目と耳と腕

 ――王国歴1484年 4月 大収穫祭当日 ラミッツ内ルストリア駐屯基地


 我慢比べが終わった後、ノガミが宿舎に戻るとカイが戻ってきており、ドガイも同席の上、明日の作戦を説明した。


 国境要塞からスルトがラミッツ侵攻を行うとしたら、最短ルートを取る場合はリアンシュア砂漠を通ることになるが、カイ達が先程偵察に行った際に使ったルートは、木の板が敷かれているだけで、ギリギリ馬が一頭通れる険しい道のりである。よって大軍を率いた場合、このルートを採用する可能性は極めて低い。

 仮に、このルートを使用してきたとしても、地形で上を取れるラミッツ軍にはさして脅威ではない。つまり、スルト軍が侵攻するルートは、迂回し、北の遺跡群を通る可能性が高い。そこでまずは、北の遺跡群と更に少し北上した地点にある、ゴンベンという小さな農村との間に第一防衛ラインを敷く事になった。


 この地方はリアンシュア砂漠が冷涼海岸れいりょうかいがん砂漠ということから、常に霧が立ち込めており、視界が非常に悪い。その特性を利用し、トラップなどを使いできる限り足止めをして、時間稼ぎをする。スルトの軍勢が勢いづく頃合いで、即時撤退、第二防衛ラインへと素早く移動する。大軍ゆえに何度も隊列の組み直しが起きるスルトは、ここでまた時間を弄するであろうと言う算段である。

 第二防衛ラインは北の遺跡群をそのまま使用し、時間を稼ぎつつ、機があればここで徹底的に叩き、スルト軍を壊滅させるというものだった。遺跡の地理を把握しているラミッツ軍には、遺跡はさながら要塞であり、防衛にはうってつけの戦場と踏んだ。

 

 この二つの防衛ラインを駆使した作戦は、ルストリアからの援軍の期待を含んだものである。この大陸の調停者であるルストリアが、これ程までに目立つ侵攻を黙って見ているはずがないからだ。ホランドは慎重な性格であり、ルストリア到着までに最低でも十日はかかる見込みということもこの作戦には織り込まれていた。

 第一防衛ラインには、クロードを含む歩兵軍が参加し、第二防衛ラインには、王都に配備したラミッツの軍勢を呼び寄せ、カイ隊を含む魔導兵軍も多く投入し戦力を厚くした。

 この二つの防衛ラインで十日間の時間を稼ぐか、二つ目の防衛ラインでスルト軍を撤退させるか、ホランドの勝利条件はこの二つのうちのどちらかである。

 そして、敗北条件は第二防衛ラインの突破。ラミッツ軍の多くをこの防衛ラインに配置した以上、これを突破されれば王都陥落は時間の問題である。



――王国歴 1484年 4月 大収穫祭二日目 ラミッツ・スルト間国境要塞 跡地 午前六時


 スルト軍の基地と化した国境要塞にて、ハーマン・アンは、不安要素が実体になっていく恐怖を感じていた。


 本来、ここに集まっているはずのミクマリノ軍が予定の半数も来ていない。更に、ルストリアの状況を偵察するよう命令した兵は一人も戻ってきておらず、情報がまるで足りなかった。戦場で予定通りに事が進むことは稀であり、別動隊の合流が遅れることなど「よくあること」だ。

 しかし、ミクマリノが予定とは違う行動をとる、という悪い展開の予想が、現実になってしまう可能性が一摘みでもある現状は、アンの精神を蝕んでいた。

 ミクマリノの行動による展開の不振、という予想が全体を見た場合の最悪の未来なのだとすれば、ルストリアの動きが見えないことは、今後の動きが予期しずらい悪い現実である。

 

 アンは、これに対して決断をしなくてはならない立場にある。

 ミクマリノの到着を待つ、あるいは再度ルストリアに偵察を出す、こういった作戦は、戦地を地図上で見た時、ただただ足踏みを行なっているだけの事になる。それにより、背後からルストリアがやってきて目の前のラミッツと挟撃になると、いよいよ詰みの一手。

 今、アンの中に一つポジティブな情報があるとすれば、シーナ軍が自国側からラミッツを侵攻し始めたという情報だけである。既にシーナ・ラミッツ間の国境要塞は制圧し、本日中にもラミッツ南にある武器工場の街レンデを攻めるという事だ。

 


 これは先程、アンの「右耳に」届いた確かな情報である。


 アンは右目、右耳、右腕をスルト軍に入隊する前に失っている。失った経緯に関しては、アンは誰にも語らないので誰も知らない。だが、この失った体の部位の存在がアンの特殊な魔法を生み出したことには違いない。

 アンの魔法は「カンホーレン」と言い、契約を結んだ相手の右目、右耳、右腕の受け取った情報を覗き見ることが出来る。契約者の右腕に関しては自由に操ることができるが、このことをアンは契約者に秘密にしている。万が一、契約者が術者に対して不利になるような行動を取った場合には、右手を封じたり、近くにある刃物を手に持てば自害させることだってできる。


 今回の戦争の仕込みとして、ヴィクトとの会談の後、現在ラミッツ南部にて奮起しているシーナ軍の筆頭であるヨルダンと、総司令官であるメインデルトがスルト城を訪れた。

 その際に、戦場での迅速な情報伝達として、ヨルダンにこの魔法を契約させた。欲を言えばメインデルトにも魔法を施したいところであったが、アンの魔法は常時起動することで契約を維持することができる。そして、起動中は魔力を消費し続ける為、戦場で魔力不足になってしまう危険性がある。そういった理由から、二人のうち戦場に近い一人に絞ることにした。

 目、耳、腕のうち、最も魔力の消費量が少ない耳を常時起動しており、気になることがあれば目に切り替え、状況を確認する事が出来る。同時に二つ、三つ起動する事はできるが、大量の魔力消耗をしてしまう。


 アンは最大で五人まで契約したことがあるが、常時流れ込んでくる情報の精査が難しく、その情報に気を取られて、自身が並行して別の行動をとることが出来なくなってしまうので、契約者は多くて三人と決めている。

 その気になれば、契約などとは言わず予め魔法を唱えておいて、握手のみで契約関係を結ぶことも可能である。だが、協力関係をこれから結ぶ上で、怪しまれるような行動をとり信頼関係が壊れることを避けた。

 無論、魔力を感知出来る魔術士には気づかれるので、相手にバレずに行えるのは魔力適正の無い者に限られる。その為、魔法の契約という形で了承を取り、ヨルダンの視覚と聴覚を本人公認のうえ共有している。


 このシーナの素早い進軍は、スルト軍にとって追い風である。万が一、ミクマリノの動きが予定と全く違う展開になってしまったとしても、ラミッツの原魔結晶石さえ抑えてしまえば、ルストリアとの交渉も可能だろう。

 

 アンは出兵の指令を出す、出さざるを得ない。


 スルトにとって「疑惑の一日目」となるラミッツ侵攻戦が始まる。

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