王家として

――王国歴1484年 4月 ラミッツ大収穫祭 午後二時頃


 ラミッツ国王の息子、ランディ・ランドローグは窮地に立たされていた。

 今、相対しているブラウリオとの力量を肌で感じ取り、冷や汗を滲ませる。頼みの綱であるルストリアの魔導士は、下層に落ち安否がわからず、大勢の兵士を挟んで向こう側にいる観光案内であろう男と二名の子供を救うとなると、かなり難易度が高い。この場で唯一、ランディが良かったと思える点で言えばブラウリオは子供達を殺すことよりも、王子拘束を優先して動いていることである。

 しかし、そのことであっても王子拘束に手間取るやいなや、即座に子供達を人質に取られる可能性は十分にあった。ランディは出来るだけ冷静さを保ち、隣にいる付き人にそっと耳打ちする。


 ブラウリオは、先程吹き飛ばされた剣を拾ってきた兵士から受け取ると、その剣に刃こぼれが無いか確認しながらランディに言った。


「ランディ王子、驚きましたよ。いやはや、ラミッツの方々は本当にお祭サプライズが好きだ」


 アルロはブラウリオが喋り出すと同時に、子供達を引き連れ後退あとずさりし、その場から逃げようとしたが、すぐに気配を勘付かれ兵士達ににらまれると、子供達を抱き抱え小さく固まった。

 怯えているアルロと、ミハイルをよそにディーはアルロの腕の隙間から、何度も同じ動きを繰り返している、ランディの付き人である青年の手を見ていた。ディーはどこかで見たことのある指使いだったが、思い出せずにいた。そのことをアルロに耳打ちすると、アルロはそれを見てすぐに気が付いた。


 その指使いは、ラミッツの商人が同業者同士で行うハンドサインで、

「誤魔化す」

「元の」

「店」

「戻る」だった。


 アルロはカッと目を見開き、全力でこれから起こる事に集中した。シーナの魔導士数名がアルロ達に向かい、空の手で弓矢を引くような手振りをする。先程放たれたエグティク・ヴェロを発動する準備に入った。

 ランディがそれを見て、声を荒げる。


「リンク・リンク! まだか!」


 リンク・リンクと呼ばれた付き人は、腰に着けた皮の袋から小瓶を取り出し、蓋を開けると天井に向かって思い切り投げた。そしてそれが地面に落ちる前に、スゥと姿が消えた。同時にアルロはサインの通り、先程まで隠れていた机の下に潜り込んだ。それを見ていた兵士が、咄嗟に机に潜ったアルロ達に向かってくる。小瓶から飛び出した山吹色の液体は霧となり、実際の量からは考えられないほどの煙が吹き出す、重ねてリンク・リンクはアルロ達を指差し叫ぶ。


「トゥアイ・ユアン」


 ブラウリオは大声で兵士に「出口を抑えろ!」と指示を出した。本人がその場を動かないのは、消えた液体に警戒をしているからである。水を扱う魔法は数多くあるが、水を霧状にして扱う魔法となると限られてくる。そもそも今のは魔法なのか? と疑問を抱いた。小瓶を触媒に魔法を放つなど聞いたことがなかったからだ。


 既に室内は自分の手のひらでさえ見えないほどに、濃い霧が立ち込めていた。兵士達は戸惑い、どこから攻撃が来るか気が気では無い。出口を固めた兵達も、同様に見えない攻撃に恐怖していた。すると突如として、聞いたことのある声が室内に響く。


「何をやっておる! 剣を納めよ! ランドローグ国王の御子息に対し、何たる御無礼を!」


 それはバーノン大王の声に他ならなかった。ジンガに付いていかなかった少数のシーナ兵を除き、この場にいる全てのスルト兵が、声がした方向に目を向けた。

 この隙にリンク・リンクは兵の隙間を縫い、アルロ達の隠れる机の前までたどり着いた。


「ブラウリオ、貴様の目的はなんだ?」


 苛立ちを隠そうともしないバーノン大王の声は、ブラウリオに訊ねる。すぐさまブラウリオは見えないバーノンに対し、敬礼の姿勢をとるとそれに答えた。


「はっ! 地下四階から六階の制圧及び、原魔結晶石の確保であります!」


 間髪入れずバーノン大王の声はそれに応える。


「馬鹿者が! 私がここに来た意味がわからぬお前ではあるまい。すぐに剣を納め、この遺跡から出るのだ」


 ブラウリオにはバーノン大王が何故ここに現れたのか見当もつかなかったが、聞き返すのは無礼にあたると考え、兵に撤収を呼びかけようとした。

 しかしその時、霧が微かに晴れ始めた。バーノン大王の声は更に激昂し「今すぐ退出せよ!」とブラウリオ達をかした。

 ブラウリオは、混乱しながらも声のする方向を見つめ立ち止まった。そして、霧の奥に見えるバーノン大王の影があまりに小さいことに気がついた。


「退出は待て!」ブラウリオは兵に命じる。

 霧が完全に晴れると、そこにいたのはランディの姿であった。


 リンク・リンクはアルロ達を既に保護しており、机には先程と同じように障壁魔法が展開され、その中にいる。ランディは、ブラウリオを挟んで反対側で、アルロ達を守るように立っているリンク・リンクに叫んだ。


「おい! 持続時間が予定より短いぞ!」

「いや、ここの穴に霧が吸い込まれちゃったんですよ! 下の方で氷結魔法でも使ったんじゃないですか?」


 ブラウリオは自身をコケにした態度の二人に激怒し、剣を構えた。他の兵もそれぞれ武器を構え、ランディの方を見た。


「ガキが! 別に貴様を五体満足で連れて来いとは言われていない! 手足の腱を切り、痛めつけた後で人質にしてやるわ!」


 ランディは、十メートルにも満たない距離で激昂するブラウリオの様子を見て、今度はハーマン・アン少将の声で話しかける。


「ブラウリオ、功を焦ると足元を救われるぞ」

「貴様……これ以上、俺を愚弄するな!」


 ブラウリオはランディに突進した。軽量化されているとは言え、全身に鎧を着た男とは思えない素早い動きで一気に距離を詰める。そして、剣を振り上げるとランディの右肩を目掛け振り下ろした――。

 ランディはそれを何とか躱し、ブラウリオの剣は空を切った。ランディは反撃の手段を持っていないのか、素早く背後に飛び再びブラウリオから距離をとった。

 リンク・リンクは、展開された障壁魔法の中で杖をかざし周りの兵を威嚇している。兵達は、次の魔法を警戒し包囲だけをして、ブラウリオの命令を待っていた。


 このあたりで、少し冷静になってきたブラウリオは考える。


「……そうかそうか! 王子様、そんなに俺の魔法が見たいか!」


 ランディは体中からジワリと嫌な汗が噴き出す。


「ブラウリオ、このような戦闘で魔法を使う必要など無い。騒ぎを大きくするだけだぞ」


 ランディは、アンの声でブラウリオに対し武器による戦闘を促すものの、ランディの狙いを見破ったブラウリオには逆効果で、それを聞くと「はい、はい」と完全に流し、地面に左手をつき、魔法の詠唱を始める。


「アナセ コクロク

 偉大な大地よ

 合わせ鏡と真なる闇よ

 混ぜて流れて

 我が身に宿れ

 ミネラリ・ザイオン!」


 ブラウリオの足元から複数の蜘蛛の巣に似た影が広がっていく。ランディは、即座に背後にある本棚にしがみつき、影を回避した。リンク・リンクも同様にアルロ達が入っている球体状の障壁魔法の中に入った。影は兵士達の足にもまとわりついたが、特に変わった様子はなかった。

 

 「ミネラリ・ザイオン」

 この魔法は直接的な攻撃を意図したものではない。この影を踏んだ者の魔力をほんの少しずつ奪い、自身の肌を硬質化させ、筋力を上昇させる、謂わば強化魔法にあたる。

 ランディは、過去に招かれたスルトでの魔術大会の開会演舞で、ブラウリオとこの魔法の存在を知っていた。大人であればこの魔法による影響は即座にはないだろう。しかし、魔力量の安定しない子供では、この微弱な魔法でさえ致命傷になりかねない。


 ランディとリンク・リンクが想定していたプランは二段構えであった。

 まずは、リンク・リンク特製のマジックアイテムで混乱をさせる。この際、二種類のマジックアイテムを使っている。一つは煙幕を作り、一つは障壁魔法の再設置を行った。そうして混乱している中で、ランディが所持する声帯変化のマジックアイテムを使い、退出を促すのがプランAであった。

 ブラウリオをここから退散させてしまえば、下層のジンガのみを撃破、あるいは同様の手で退散してくれれば、更に下層の上級守護兵に通報し、援軍を頼める。

 しかし、これがうまくいかなかった場合は、ブラウリオの精神を出来るだけ掻き回し、冷静な判断がとれないようにして、魔法が発動しないように誘導、ランディのみに敵が注目するように仕向け、なんとか子供達だけでも外に出そうと考えていた。だが、このプランBも成就はしなかった。


 ブラウリオは、見た目こそ戦士そのものであるが、スルトの優れた魔導士であり、エスパーダを除いた軍隊の中で上位に食い込む実力を持ったベテラン兵士。あまりにも完璧な声帯変化と、リンク・リンクの誰もが見たこともないようなマジックアイテムが功を奏して、一度はブラウリオを欺くことが出来たが、床に空いた大穴で煙幕が消えてしまったことをきっかけに、全てがほころんでしまった。

 ブラウリオの唱えた魔法は、地面に現れた影で出来た蜘蛛の巣に人間が触れている限り、時間経過と共に魔法発動者に魔力が流れ込むものである。屋外では発動が出来ず、更には魔力が流れ込む速度は非常に遅く、影を踏んでいる者が一名だった場合、強化を実感出来るのには一時間以上かかる。

 しかし、ここにはアルロ、ミハイル、ディー、ランディ、リンク・リンクの五名に加え、五十名の部下がいる。この魔法に敵味方の識別を行うことは出来ず、総じてブラウリオに魔力が集まることとなる。


「おいおい、ガキどもを守ってる障壁魔法が消えちまうぞ?」


 ブラウリオが指差した先では、リンク・リンク達を包む球体の障壁魔法が影に絡め取られ、光が時々薄くなり、また元に戻りを繰り返していた。リンク・リンクは球体の障壁魔法の状況を確認し、ランディに報告した。


「どうやら、この魔法は障壁魔法の魔力も吸えるようです。もってあと十五分が限界です!」


 リンク・リンクの『再設置』は厳密には『状況再現』と言うほうが正しい。この状況再現は、三十分以内に発動された魔法を、発動された場所に再発動するという代物で、場所の変更は出来ず、指定された場所の地形などの状況が三十分前と変化していれば発動しない。また発動された魔法を移動させることも出来ない。それはつまり、この魔法ごと現状アルロ達を移動させることは出来ないということである。

 リンク・リンクの報告を受け、ランディは床に飛び降りた。すぐさま、影は足に絡みつき魔力を吸い始めた。ランディは、目の前にいる脅威の塊であるブラウリオを見る。そして思考する。


(警戒しているブラウリオに対して、互角以上の戦いが出来るか? 無い。戦闘に対する経験、実力、共に劣っている。そもそもこの人数に対して講じる策を私は持ち合わせていない。リンク・リンクのマジックアイテムで攻略できないか? 無い。

 ここまでの戦闘を想定していない。ほとんどのマジックアイテムは工房にある。私の魔法で一掃出来ないか? これも無い。この手練を前に詠唱など出来ない。仮に詠唱出来たとして子供達を巻き添えにする可能性が高い。

 子供達を見捨て、とりあえずこの窮地を脱するか? 断じて無い。これに理由など無い! 俺は民を守る王家だ!)


「ふぅ……やるだけやってみようかな」


 そう呟くと、腰に差していた短剣を取り出し身構えた。それを見たブラウリオは高らかに笑った。


「商業国家の軟弱者が随分粋がって見せるじゃねえか! 気に入ったぞランディ王子、掛かって来い!」


 ブラウリオが魔力を一層解放していく、腹を括ったものの、ランディは冷や汗を垂らしながら予感した。


「やはりまずいな、あれは。死んじゃうかも……」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る