新たな星


――王国歴1484年 4月 決戦初日


 ブラムスが、防衛ラインの内側、スイファが居たあたりに到着したのは、ボルグが暴れ始めて三十分ほど経ってからだった。

 全身が赤黒く染まった、人の形をした何かがブラムスに気付いて、ぺたぺたと足音をたてて近づいてくる。


 ブラムスは、周囲のおびただしい数の死体はこの者の仕業であることを確信し、武器を構えた。ブラムスについてきた兵士達二十名は、恐怖に足が震え硬直していた。


「大丈夫だよ、私がなんとかする。君たちは負傷者を運ぶんだ」


 後ろの兵達を気遣い、ブラムスは優しく言葉をかけた。ブラムスとクロードが近い実力を持ちながら、冠する官に違いが出たのはこの部分であった。優しすぎる性格と、統率力の欠如である。


 ガラガラガラ、ボルグの乾いた笑いが人の居なくなった拠点に鳴り響く。


「退屈な奴しか居ねぇなぁ……なぁ?」


 足元に転がる、数十名の死体を踏みつけながら、ボルグはブラムスを睨みつけた。



 その頃クロードは、ガーラントを相手に善戦をしていた。


「おいおいおい、ここまでとはなっ! 俺の読みは間違えていなかったようだっ!」


 リーチの長い槍斧を巧みに使うガーラントは、剣術相手に負けたことは無い。しかしクロードは、そういう次元ではなかった。

 格闘術、棒術、剣術、様々な戦闘スキルの混成によって出来上がった唯一無二のスタイルは、ガーラントの行動全てに適応しており、その技術を扱う腕力も尋常ではなかった。ガーラントは、隙があれば魔法を発動し形成の逆転を狙っていたものの、そもそも隙がない。

 これほどまでに密着されてしまうと、無詠唱の魔法を習得している熟練魔導士か、ルーンを肉体に刻んだ魔導戦士でもなければ魔法を使うことは出来ない。

 しかし、クロードもガーラントに対し今までにないやり辛さを感じていた。戦闘の感覚からして、魔導士であることは間違いない、だからこそ距離を詰め、魔法を発動させないことに注力している。だが、それにしては腕力が強すぎる。それにも増して厄介なのは、その持久力であった。

 既に三十分は激しい打ち合いを行っているが、勢いは衰えず、寧ろ速度が上がっているように感じた。重い槍斧の攻撃を剣で捌き続けるクロードの左腕は、仄かに麻痺し始めていた。


――ドンっ!ドンっ!


 防衛ラインから打ち上がった花火が二回音を鳴らした。続いて、撤退の笛が戦場に鳴り響く。


 その音に気を取られたクロードは、ガーラントから一瞬目を離してしまった。ガーラントは、ザっと後ろに後退すると、ここにきて詠唱を始めた。


「我が剣は混沌より訪れる

 我が盾は風塵となり南へ流れる

 刮目せよ 黒き風

 ビスタ デ ビエントっ!」


 クロードは、妨害しようと詰め寄ったが、近くにいた兵に邪魔され、ガーラントの魔法は発動してしまった。ガーラントの持っている槍斧が黒く細い糸のような魔力を複数帯びている。


(……撤退の合図は出たが、こいつを前にそれは不可能だ――)


 クロードは、現在の大陸では最早珍しい、魔法適合率0パーセントの軍人であった。その為、魔法の発動はその雰囲気で気がつくことは出来るものの、物理的に動きが見えるような魔法でも無い限り、肝心の発動した魔法を視認することが出来ない。

 ガーラントは、慎重になり動きが遅れているクロードに一気に近づき斬撃を放つ。クロードは、その槍斧が怪しいことは理解した上で、両手で持った剣で受けた。

 剣は火花を散らし、先程と同じように激しい打ち合いが始まるかに思えた。が、クロードは苦痛の表情を浮かべ、後ろに飛び退いた。受けたはずの斬撃が、遅れてクロードの腕を切りつけていた。


「形勢逆転だな、クロード。もう気づいたと思うが、受けても無駄だ」


 ガーラントは固有魔法を二つ持っている。一つは治癒魔法。これは、元々適正がある魔法だが、戦場で使うとなると後衛に回ることになる為、基本的には使用していない。そして、今発動した魔法は後天的に習得したものであり、斬撃に風の刃が付与され、斬撃を受けた者の腕を切り裂く。

 適合率が悪い為、魔法の威力は、通常の斬撃の二十分の一ほどしかなく、かつ持続力も十五分程度であったが、膠着するクロードとの戦闘相性を打破するには十分な魔法であった。


 ガーラントが、一歩、また一歩とクロードに近づいてくる。クロードは、後退りしながらも、確実に追い詰められていた。

 その時、ガーラントの顔を目掛けて石が投げ込まれた。ガーラントは、それを軽く切り払うと、飛んできた方向を睨む。


「わ、わしたちを、救ってくれたあの方を助けるんだっ!」


 そこには、先程防衛ラインまでクロードが送り届けたゴンベンの村の老人十名ほどが一塊になり、代わり代わりでガーラントに向かって、石やらなんやらを投げつけている。


「よせっ! 逃げるんだっ!」


 クロードは、咄嗟に声をかけたが、近くにいるスルト兵に一人が斬り殺された。


「どうせ長くない命だ、くれてやるわっ!!」


 それでも投石をやめない村人達は、震えながらも戦い続けたが、当然兵士達が老人の処理に動く。ガーラントは、気を取り直してクロードの方を向き直ると、先程まで目の前にいたクロードがそこに居ない――。


「遅いっ!」


 クロードは、ガーラントの足元に潜り込み、素早くガーラントの胸と槍斧を斬り払った。胸への斬撃は鎧に守られたものの、槍斧は遠くに弾き飛ばされた。


「ちっ、まずい」


 ガーラントは命の危険を感じ、咄嗟に地面を蹴り、後方へ飛び退き武器の回収を狙う。しかしクロードは、これを追う事はなく、先程まで襲われていた村人の救助を行い、急いでその場から離れた。


「なんだ随分と甘い戦士だな……白けた。一度立て直すぞ」


 魔法の効力も切れるガーラントもまた、クロードを追う事はせず、乱れた陣形を整え、戦場の指揮官としての役割に戻る。

 

 やっとの思いで辿り着いた防衛ラインでクロードは、凄惨な状況を確認した。


 防衛を構築する木製の杭が剥き出しの状態で、様々な場所に乱立しており、その杭の先にはルストリアやラミッツの兵が、悪趣味に突き刺してあった。

 クロードの見知った隊員や、ラミッツ兵であろう者の顔が苦悶の表情で陳列されている様は、地獄と呼ぶにふさわしかった。

 

――そして……その中にはブラムスの姿もあった……。


 実の兄弟のように育ったブラムスが、今目の前で、心臓を杭で貫かれ、仰向けに虚空を見つめている。


 昨晩、酒瓶を手渡してくれたあの手は、どこかに転げ落ちてしまっている。


 ブラムスに駆け寄ると、恐怖をその目に焼きつけたままの開いた瞳を、瞼で包み、そっと杭から抜き出し、地に下ろして再び顔を見つめた……。


 今まで、死んでしまった同胞は星の数よりも多いと思っていたクロードであったが、数よりも何よりも、その質に左右される自身の感情に嫌悪感を感じながらも、ブラムスに防衛ラインに戻るよう指示したことを心から悔いた。


「すまない……ブラムス」


 今いるこの場が戦場でありながらも、複雑に絡み合った感情が全て表情に出てしまい、笑っているような、泣いているような、悲しいような、悔しいような、怒りのような、後ろめたさのような表情をして、その場で胃の内容物が全て逆流した。

 そして、次の瞬間。これをやった者への憎悪が煮え滾り、抑えられない程の震えが全身に起こった。


「……待ってろブラムス。必ずだ……必ず仇を取ってくる」


 ふと、付近にいた村人が心配そうな目をこちらに向けていることに気がつき、本来の目的である撤退を始める。スルト兵がすぐそこに迫っているため、ブラムスを丁重に弔ってやる事は出来なかった。


 亡骸を残し、クロードは噛み千切れる程に、歯を唇に食い込ませながら、戦場を後にした――。

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