緻密な罠
――王国歴1484年 4月 決戦初日
大収穫祭の三日目にあたるこの日、スルト軍は日の出と共に進軍を開始した。
まずは先発の歩兵五万人、その後ろには魔導兵士百人が隊列を組み、ザッザッと大地を踏み鳴らしながら、ラミッツ領土を大軍が通る。
全体の指揮を執るアンは、当然この先に第一防衛ラインは敷かれていると考えている。ラミッツの簡易的な地形に関しても理解しており、ティターン街道で戦いが起きることも、想定の範囲内であった。
アンは優れた情報管理と卓越された危機管理を強みとした、どちらかと言えば防衛に重きを置いた戦術を得意とする人間で、攻めの軍略は基本に忠実な、平凡なやり方を好む。
本来であれば、大陸内で最も火力のある軍を率いるには、いささか派手さが足らない印象ではあるが、彼の能力の性質上、優勢な戦を必勝に導く戦術は、多くの者を納得させるに足る手腕を持つ。それが、バーノン大王の目に止まると、様々な戦地に送られ、戦果を残し、瞬く間に出世していった。
しかし、この度の戦争はアンにとって初めての大規模侵攻であり、戦力を最も保有するスルト軍にとって『お祭り』のような高揚感が兵士、隊長格にも訪れており、軍全体の士気は最高潮にまで上りつめていた。
アンは指揮を執る者として、この勢いは殺さずに命令が行き届くように管理を行う。具体的に言えば、隊長格への伝達を増やし、虚実織り交ぜた、不安要素などを細かく伝え、いざというときのブレーキを効きやすくする。逆に言えば、これくらいしか打つ手は無く、下手に士気を下げるようなことをしてしまえば、全体の流れが悪くなる。
戦争において、戦術的価値、戦略的価値は当然尊重されるが、それよりも全体の流れは、軍師にとって最も敏感に感じなくてはならない点である。歩兵も魔導兵も戦力的には、現状負ける要素が無い。この素早い進軍によって、準備不足のラミッツが殺傷能力の高い罠や兵器をこの街道で使用してくる可能性は低い。また、ルストリアがこの舞台に出てくるまでにラミッツを落とさなければ、この有利な状況を逆転される可能性が高くなる。
ここは勢いを使って防衛ラインを突破するのが良い、そう考えたアンは進軍を更に早めた。
体格の良い男達がこぞって、楽器を手に持ち、顔を真っ赤にしながらラッパを吹き、汗を流しながら大太鼓を叩く様は、異様な光景ではあったが、その音に合わせて、眼光鋭く前進していく軍隊は見るものを恐怖させた。
歩くごとに大地は振動し、砂埃が舞う。全身の鎧がガチャガチャと鳴り、その音が複数合わさって、壮大な音楽を奏でた。
霧が深い為、ラミッツ兵はスルト軍を音で判断するしかないが、着実に近づいてくるその振動を、ある者は恐れ、ある者は高揚し猛り、またある者は情報伝達に回った。
やがて、スルト軍は罠の設置されたエリアに侵入。最初に作動したのは括り罠。設置数は三百以上もあり、見た事がないほどの大規模なものであった。
この作戦の立案者であるホランドは、ユークリッドとこんな会話をしている。
「罠の数にはこだわりがあるんすか?」
その質問を待っていたホランドは、自慢げにこう答える。
「ユークリッド、いい質問だ。この罠の数には意味がある。このような、設置に穴を掘る必要がある罠は、手間を考えれば得策では無い」
まだ話そうとしているホランドに割ってユークリッドが質問をする。
「こんな、穴ぼこだらけの戦場じゃ戦いづらくてしょうがないっす!」
少しムッとしたホランドは、表面化しそうな怒気をグッと堪え嫌味たっぷりに答える。
「ユークリッド、君は本当に愚かだな。戦場とは言え、我々がその罠のフィールドに出て戦うことはほとんどない。これは、防衛戦であるが故に生まれる利点だ」
ユークリッドは、普段から言われ慣れている『愚か』という単語には全くひっかかることなく、純粋に納得をした。
「なるほど、スルト軍はこちらを通り抜けないといけないから、嫌でもここを通るんすね!こっちは、それを遠方から弓とかで撃退すると!」
「そう。恐らく、罠は次々に作動し、スルトの前衛が罠に引っかかる。後続は罠にかかった兵を避けて前進する。前進した兵が先の罠にかかると、後続は更にそれを避ける。この繰り返しにより、どんどん進軍のスピードは落ちるはずだ」
この罠の優れた部分は殺傷能力が全く無いことである。これは狙っての仕組みであり、罠にハマった兵士を見た後続の危機管理は非常に甘くなった。ひっかかったところで、どうとも無い罠を警戒することは、生き死にをかけた兵士には、難しいことであった。これを助長するべく、ラミッツも弓矢をパラパラと放つ程度で、本格的な射撃は行わなかった。
霧に包まれ視界が悪く、土地勘も無い戦場を、罠が張り巡らされている状況で悠々と歩く事は難しかったが、先頭に立つガーラントが冷静に罠の除去を指示したり、声を掛け合い、着実に歩を進めていった。
やがて、前進するスルト兵は霧の中に現れた兵士の影を見つけた。等間隔に立っているラミッツ兵の影が目の前に立ちはだかったのがわかると、スルト兵は四人で一斉に飛びかかった、次の瞬間――。
影は八つ裂きにされたかと思うと、辺りの霧が少し晴れるほどの爆発を起こした。飛びかかった四人の兵は、その場に膝をつき耳を抑えた。抑えた耳からは血が流れ、それを見ていた後続は魔導兵士に警戒して足を止める。
その音を遠巻きに聞いた、スルト軍に組み込まれた傭兵の一部は、命令を無視し、自己判断で後退した。これは、花火の破裂音を魔法と認識したための行動である。魔導士と対峙した歩兵にとっては、これが一般的であり、戦場における魔導士は、それほどまでに脅威となる。
そして、その音と同時にスルト軍の先頭、つまり、今音がした場所に矢が降り注いだ。身動きが取れない先程の四名の兵士達は、あっけなく射抜かれてしまう。ガーラントはその場で大声をあげる。
「投石を行え! 決して影に近づくな!」
しかし、付近にいた兵も先程の音で耳が効かず、狼狽えるばかりであった。また、功を挙げようと特攻した兵士が勝手にラミッツの泥人形を斬り、その付近の聴覚を奪い、先程と同じようにそこに矢が降り注ぎ周囲を巻き込んで命を奪った。
ラミッツ兵の弓兵は、音が鳴ったところに集中射撃を行う、という単純かつ明快な指令を受けていた。この深い霧では、どちらにしても精密な射撃は出来ない為、歩兵の一部も弓を持ち、これに協力をしていた。
罠にかかったスルト軍を、遠方から出来るだけ殺す、そして手前の罠には傷をつけない。弧を描くように上空に矢を放ち、落下の際に加わる重力の力で敵を貫く。一本単位の命中率は絶望的であったが、放たれた矢数の多さで、総合的な命中率はそこそこであった。
スルト軍は、負傷した兵を後方に運び、再度前進をする。この繰り返しにより、進軍の速度は下がり、士気も並行して下がっていった。
だが、それも束の間、アンの側近であり参謀のパストルが、ジャラジャラと鎖で繋がれた捕虜を連れ戦場に現れた。その場にいたガーラントに、アンからの司令を伝えると、ガーラントは後方に下がり、パストルはそれを確認すると途端に捕虜を解放した。
「貴様らにチャンスをやろう! この霧を抜け、その先にいるラミッツ軍に助けてもらうことが出来たら、お前らは生還だ! 我らスルト軍は貴様らを追いかけるぞ! さあ、逃げろ!」
パストルは、捕虜に呼びかけると、蜘蛛の子を散らしたように捕虜は霧の中に消えていった。
「ぐわぁー!」
「きゃー、誰か―!!」
「痛ぇよー、かぁちゃん助けてー!」
しばらくすると、霧の中の捕虜が
そして、この苦痛の声を聞いた別の捕虜は、誰かがスルト兵に捕まったのだと勘違いして、更に逃げる。逃げた先でまた罠にハマる。この連鎖反応で、ものの三十分ほどで罠がほとんど発動されてしまった。
パストルの非道な作戦により、見事にこの罠を看破し、戦場はスルト軍が一歩リードした形となる。
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