ガラガラガラ
――王国歴1484年 4月 決戦二日目 シャングア遺跡
ホランドの計略により砂漠化した街道を避けて、スルト軍は闘技場の中を通るルートを選んだ。
この判断は、闘技場に誘い込まれていることは承知の上であったが、砂漠化した街道は、左右に背の高い建築物があった。またしても建物を壊され部隊が潰されるのを恐れるアンは、この道以外に選択肢が無かったのである。
闘技場は、発掘途中であるため観客席も、ところどころ土に埋もれており、石畳が見え隠れする不定形な地面も、戦闘に不向きな環境であった。
観客席は、一般的な建物で五階ほどの高さであり、動員数は推定で十万人を超えるとされている。その観客席には、弓兵や魔導兵士が配置され、スルト軍の到着を待っている。
入り口は、比較的広く作られているがそれでも、忘却の街くらいの幅で、スルトからすれば、闘技場に入った瞬間に狙い撃ちにされてしまうことは明白であった。そこで、アンは戦況を変えるべく、とっておきを派遣した。
王直属部隊エスパーダ、そしてバルグである。
エスパーダ達は迅速に闘技場の壁面に魔法陣を描くと、バルグはすぐさま「大王の怒り」を発現。相当に分厚い闘技場の壁にぽっかりと大穴を開けた。
あまりにも激しい火柱と、熱風に兵士達は呼吸が出来なくなったのではないかと錯覚するほどであった。ユークリッドは、ホランドを熱風から守るべく、仁王立ちをする。
「大丈夫っすか!」
「ああ、問題ない。しかし、やはりここで使うか」
ホランドの計算の中には、大王の怒りに対する懸念が多く含まれていた。高火力、広範囲の魔法は、魔導兵士戦であろうが、白兵戦であろうが戦況を大きく変える、決め球のようなものである。
爆発した闘技場の反対側に本陣を置くホランドは、前に出て直接確認しようと身を乗り出すが、ユークリッドにそれを止められた。
「二発目が来るかも知れないっす! もう少し隠れてるっす!」
「いや、二発目はない。この魔法を使う者は、やはり何かしらの制限を受けている。広範囲、高火力となれば、魔法の発動条件もさぞ厳しかろうと思っていたが、今確信に変わった」
現在爆破された闘技場の入り口付近には、兵は配備しておらず、弓兵は収まりつつある爆炎を目掛けて矢を放った。放った矢は木製で、爆炎に飲み込まれると次々に燃えて下に落ちてしまうが、この矢の中にシャフトまで鉄製の少し細い矢を紛れ込ませている。
爆炎により視界が悪くなっているのは、スルト軍も同様であり、今から突撃しようとする先頭の兵士達にこの矢が当たった。その状況を見て、スルト軍は闘技場に突入することを躊躇した。
その様子を見てホランドは、ユークリッドに説明をする。
「またしてもスルト軍にとって意外なことが起きたな。爆炎に
スルト軍は、矢がおさまるのをしばらく待つ構えであったが、一向に矢の勢いが衰えることはない。この重い矢は上手く狙えず、羽根は炎で焼かれて途中で落下してしまうが、重力加速でもって熱された鉄の礫となり、十分な攻撃になっていた。
これは、商売の国であるラミッツ中の矢を、第一防衛ライン崩壊までに集めきったユークリッドの功績と、スルトの第二防衛ライン到達の際に、武器商会から突然寄贈された大量の弓と矢によるものであり、現在の本数を見ると三日三晩矢を放っていたとしても、底をつくことはない量がある。
「これ、なんだかイケるんじゃないか? このままあそこに撃ち込み続けて、日没を待てばっ!」
「ああ! 国に帰ったら俺たちは英雄だっ!」
そんな会話も弓兵の間で行われるほどに、事前に聞かされていたホランドの作戦通りに事が運んでいた。辺りは、爆炎で上空に巻き上げられた瓦礫が粉々になりパラパラと降り注いでいる。
――ボタっ。
先程、明るい未来を語っていた弓兵の背後に何かが落ちる。
背後を咄嗟に確認すると、先程の爆炎に巻き込まれ空に舞い上がった、何者かの頭部が半分になって地面に叩きつけられたらしい。グロテスクな様相に、一瞬戸惑ったが、戦場ではそのような光景は当たり前のように起きる為、弓兵は引き続き弓を手に取った。
「よおぉ」
「ん? なんか言ったか?」
一人の兵士が聞く。聞かれた兵は「いいや」と短く答えたが、次の瞬間には視界があらぬ方向に向き、自分の首が折られたと気がつく頃には、地面にうつ伏せになっていた。
ガラガラガラ――。
またもあの乾いた笑いが鳴り響く。周囲の兵士が、ボルグに気がつくと、すぐさま弓を構えた。
「おっせぇよ」
ボルグは低い姿勢で獣のように兵士に飛びかかり、一人、また一人と殺害していく。西側の観客席をボルグが蹂躙し始めたころ、東側の観客席には、凄まじい速さと威力の矢が連発で打ち込まれていた。
その威力は、石造りの観客席に矢の半分以上が突き刺さる威力で、それを撃っているのは、倒壊した入口にいるバルグであった。
バルグは、愛用の強弓を使用し、こともあろうかそれを連射した。これを見た兵士は、弓による射撃というよりも、何かの魔法による爆撃のように感じるほどの威力と轟音であった。
左右対称の闘技場内の両端には、両軍の歩兵が隊列を組み陣形を成していた。スルト軍はガーラントを先頭に三万人の歩兵が並び、ラミッツ側はクロードを先頭に二万八千人の歩兵が並ぶ。
ホランドは、ブラムスの話を聞くとクロードを後方待機に回すことを考えたが、チラリと見えたクロードの真剣な眼差しに燃えるような意志を感じた為、再度前線に出すことにした。
ガーラントは、クロードを見つけると、とても高揚した様子で笑う。
「はっはっはっ! 再びかっ!」
クロードに声が届くような距離ではないので、結果的にクロードが無視をしたような形になったが、恐らくその挑戦的な発言をその耳に聞いたとしても、反応することはなかっただろう。
クロードは、非常に落ち着いていた。ブラムスを思い出しては胸を痛めるばかりであったが、戦場に立ち、敵を視界に入れると不思議と心が落ち着いた。
(頭の中を戦いで一杯にしろ、痛みも少し和らぐ。今は、それでいい)
ボルグは相変わらず殺戮を楽しんでいるが、今までの戦闘とは大きく違い、出来るだけ攻撃を躱して、体が傷つかないように戦っていた。闘技場の外側の円周には奴隷が積まれた馬車が横付けされており、これらは、ボルグの命のストックであった。
奴隷の人数は、第一防衛ラインにて八名補充したことにより契約の上限人数二十名であったが、先ほど「大王の怒り」の際に、故意的に吹き飛ばされた為、一つ減った。
ボルグは死が怖いと思ったことはない。
それは、命のストックという特殊な魔法からくる鈍さというわけではなく、幼い頃の経験から備わった考え方である。バルグも同様の価値観で、誰にも認知されていない地下牢での生活が二人にとって『死』そのものであった。
日も差し込まない地下牢で、いつも決まった番人が決まった時間に牢屋の前に立つ。夜中は躾係が訪れて、生きることに役に立つかわからない言葉を教えてくる。番人も、躾係も、誰も双子を見ておらず、幼い双子の瞳の奥に確かにある希少な魔法を見ている。ボルグ兄弟は言葉を覚えることは遅かったが、それ以上に何かを感じとっていた。
ボルグを取り囲む兵士達は抜剣し、戦闘の姿勢をとった。
だが、その誰しもがボルグという男の異常な強さに怯んでしまい、我先にと飛び込む者は誰も居なかった。ボルグの一方的な蹂躙が続く中、さらにスルト兵一千名が梯子をかけ登ってくると、たちまちに弓兵のほとんどを殺害した。
無数の死体で埋め尽くされた東の観客席に、ユークリッドが兵士二千名を連れて駆けつけたが、日が暮れ始めたのもあったのか、ボルグ達はこれを見るや否や、即時撤退。
好き勝手に暴れ、被害は最小限に抑え、東側の戦力を削ぎ落して帰っていった。アンの投じたボルグ兄弟の功績により、戦況が少し変わりつつあった――。
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