達の仕業だそうだが、ルドルには興味のない話だった。


 その後、アンの豊富な人脈により、スルトへ亡命をする。力がものを言う、スルトという国で、ルドルが目をつけられるのには、時間は掛からなかった。


 灰の復讐者ルドルは、暗い闇に潜り、法を謳う人間をひたすらに殺し続けていく――。

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