裏の裏

――王国歴1484年 4月 決戦二日目


 第一防衛ラインにいるスルト軍は、日の出と共に進軍を開始する。

 先頭は、昨日に引き続きガーラントを始めとする部隊である。ガーラントを補佐するイーガルは、参謀の一人であり、伝達係としてアンから「カンホーレン」をかけられている。また、パストルから預かった魔導書を持っており、緊急指令などがあった場合に、この魔導書を介して指示が出るようになっている。

 長年アンの側近を務めるパストルの固有魔法は、大陸内で非常に希少価値の高い「通信魔法」である。具体的には、パストルが魔力を込めて発した言葉を、三秒間だけ魔導書に文字として浮かび上がらせて伝達する。この魔導書は彼が独自に制作した物で、一冊しかない上に、更に一度使うとおよそ六時間は使用することが出来ないという条件がある。

 だが、覗き見ることしか出来ないアンの「カンホーレン」との相性は抜群で、大陸内での情報戦で右に出る者は居ない。本来であれば、この二つの通信魔法は秘匿してこそ価値があるもので、参謀とエスパーダ以外には知られていない魔法であったが、この度の戦争をより盤石なものにするために、歩兵隊を率いるガーラントにのみ、魔法の効果を開示することになった。


「アン司令官殿、聞こえていますかー!?」


 などと、アンを茶化すようにイーガルの耳に大声を出すなどして、ガーラントは「カンホーレン」を面白がっていたが、シャングア遺跡群が見えてくると、その付近を凝視しイーガルを通じて報告をする。


「報告。シャングア遺跡群入り口付近に到着した。入り口の近辺には複数の塹壕が見える。深さはここからではわからないが、幅は五百メートルはある。奥行きは十メートル超と言ったところか。これより、歩兵の進軍の号令をかけ、塹壕に対処する」


 ラミッツが今回用意した塹壕は、深さ一メートル程の穴で、兵士達はそこに身をかがめて観測係からの合図に備えた。

 ガーラントは、弓兵に合図を送ると弓兵は空目掛けて弓を引いた。弧を描きながら矢は塹壕の中へと落ちていった。しかし、ラミッツ軍も当然これを読んでおり、弓兵の背後に居た盾兵が、自身の体を覆うほどの大きな鉄の盾を空に向かって構えると、矢はカチカチと音を立てて盾に弾かれた。


「突撃ぃーっ!」


 ガーラントは歩兵に対して号令をかける。ダダダダァーっと全速力で歩兵が一気に塹壕目掛けて走り出した。塹壕の下、盾兵の援護を受けながら弓兵は、短弓を構えると、突進してくる兵目掛けて一斉に発射した。

 複数ある塹壕の中の弓兵の数は、およそ一千人。ラミッツ弓兵の使う弓矢は、弧を描き重力を使い打ち抜く矢ではなく、直線的な攻撃である。シーナの短弓ほどではないものの、矢の速さはなかなかのものであり、常人であればこれを目で追うことはまず出来ないであろう速さであった。


 ところが、スルト兵は常人ではないのだ。


 スルト兵は盾で防ぎ、剣で払い落とし、矢を受けようが突進を止めない者までおり、横殴りの矢の雨の中を進んでいく。近づかれた、ラミッツ弓兵はすかさず撤退をする。そして、一番前の塹壕にラミッツ弓兵が居なくなったことを確認すると、その塹壕から百メートル程後方にある塹壕から別の弓兵が顔を出し、先程と同じように、直線的な射撃を行う。

 これが、ホランドの一つ目の策である「波状陣」である。


 ホランドの波状陣は近接戦闘を出来だけ避ける、もしくは後回しにするという方針から生まれたものである。戦力差があるスルト軍に対して、こちらの戦力を削らずに、時間を稼ぐことが出来ると目論んでいたホランドであった。だが、スルト軍の常人離れしたフィジカルと、百戦錬磨の経験から生まれるバトルセンスにより、ジリジリと弓兵達は追い詰められてしまう。

 塹壕から塹壕への移動の際に、最初に移動する者はスルト軍への援護射撃が絶え間なく行われているため、比較的安全に移動ができる。しかし、後半に移動する者は、援護射撃がほとんど無い状態で移動をしなくてはならない為、距離を詰めてきたスルト軍に斬り伏せられていった。 

   

 これは、ホランドの失策ではなく、スルト軍の基礎能力が高過ぎることに起因する。兵を出来るだけ失わずに、耐久戦に持ち込む必要があるため、塹壕に配置された部隊はやむ無く撤退を余儀なくされた。

 しかし、この波状陣には、第一防衛ラインと同じように地形を悪化させるという意味合いも込められていたため、全くの無駄という訳ではなかった。


「はっはっはっ! 相手の軍師は小細工が好きなようだ! これならば、第二防衛ラインも楽に突破ができそうだ!」


 高らかに笑うガーラントの声を、イーガルの耳を通して聞いているアンは、シャングア遺跡群の簡易図面を開き、側近パストルと共に思案を巡らしていた。


「総司令、この先に複数の建築物があります。恐らくは、弓兵が潜んでいるものと思われますが、これを略奪し、本日の野営地とすることを提案しますが、いかがでしょうか?」


 アンとしては、とても悩ましいことである。

 高い建物は、敵の手にあると厄介なものであるが、こちらの物になれば、戦場を眺める物見櫓ものみやぐらとしても使え、更には弓兵を配置し、後方援護をさせることができる。

 しかし、敵地の真っ只中、罠が張り巡らされている可能性や、そもそも野営地として設営できないような工夫が凝らされている可能性がある。


「よし、一度ここを突破したあとで、偵察を出し、安全が確保された時点で、野営地として運用しよう。まずは、この街道が狭くなるポイントを突破することが先決だ」


 スルト軍がシャングア遺跡群の入り口を超え、最初に辿り着くのが、『忘却の街』というエリアである。

 ここは、街道がやや細くなり、慣れない行商人はここで馬車を擦る。道が狭いということは、即ち守りやすいということだ。どう頑張っても、兵士が横並びで六人ほどしか通れないこの狭い街道が、第二防衛ライン上での二つ目の戦いになる。かと思われた。


「ホランド指令っ! 波状陣が抜かれたっす! スルト軍はピンピンしてるっす!」


 ホランドは、明日以降の作戦について羊皮紙にまとめていたところ、ユークリッドから残念な知らせがきて、心底不愉快そうな顔をした。


「ユークリッド、報告ありがとう。持ち場へ戻れ」


 ユークリッドは、作戦開始前から気になっていたことをホランドに尋ねた。


「なんであんなに守りやすそうな場所に、誰も配備しなかったんすか?」


 ホランドは、忘却の街に人員を割かなかった。スルト軍は、相変わらず警戒しながらゆっくりと歩を進めていく。


「ユークリッド、策の基本は、『あるかも知れない』そう思わせることだ。相手に不要な可能性という名の選択肢をいくつも与え、脳内の整理を遅延させる、これは相手が状況を整理しにくい序盤であればあるほど、効果的だ」


 スルト軍は案の定、警戒しながらゆっくりと進む。アンは、建物に偵察を送りながら慎重に進まざるを得なかった。途中、括り罠が数個あったり、発動しない魔法陣が描かれていたり、火薬の入っていない泥人形があったりと、様々な気を引くだけの無意味なギミックが戦場に設置されており、ここにきてから緊張の連続であった。時間は既に午後に差し掛かっていた。


「どうやら、この場所は単純な時間稼ぎとして使われていたようですね」


 パストルは、アンに話しかける。アンは何かが気になる、という様子で眉間に指を当て目を閉じて考える。


「……どう考えても、建物という優位を捨てるなんて考えられない。ましてや、この道を抜けるとまた大通りになる。そうなれば、本格的な力と力のぶつかり合いになる。そこに何か仕掛けがあるのか……?」


 アンが独り言のように呟くと、偵察が入っていった一際大きな建物から、火山が噴火したかのような轟音が鳴り響いた――。

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