我慢比べ

――王国歴1484年 4月 大収穫祭当日 ラミッツ内ルストリア駐屯基地


 ノガミはやっと最後のパン生地を釜に入れ終えて、熱気に溢れた調理場から離れ、風にあたろうと演習場に来ていた。


 あたりはすっかり夜であった。燭台が複数設置され、べられた薪に灯った火が、小枝を折ったような音を立てながら燃えている。演習場には既に人の姿は無く、あるのは木材の積まれた馬車の荷台だけであった。

 ザリッ、ザリッと誰かが近づいてくる音がする。ノガミは音がした方向に目をやると、ドガイが軽く片手を上げて近づいてくる。


「ここにいたのか!」

「兄貴こそ何処をほっつき歩いていたんだ?」


 話を聞くとドガイはノガミを探しに調理場に行っていたようだ。


「で、なんの用だよ?」


 ノガミは不機嫌そうにドガイに尋ねる。ドガイは頭をかきながら少し恥ずかしそうにすると、親指を立てて基地の外に向けると、ノガミを基地の外へと誘った。ノガミはその意図を図りかねたが、そもそも理解できるような相手でも無いと思い、誘われるがままにドガイと共に基地の外へと向かった。


 基地の外はとても静かで、夜空は薄らと霞がかり美しい朧月夜であった。一説によるとラミッツ北側にあるリアンシュア砂漠の影響であると言われている、この情景は天気さえよければ駐屯基地周辺で高い確率で見ることができる。ドガイとそれに付添うノガミは基地の裏にある原っぱに到着した。


「ここらへんでいいか」


 そうドガイは呟き、ノガミのほうを向き直る。


「ノガミ、、やろうぜ」


 ノガミは心底呆れた顔でドガイを見る。


「ん? どうした? 構えないのか?」


 ドガイはそんなノガミを気にすることなく、準備運動をしている。ここでようやくノガミも口を開く、心底呆れた表情はそのままに。


「やるって、まさかいつもの勝負か?」


 ドガイはコク、コクと頷き、腕を回している。


「と、唐突すぎる! 普段から意味不明だが、今日はいつにも増して意味不明だ。やる意味も無ければ、やる理由もない。ましてや、こんなところで魔法は使えない!」

 

 必死に断るノガミをよそに、ドガイは大笑いしながら「カイに頼んで、魔法使用の許可は取ってある」と言うと「じゃ、構えろ」という短い言葉で会話を締めくくった。

 ドガイは、ま構えをとると、さっきまでの笑顔とは一転、真剣な眼差しになった。ノガミは、まだ何か言いたい様子だったが、ドガイの真剣な眼差しを見ると上着の内ポケットの中の小さな杖を取り出し、構えた。


 ドガイとノガミは、軍に入隊し、魔導部隊への所属が決まった日から、競っていることがある。それは、魔法の効果の高さと持続力の比べ合いである。

 ドガイの纏繞魔法てんじょうまほうとノガミの障壁魔法をぶつけ合い、ドガイの攻撃をノガミが防ぎきれるか、というような競い合いである。

 これが単純だが絶妙なバランスで、ドガイの魔法は、威力はあるが持続力はイマイチな性能に対して、安定力はあるが強度に難があるノガミの魔法、まるでこの競い合いが起きることを想定していたかのような、相性だった。


「……今日で九十九戦目だ」

 

 ノガミがドガイを見つめながら言う。


「まーだ、そんなもん数えてたのか」

 

 そう言われるとノガミはムッとした。それを見てドガイはニヤリとほくそ笑み、拳を突き出し、魔法の詠唱を始める。


「空から降る無数の命

 奪い合い

 守り合う

 我が望みはそこにある

 一縷いちるの望み

 顕現せよ 衣となりて

 発現せよ 刃となりて

 プアリプシー・マガァ!」


 詠唱が終わると、ドガイの体を青く発光するベールのようなものが覆う。ノガミが追うように魔法を唱える。


「空間断裂の盾

 ゼフロスの西風からその身を守れ

 テイコス・フィラカ!」


 ノガミの体を中心に球体の障壁魔法が展開される。更にノガミは続けて詠唱する。


「永久拘束の檻

 アレンスの鉄槌さえ届かないその叡智へ

 フィラカ・アンフィニ!」


 ノガミを包む球体の障壁魔法の表面に複数のルーン文字が現れ、強く発光した。この魔法はドガイとの競い合いの中で、ノガミが自ら発展させた完全オリジナルの魔法である。

 一度展開された障壁魔法に対して、重ねて詠唱を行い、魔法を重ねがけすることにより、強度を上げている。このような魔法を多重詠唱と言うが、ただでさえ魔法の詠唱は術者が無防備になるデメリットを大きく孕んでいるのにも関わらず、それを二度も重ねて行うメリットが多重詠唱のデメリットを超えることは難しく、戦場で好んで使う者は稀である。

 しかし、ノガミはこの見解を独自の理論で覆している。


「障壁魔法は、破られて再度かけ直す際に魔力を多く消費する。誰かの命を守る障壁魔法なんだ、破られる可能性は限界まで減らすのが術者の責任だ。詠唱時の隙に関しては、戦場に共に出る仲間次第でリスクは大きく変わる」


 事実、ドガイと共に出た戦場でノガミが狙われ、詠唱を妨害されたことは一度もない。それは、ドガイの持つ破壊の力が如何に圧倒的かを物語っている。

 一方でドガイは魔法の扱いも決して上手い使い手ではなく、詠唱の遅さもさることながら、今まさに行なっている腕をクルクルと回し、発現した魔力のベールを腕に巻きつける動きなど、何かにつけて隙の多い術者である。

 ドガイの魔法は全身に覆えば僅かながら自身の体を守ることが出来る、謂わば攻守に秀でたオールラウンダー向きの魔法である。しかし、そのコントロールは非常に難しく、ルストリアの歴史の中でも、この魔法を扱って成り上がった者はいない。そこで、ドガイはこれを扱えないのなら扱えないなりに使ってやろうと思い立ち、その全てを腕に巻き付けて叩きつける、という行動に至った。

 だが、拳に全て注ぎ込むと、拳以外を守る手段はもちろんのこと、意識を敵と腕だけに集中するため、付近からの攻撃に対して警戒も甘くなり、無防備な出来損ないの魔法になってしまった。

 

 だが、そんな批評に対してこう返す。


「俺の魔法は俺を守るために発動するわけじゃねぇ。ルストリアの未来を切り開くためにある」


 そんな無鉄砲なドガイだが、今日この日まで五体満足で生存しているのは、ノガミの緻密なサポートがあってこそである。


「んじゃ、行くぜ!」


 ドガイは拳に巻き切った纏繞魔法を思い切り振りかぶると、ノガミの障壁目掛けて叩き込んだ。


 魔力と魔力が衝突し、青い火花が飛び散る。


 衝突地点の光は眩しすぎて直視出来ないほどになる。


「いーち!」


 ドガイは力いっぱいに叩きつけながら、最初のカウントをした。


「にぃー!」


 今度はノガミがカウントをする。そして、片手で杖を掲げながら目を閉じて魔力を込める。


「さぁーん!」


 ドガイはまだまだ余裕な表情だ。


「よん…ん…」


 ノガミは少し辛そうに堪えている。


「ごぉー!」


 ここでドガイが勝負に出た――。持久力ではなく単純な威力での押し合いに持ち込むつもりらしい。ドガイの拳が赤く発光する。


「ろー……くっ!!」


 ノガミは片手で持っていた杖にもう片方の手を添え、両手で魔力を込める。障壁魔法の光がより強くなっていく。


「なー!……なっ!!」


 ドガイがカウントをすると、体ごと障壁魔法の方へ押し込むように足を一歩前に出した。ノガミの強化障壁にヒビが入る。


「はー!!………ちっ!!!」


 ノガミはヒビが入ったところに意識を集中させ修繕を試みる。しかし、それは上手くいかず、まるで障壁魔法が悲鳴をあげたかのように全体に亀裂が走り、粉々に砕けた。


 ドガイは、勢いが止まらずノガミに打ちつけたりしないように、すぐに魔法を解除した。ノガミはその場に座り込んでしまった。


「はっはっは!今日は惜しかったな!」


 ドガイは景気良く笑う。


「九十九戦、九十九敗……くそっ!」


 ノガミは、足元の砂を拾って遠くに投げた。ドガイは満足したようで、そのまま基地へ帰っていった。

 ノガミはその場に寝そべると、霞がかった星空を見つめる。


「なんなんだ、アイツは。何がしたいんだ。……畜生、やっぱり……強いな……兄貴は」


 辺りは再び静寂に包まれた。

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