闇の雨

――王国歴1484年 4月 ラミッツ大収穫祭 バオフーシャ遺跡


 数十名の兵士達を「処理」したクライヴが、ブラウリオの前に飄々ひょうひょう立ちと塞がる。


「ねえ、おじさん。あんたがこの蜘蛛の巣張ってるんでしょ? 他にも使える魔法ないの?」


 こいつ、あの数を倒して無傷だと? 異常だ。間違いなく規格外の魔導士……ルストリアはこんな少年兵を作っていやがるのか? だが、あれだけの数を魔法で対処したのだ、奴の魔力切れは近いはず。

 戦場において、魔導士は白兵戦の状況を見て、決め手になるタイミングで投入される。人一人が保有できる魔力には、必ず限界がある。魔導士には様々なタイプがいるが、魔法による殺傷を主体とする魔導士は、魔力消費の高い魔法や広範囲に渡る殲滅を得意とすることが多い。魔導士が戦場に最初から出陣し、無尽蔵に殺せるならば、そもそも白兵戦など起こり得ないからな。

 

「頃合いだ、残念だったな坊主」


 ブラウリオの身体は更に膨れ上がり、身長は二メートルを超えていた。その巨躯から繰り出される斬撃は、常識を超えたものであった。

 力任せに、剣をクライヴに向かって叩きつけると、クライヴはそれを片手で展開した障壁魔法を使って受け止めた。しかし、その勢いは止まらずクライヴの足はグンっと、床にめり込んだ。

 次の瞬間、障壁魔法は砕け、斬撃がクライヴの脳天に直撃し、熟れたトマトが地面に落ちたように体が弾けた。


「経験が足らんな、その程度の障壁で防げると思ったか?」


 ブラウリオは高笑いをすると、リンク・リンクの方に向かい歩き始めた。


「一つの檻

 やがて辿り着いた

 マーギガルデの園」


 ――突如として声がした背を振り返るブラウリオ。


 そこには、先程叩き潰したはずのクライヴが片手を掲げ、目を閉じ、魔法を詠唱している。魔法陣が空中に複数個展開され、けたたましい音と激しい発光が起き、あたりは陽の下に晒されたのかと錯覚するほど明るくなった。

 ブラウリオは再び、クライヴを叩き潰そうと駆け出そうとしたが、足が地面に埋まり身動きが取れない。


(んなっ! スコールバルトだと?)


 ブラウリオはクライヴの更に後方で、本を手に詠唱をしているランディの姿を見た。クライヴの起こした激しい発光に目が眩み、背後にいるランディの詠唱に気付くことが出来なかったのだ。

 スコールバルトはブラウリオの足首までしか埋められていなかったが、足止めとしては十分だった。クライヴは、目を閉じたまま詠唱を続ける。


「忘却

 無秩序に並んだ首飾りが

 通り雨を呼んだ

 エオニア・ブロ」


 詠唱が終わると共に、足元にあった影の蜘蛛の巣がグニャグニャと歪みクライヴの足元に集まった。その蜘蛛の巣の集合体がゆっくりと回転を始め、新たな魔法陣を形成した。

 その魔法陣が非常に弱い光で紫色に発色すると、天井から黒い雨が降ってきた。


 古代書庫の中でポツ、ポツ、ポツと雨音が聞こえる。

 するとまもなく、一人の兵士が悲鳴を上げた。兵士は顔を押さえてかがみ込んだかと思えば、今度は仰向けになって叫び声をあげた。その顔は、黒く焼けただれて、ドロドロに溶け始めている。クライヴは真剣な表情で足元の魔法陣に手を触れ、更に魔力を注いでいく。


 ブラウリオは地面から足を抜こうとしたが、ランディが近づきながら魔力を込めると、膝の部分まで地面に埋まってしまう。焦ったブラウリオは、勢いよく剣を投擲したが、それも虚しく外れ、そのままの勢いで地面に手をつき、苦悶の表情を浮かべている。


(なんなんだこの魔法は……見たことも聞いたこともねえぞ)


 ブラウリオは、魔法の権限をクライヴに奪われ、体はしぼみ、地面についた手も皮膚が剥がれ始め、全身が焼け爛れ始めていた。

 

 しかし、ここでクライヴの体に異変が起きる。新たに作り出した魔法陣が、触れているクライヴの手にきつく巻き付き、徐々に胴体に昇ってきている。


「うぅ……くそっ……が!」


 他人の魔法を魔法で操り、乗っ取り、変質させるなどと言う、超高等技術は魔力消費も桁外れであった。無邪気に魔法で遊んでいたクライヴは、自分がオーバーフロー寸前である事に気付けず、コントロールを失い、発動した魔法は暴走を始めた。


 ランディは、リンク・リンクの元に向かい合流した。そして、子供達二名を引き連れ脱出しようと階段に向かい走り始めた。ランディ達は、着ている洋服を脱ぐと二人の子供に被せ、少しでも雨を避けた。

 室内に降り注ぐ魔法の雨は、ザァーザァーと、更に勢いを増し出す。だが、室内全体ではなく、何故かブラウリオを中心に降り注いでいた。


「こ、ろす、殺して……やる!!」


 魔力を失いかけているクライヴが、最後の気力を振り絞り、ブラウリオを殺しにかかっていた。


 周りを助ける為に戦う、などと言う意思は彼にはない。生まれついての天才魔導士として生きてきたクライヴは、善悪の判断や社会性が人よりも乏しい。それは、彼より弱い人間がこの世に多過ぎた事が原因である。

 まだ二歳の頃に、魔法を使いイタズラに人を殺してしまう。その事件をきっかけに、監視付きで孤児院の預かりとなり、担任のランツは、クライヴが暴走を起こさないようにいつも目を光らせていた。暴走すれば、彼自身が死ぬ可能性があるからだ。

 

 少し離れた位置で倒れているアルロには、幸いにもほとんど雨が降っていなかった。


「お父さんを……お父さんを助けて!」


 ディーはリンク・リンクに向けて必死に叫んだ。リンク・リンクは体格が良いわけではないので、大人一人を背負いながら脱出は不可能だと判断し、一旦子供だけでも逃がすと、ディーにも説明したが当然聞き入れてくれるはずは無かった。


「まいったなぁ、仕方ないか」


 リンク・リンクは子供達二人をランディに任せ、単独で雨の中に戻りアルロを救出する事を決意した。だが、この作戦が実行されることはなかった。


 黒い雨が降り注ぐ中、煌めく球体の障壁魔法が展開される。障壁魔法はアルロを包み込み、黒い雨から守った。


「やれやれ、私が気を失っている間に……」


 階段から上がってきたランツが、怒りと情けなさを滲ませた表情でクライヴを睨んだ。


「うっ……ぐあぁー---!!」


 クライヴが更に苦しみ悶えると、雨は徐々に止み、その場にうずくまりガクガクと震えている。眼からは血が流れ、軽く咳き込むと大量の血を吐き出した。既にブラウリオはドロドロに溶け、その原形を保っていないかった。

 

 ランツは、ゆっくりとクライヴに近づくと、何やら小声で魔法を唱え出した。

 ポゥとクライヴの胸が光ると、クライヴはそのまま気を失ってしまった。


「すまないクライヴ……無茶をさせてしまったね。」


 クライヴの頭をそっと優しく撫で、眼鏡を直すと、ランツは立ち上がり杖を握りしめた。


「お前達、容赦はしませんよ?」


 怒りを露わにするランツの気迫に、残り僅かな兵士達は固まり、その後は一瞬だった――。

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