乾いた笑い声

――王国歴1484年 4月 決戦初日


 戦場に鳴り響いた警告の笛の音。ラミッツ軍の扱う戦場での合図は全部で四つ。

「前進」「後退」「撤退」「緊急」

 であった。


 この状況で「撤退」ならばまだしも、「緊急」の音が鳴るということは、防衛ラインに何かが起きたことを示している。本来であれば、それを確認する為に一度帰投しなくてはならない。

 

ガーラントは、動揺する二人に投げかける。


「なんだ? 撤退の合図か? 戻らなくて良いのか?」


(基地に戻る素振りを見せればその隙をついて殺す。基地に戻らないならば、円陣を組んだこの場所で確実に殺す)


「クロード、どうする?」


 ブラムスは、クロードの近くでクロードにだけ聞こえる声の大きさで話す。


「……ここは、俺が引き受ける」


(目の前の脅威をブラムスに渡すには荷が重い。しかも緊急の笛って事は防衛ラインが襲われている可能性が高い。その障害が何かはわからないが、なら猶更にこの男をこの場で殺すことが最重要事項だ)


 クロードは、ブラムスにここに残ることを伝えると、すぐさまガーラントに向かって走り出した。二人は打ち合わせを行ったわけではないが、クロードがガーラント走り出すのと同時に部ラムスは逆側に走り出した。

 円陣を作っていた兵士たちが一斉にブラムスに飛びかかるが、ブラムスは軽い身のこなしで屈強な男たちの塊を飛び越えていった。クロードの計算の中には、ブラムスのこの俊足を加味してのことであった。防衛ラインまで戻るのに、兵士にいちいち足止めをされてしまうクロードに対して、いなして交わすブラムスの戦闘スタイルは戦場を駆けることに向いている。


「はっはっはっ! お友達が行ってしまったぞ、寂しいなぁ!」


 クロードは、自分に斬りかかってきたスルト兵の首を切り飛ばしながらガーラントに答える。


「お友達がってしまったぞ。寂しいな」


 ガーラントは、クロードの発言に大笑いし「そんな顔してなかなかユーモアがあるなっ!」と言い、槍斧を両手で持ち、クロードに向かって構えた。


「俺は、スルト軍魔導兵団中尉ガーラントだっ! 名前を聞いておこう」


 クロードは、剣に付いた血を払うとガーラントに向かって構え答えた。


「俺は、ルストリア軍歩兵隊大尉のクロードだ。貴様を裁くっ!」



 時は少し遡り、捕虜の受け入れで混乱する第一防衛ライン内にてスイファ大尉の元に二人の衛兵が一人の捕虜を連れ現れた。


「スイファ大尉っ! 伝令でありますっ! この者は、ゴンベンの村民であり魔法適正があるようで、村を襲ったスルト軍の魔法を説明が出来ると言うので、こちらに連れてきましたっ!」


 スイファ大尉は、ラミッツの中の三大富豪の一人、チャン家の長男であり、この度の防衛戦にはチャン家の圧力でねじ込まれた人材である。

 個人の能力として、劣る部分こそ無いものの、いまいちパッとしないところを一家は心配していた。そんな長男に一花持たせようと、次回の戦乱が起きた際には、危険が少なく、なおかつ勝率が高い戦場に司令官として派遣することを強く望んでいた。

 そこで、チャン家のスイファの祖父にあたるハオランが出資関係にあたる『武器商会』に頼み込み、ハオランと約束した武器商会は提携関係にある武装憲兵隊ホーウェイの参謀に指示を出した。武装憲兵隊の参謀はあの手この手で、一兵卒であったスイファを大尉にまで押し上げ、本作戦上の第一防衛ライン責任者に抜擢されることとなった。


 スルトが軍事国家であるのならば、ラミッツは商売国家であるため、軍の決定事項に近いほど商売人の声が強く響く。

 ホランドは、この決議に関して最大限抵抗をしていたが、武装憲兵隊ホーウェイ参謀からルストリアとの外交関係を引き合いに出されると渋々飲まざるを得なかった。隊長であるカイはそのことを知らなかったが、カイを見たホランドが皮肉を吐いたのはこのような出来事が背景にある。


 実際に、第一防衛ラインの戦闘は本作戦の中では危険度が低いと言える。前線に出ているクロードや歩兵隊は危険の真っ只中であるが、防衛ラインの内側で、撤退のタイミングを見計らうだけであれば生還の可能性は高い。ましてや、殿しんがりは務めなくて良いとまで言われていれば、高い確率で生還するだろう。自身の命を大切にしながら撤退の命令を出すだけなのであれば、ある意味スイファは適任と言える。更に付け加えるならば、この第一防衛ラインの目標が勝利ではないことも、スイファの安全性を確保する要因の一つである。


 武器商会の企みとしては、スイファが撤退を命令し、第二防衛ラインにて、スルトの殲滅が完了すれば、第一防衛の指揮をとった英雄として扱うことが出来、万が一、負けてしまったとしても、スイファが生還できたのは武器商会の最新鋭の装備のおかげだと主張できる。どちらに転んでも損が出ないと踏んでいる。国の存続などは二の次であった。


 武器商人とは、そういう生き物なのだ。


 捕虜を前にしてスイファは、心底面倒に感じていた。


(トラブルはもう結構だ。捕虜の情報を聞いたら報告書を書かなくてはならないではないか、この者どもは減給処分だ)


 衛兵が連れてきた泥だらけの捕虜は、スイファの前で下を向きながら呟いた。


「……たん……ぎる」


 聞き取ることが出来なかったスイファは、捕虜に近づき耳を傾ける。


「もうここは安心だ。ゆっくり話してごらんなさい」


 スイファは、衛兵の前であるため捕虜に対して真摯に対応する。


「か…た…すぎる」


 捕虜の声は本当に小さく、外の戦闘音も相まってほとんど聞こえなかった。衛兵は、先程報告を受けた際にはここまで声が小さくなかった為、不思議に思った。


(本当に面倒だ、この小汚い捕虜に更に近づけと言うのか……)

 そんなことを、考えながらスイファが更に近づいたその時。

 捕虜がいきなりスイファの背中におぶさり、片腕で首を絞めると、スイファの腰に差した剣を抜き取り、そのまま腹部に差し込んだ――。


「簡単過ぎるっつったんだよっ!! ばぁぁぁかっ!!」


 ガラガラガラ、と乾いた笑い声を高らかに上げる捕虜は、捕虜のふりをして霧の中を彷徨い、第一防衛ラインの内部に入ってきたボルグであった。


「たっ、たっ、助けろっ! わたひをっ! 助けた者はっ! しょ、昇格だっ!」


 腹部に刺さった剣の痛みと、凄まじい力で首を締め上げられているスイファであったが、ボルグがその剛腕に力を込めるとゴキンと鈍い音が鳴り、そのまま絶命した。付近の兵達は、衛兵の絶叫に反応し、一斉にボルグの周りに集まったが、その異常な光景に思わず息を呑んだ。

 ボルグは、先程の衛兵二名の腹部に両手を突っ込み、腸を引き出すとそれをぶんぶんと振り回していた。辺りには、臓物の中に入っていた分泌液と血で異様な匂いが立ち込めていた。

 かろうじて正気を取り戻した一名の兵士が「敵襲ーっ!」と叫ぶと、付近の兵士も正気を取り戻し、ボルグを取り囲む陣形を即席で完成させた。


「よしよしよし、ちゃんと踊ってくれるじゃねぇかぁ。作戦は大成功だなぁ」


 アンにより指令を受けていたボルグは、無事に司令官を殺し、第一防衛ラインに混沌を呼び込んだ。


「あとは、適当に暴れてガーラントとやらを待つか、帰るかだなぁ」


 臓物を付近の兵に投げ捨てる。


「この付近は、真っ先に逃げる予定の集団なんだよなぁ……気が変わったぞぉ」


 ボルグは、先程殺した二人の衛兵の剣を拾い、両手に持ち構えるとこう呟く。


「皆殺しだぁ!!」

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