歩兵の星

――王国歴1484年 4月 大収穫祭当日 ラミッツ内ルストリア駐屯基地 午後五時頃


 日も暮れてきたラミッツ内ルストリア駐屯基地では、兵士たちが忙しなく動き回り、昼前に起きた国境要塞付近の大爆発に警戒を強めていた。


 ドガイ、ノガミ、カイの三名は、早朝に出かけた偵察の報告を緊急作戦室に伝えに来ていた。


 作戦室には、相変わらず机に齧り付くホランドと、床に乱雑にばら撒かれている羊皮紙を忙しく集めているユークリッドの姿があった。ドガイが先頭に立ち、緊急作戦室に入室すると、ホランドはドガイに向かって無言で手のひらを見せ、その場で止まるように、あるいは言葉を発しないように、と手振りで伝えた。

 意図を汲みかねたドガイが更に一歩入室すると、ふーっと深い息を吐きながらホランドは口を開いた。


「ドガイくん。まずは、止まれ。そして、私の許可なく発言をするな。君の言いたいことはわかっている」


 ユークリッドが、羊皮紙をまとめることを止め、ドガイが飛びかからないかとホランドの横に立つ。だが、ドガイは不思議と怒ってはいなかった。ホランドはドガイの姿を見た後、背後にいるノガミ、カイの存在を確認すると、話を続ける。


「その姿はリアンシュア砂漠を超えてきたな」


 ドガイ、ノガミ、カイは頭から足の爪先まで砂まみれであった。そもそも軽く払ったりするような気を回せる状況ではなかった。


「ああ、その通りだ。カイが馬を走らせることができるルートを知っていたから、最短で国境を見てきた」


 ドガイはホランドに答える。ホランドはそれを受け、自分の額を二回人差し指で突くと、ドガイに尋ねた。


「国境は破られていたか」

「ああ、間違いない」


 ドガイはホランドの目を見つめながら力強く応えて、続けてカイが補足した。


「遠目からでもハッキリ確認できたあの炎は、間違いなく国境要塞からです。あれを食らって国境警備兵が無事であるとは思えません」


 ホランドは、ユークリッドが手に持っている大量の羊皮紙から一枚取り上げると、それを机の上に広げる。広げた羊皮紙を指差し、ユークリッドに向かって言った。


「ここに、全ての作戦が記してある。これを基地内の指揮に関わる者全てに通達せよ」


 ユークリッドは敬礼を行うと「はっ!」と返事をし足早に作戦室を後にした。

 残ったドガイ、ノガミ、カイに対しては、変わらず遊撃隊としての任を与える事と、隊長にはラミッツの地形を熟知しているカイを任命することを伝えると、退室を促した。カイは作戦の説明を受けに行くということで、ユークリッドを追っていった。

 

 残されたドガイとノガミは、カイが戻ってくるまで明日の出兵の準備を手伝うことにした。

 国境が破られたとなれば、防衛戦線をいくつか張ることになり、その基盤となる木材を馬車に積み込むこととなる。また、戦争においての重要事項の一つとして挙げられるのは兵糧であり、周辺の町などからかき集めてきた釜で、休むことなくパンを焼いた。

 二人は特に会話することもなく、ドガイは、木材の積み込みを手伝いに基地内演習場へ、ノガミは、パンの製作を手伝いに食料庫前へ向かった。


 ドガイが演習場へ到着すると、そこには見知った人間が馬車に木材を積み込んでいた。


「よお! 来てたのか!」


 ドガイがそう声をかけると、顔中傷だらけの男が振り返り、無表情に手を挙げた。


「俺がここに到着した時、ちょうど国境側から炎が上がったところだった」


 無表情のまま男は答えると、ドガイは国境の方角を見て言った。


「そうか、俺たちはちょうどその国境を偵察に出てたんだ」


 この顔中傷だらけの男は、ルストリア歩兵部隊大尉のクロードである。


 ルストリアの軍隊は主に「魔導部隊」と「歩兵部隊」で構成される。

 ルストリア軍の規模は五国の中で最も大きなものであるが、その規模の大きさは歩兵部隊の人数に比例すると言っても遜色はない。

 魔法の適性がある人間は年々増えているが、微弱な魔力を宿している者、戦場で用途の無い魔法を所持している者も少なからず存在しており、このような者達が入隊を志した場合、余程秀でた特技がない限りは歩兵軍へ所属することとなる。

 魔導部隊は人数が少なく、ルストリア軍は前衛で道を切り開く「クローリク」、後衛で前衛の補助や治療を行う「グランツアッフェ」に分かれている。

 そしてこれらの部隊長を総じて「パンテーラ」と呼び、振り分けられているが、歩兵部隊は人数が多いため尉官階級を用いており、複雑な指揮をより効率よく行われるように細分化されている。

 

 この明確な序列がついた歩兵部隊は、戦場においては最も死亡する可能性が高く、人数が多いため尉官階級にたどり着くまでに、心が折れてしまい退役する者も少なくない、過酷な部隊である。


 ドガイはクロードと同じように馬車に木材を積み込むのを手伝いながら、クロードがここにいる理由について尋ねた。


「確か、ラミッツとの国境要塞の守護の任務だったはずだが、なぜここに?」


 クロードは黙々と作業しながら答える。


「昨夜、スルトの方角で起きた謎の光を見た時に、どうも嫌な予感がしたんで早馬を走らせたんだ」


 その答えにドガイは少し驚いた様子で「お前、そんな奴だったっけ?」と笑った。ドガイが知っているクロードは、なんというか規律を重視する堅い人格という印象だった。そのドガイの笑い声につられて、クロードも少しだけ笑うと、作業の手を一度止めて答えた。


「俺はそういう奴だよ。戦場でも同じことだが、自分の勘に頼る局面はいつだってある。それが、昨夜たまたま起きたってだけだ」


 小一時間は作業していただろうか。ドガイもクロードも、周りの兵から「休んでください」と十回言われたが、十一回目以降は誰も言わなくなり、和やかに会話をしながら楽しく作業をした。

 作業も一通り終わり、ドガイはクロードに「死ぬなよ、お前の仏頂面ぶっちょうづらが見れなくなるのは寂しいからな」と声をかけると、ノガミを迎えに調理場に向かった。

 

 クロードは、ドガイと別れると早馬が繋がれている基地の外へと向かった。早馬は二十頭ほど繋がれており、クロードが乗ってきた馬は基地から最も離れた場所に居た。そこには、馬を丹念にブラシがけする男の姿があった。


「ブラムス、ここだったか」


 まるで女性のような顔立ちの男はブラムスと呼ばれ、クロードの方を見ると朗らかに微笑んだ。ブラムスは、クロードの幼馴染であり、軍へも共に志願した、友である。クロードの真面目で、一つのことに打ち込む姿勢、燃えるような戦場への意気込みの、ちょっとした清涼剤になっている。


「クロード、積み込みは終わったようだね」


 ブラムスは額の汗を腕で拭うと、クロードに近づいてきた。


「早馬は、今日一日で大分疲弊してしまったようだな」


 クロードは近くに居た馬の鼻筋をさすると、クロードの手に馬が戯れてくる。その様子を見て、ブラムスは少し笑う。


「相変わらず、動物にすごく好かれるんだね」


 クロードは咄嗟に手をしまう。少し、恥ずかしそうにすると、話題をすり替えるように口を開く。


「今日の判断は正しかったな」


 ブラムスはすり替えられたことに気づいた上で話に乗る。


「突然クロードがラミッツの駐屯基地に向かうって言い出したものだから、驚いたよ」


 辺りは日が暮れ始め、星々が少しずつきら めきだした。


「『大事な時には勘を頼れ』だ」


 クロードは、赤と黒、二色の空を見上げながら呟いた。


「あれ、またムーアさんの話?」

「あの人は凄い人だ」


 そう呟くと、クロードは目の前にある岩場に腰をかける。ブラムスは変わらず空を見上げていたが、急に何かを思い付いたようで、あっ! と声を上げて話しかけた。


「この空は明日の戦場みたいだね、赤い空がスルトで、黒い空がルストリア、そして、煌めく星がーー」

「今まで死んだ人間か?」

「……ごめん、そんなつもりじゃなかった」

「いや、いい。俺もそんなつもりで言ってない。ただ、あの程度の星の数の死人であれば、それこそロマンチックな話だな、と思っただけだ」


 短い沈黙が流れる。

 

 クロードは沈黙に責任を感じたのか「喉が渇いたな」と言い、基地へ戻ろうとした時、そんな言葉を予想していたのか、ブラムスは岩場の影に隠していた瓶を二本取り出した。


「お前……!」

「へへっ、ラミッツの商人から買ってきたんだ、一緒に飲もうと思ってさ!」


 ブラムスはクロードに一本手渡す。それを受け取ると、二人で栓を抜き、乾杯を行い、ボトルのままで蜂蜜酒ミードをあおった。


「なぁ、この戦い、なんだか嫌な予感がしないか?」

「それも、勘か?」

「あぁ、戦争はいつだって急に起こるが、なんというか……それにしたって急すぎる気がしてる。本当にスルトは戦争を起こして勝ちたいのか? いくらなんでもスルトだけで勝てるとは思えない」

「他にも敵がいる、って事か」

「分からんがな。武力だけで押し込める程、各国は軟じゃない。それに国境要塞へ向かうのは罠の可能性だってあるだろ」

「ホランド大佐も、そこは十分に理解した上での判断だと思うけどな。このまま進軍を許すわけにもいかないし」

「まぁ、それもそうだな。俺達歩兵は盾だ、やる事は変わらない、か」

「お星さまになるつもりは無いがな!」

「あはは! 当たり前だ!」


 ボトルに残った蜂蜜酒を一息に飲み干した二人は、駐屯基地内へと戻って言った。




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